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考察:BABYMETAL⑧/紅い月と蒼い星〜ウェンブリーの紅月は何かが違う

2016年11月29日 Text by Kotaro MASUDA a.k.a. TAROO-METAL

BABYMETAL屈指の名曲と言えば"紅月-アカツキ-"だ。極論すれば2枚のアルバムに収録されている全ての曲が名曲だという意見もあるかもしれないが,ライブで体験すれば多くの人が涙してしまう"紅月-アカツキ-"は,強烈なメッセージ性と世界観を含有しているという点で,明らかに他の曲とは一線を画する存在だと思う。

その名曲"紅月-アカツキ-"が,「LIVE AT WEMBLEY」で変わったという印象を受けた。正確に言えば,SU-METALの歌い方が変わったと言うべきだろう。ウェンブリーでの"紅月-アカツキ-"は,それまでに披露されてきたどの"紅月-アカツキ-"とも微妙に何かが異なる。「LIVE AT WEMBLEY」を観て真っ先にそう感じた。その違いは何なのだろう。何がその原因なのだろう。いろいろと考えておぼろげながら見えてきた答えらしきもの。それは"Amore - 蒼星 -"の存在だ。

"Amore - 蒼星 -"も"紅月-アカツキ-"も,そのテーマは「愛」だ。しかしその「愛」の描かれ方や醸し出される世界観は真逆と言っていいほど異なる。

"紅月-アカツキ-"は「愛」を守るための壮絶な自己犠牲の歌だ。

幾千もの夜を超えて
生き続ける愛があるから

と「愛」の素晴らしさを讃えながら,その尊い「愛」を

この身体が滅びるまで
命が
消えるまで守り続けてゆく

と歌う。荒廃した争いの絶えない世界の中で,ひたむきに「愛」を守り抜こうとする「紅の騎士」の痛々しいまでの姿がそこにはある。ネガティブとは言わないが,描かれているのはあまりにも哀しい「愛」の世界だ。

一方の"Amore - 蒼星 -"は優しさに満ちた「愛」の歌だ。

愛の言葉
響け夜空へ
宇宙まで届けて
Amore

という歌詞からは,この地球を,そして宇宙をも優しく包み込む「愛」の懐の広さ,壮大なスケール感を感じることができる。それは

愛よ地球を救え

という,最後の最後に出てくるフレーズに象徴されている。そこに描かれているのは「愛」が秘めた無限の可能性であり,「愛」が持つ万能性。"紅月-アカツキ-"が強烈に醸し出していた悲壮感は皆無だ。"Amore - 蒼星 -"は聴く者をどこまでも鼓舞して勇気づける「壮大な愛の讃歌」なのである。

"Amore - 蒼星 -"が持っているこの優しくて深い「愛」が,"紅月-アカツキ-"の刺々しいまでの「愛」を包み込んだ——Wembleyでの"紅月-アカツキ-"を見聴きして抱いたのは,そのようなイメージだ。「愛」を守ることに疲れ果てて心が折れかかった「紅の騎士」が,反対に「愛」によって支えられ,助けられ,力強く立ち上がり,そして再び「愛」を守り抜くことを誓う。そこにはもはや自己犠牲はない。自らの命を投げ捨てなくとも「愛」は存在し続ける。「愛」はそれだけ強くて大きいものなのだ。「愛」の何たるかを確信した「紅の騎士」は無敵と言っていい。一皮向けて余裕と優しさを身につけた「紅の騎士」=SU-METALが歌う,究極の「愛」の歌。それが"Wembleyでの"紅月-アカツキ-"なのだ。

"Amore - 蒼星 -"が収録されたBABYMETALの2ndアルバム「METAL RESISTANCE」が発売されたのは2016年4月1日。Wembley公演の前日である。"Amore - 蒼星 -"がライブで披露されたのはもちろんこの日が初めてだが,レコーディングの過程で"Amore - 蒼星 -"を徹底的に聴き込み,その世界観を自分の地肉と化したことが,"紅月-アカツキ-"のパフォーマンスに直接間接の影響を及ぼした可能性は十分にあると思う(もちろん他の新曲もたっぷり聴き込んだはずだが)。"Amore - 蒼星 -"はまだまだ成長中の曲だ。その成長に従って"紅月-アカツキ-"がどのように変わっていくのか。今後のライブからなおさら目が離せない。

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写真=Ted Jensenのflickrより(https://flic.kr/p/pQWfSy)

*アメブロからの転載です。

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