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歴史における時代区分

 日本には「新石器時代がない」という考察記事を読みました。
非常にタメになる面白いお話でした。
なぜ、「日本には新石器時代がない」とされているのか?


その理由は単純明快でして、「西洋のルールでの時代区分だから」です。


単純に新石器に分類される打製石器や磨製石器なら、日本にも存在します。
でも、日本の場合、時代区分の呼び方が異なり、土器の文様である縄文から命名された「縄文時代」と呼ばれることになっています。
西洋の時代区分ルールでは、日本の縄文時代は「新石器時代」にはならないんですよね。

なぜでしょう?
ということで、西洋型の新石器時代の定義をまとめると・・・

西洋的な「新石器時代」の定義
1)完新世(最終氷期が終わった1万1700年前から現在まで)であること
2)生産経済(農耕や牧畜)が始まっていること
3)打製石器(啄敲法たくこうほうの石器)や磨製石器が使用されていること

この定義だと、石器は新石器なのに、生産経済が始まっていないという理由で、日本の縄文時代は新石器時代ではない、という見方がされるのです。
ただ、これは諸説あるのです。
学者によっては、縄文時代=新石器時代とする意見もあります。

「石器時代」という時代区分をするのであれば、「石器」でのみ判断すべきであって、「生産経済の有無」で時代を分けるのなら、別の呼び方を採用すべきだ。

大阪市立大学の故・角田文衛教授

私も角田教授の意見に賛同している方です。

個人的には、所詮人間が便宜上で、〇〇時代と名付けたものだと思うのです。
「時代」の命名定義をした対象地域が異なれば、当然、ご当地文化というものの違いから、普遍的ではない部分が生じてきます。
つまり、定義とは整合性の取れない点が出てきて当たり前だということです。

数学的に言えば、時代区分は「定義」であって「公理」ではないということでう。
人々の営み・文化を系統だてて「定理」を得るために「定義」づけしたものなのですが、その「定義」の中に不純物(生産経済)を混ぜ込んだのが西洋の定義であると考えています。

「石器」で時代区分をするのならば、「石器」だけで区分けすべきだ。

ということです。

比較的シンプルな時代分けといえるのが、【江戸時代】とか【鎌倉時代】といった政治権力が、その地に依拠していたという分け方です。
この分け方であれば、その政治権力の興亡で区分けが可能になります。
でも、獲得経済や生産経済、石器文明や青銅器文明といった文明・文化的特徴を複数兼ね備えた上で、時代を分けるとなると非常に難しいことになります。

卑近な事例でお話すると、
かつて、日本では高度経済成長期に、3C(カラーTV・自動車・クーラー)と呼ばれる時期がありました。
これこそが「高度経済成長時代」なのだ、と時代区分について、勝手に定義づけをしてまったとしましょう。
で、日本以外の国を見ていくことにします。
例えば、中国では経済成長率が毎年10%以上と経済成長が目まぐるしい時期がありました。
でも、日本と同様に3Cが崇められる状況が形成されませんでした。

ここで、定義に純粋に従うと、3Cが三種の神器として崇められなかったので、【中国には高度経済成長時代が無かった】と結論付けられる。

となるわけです。
いかがでしょうか?
気持ち悪くないですか?

中国の凄まじい経済成長を見てきた経験のある我々であれば、
イヤイヤイヤ、あったよね? 中国、高度経済成長してたよね?
となるはずです。

日本に新石器時代が無かったというのは、2000年以上前のお話で、誰も実体験がないから、言われるままに受け入れているに過ぎないのです。

これと同じ理屈で、磨製石器が使用されていたにも関わらず、生産経済(農耕や牧畜)が無かったから、新石器時代ではないとしてしまうと、

じゃあなんで「石器時代」という命名をしたんだ?

ということになるわけです。
先農耕時代と農耕時代でもいいですし、獲得経済時代(狩猟・漁労)と生産経済時代(農耕・牧畜)にしてもいいじゃないですか、ということです。

端的に言えば、〇〇時代なんていう呼び方は、定義の仕方でいくらでも変えられる。
人間が勝手に名付けたものであって、絶対的なモノサシではない、と。

だから、日本には新石器時代が無かったというのではなく、新石器と生産経済が共存する文化が無かった、というのが良いと考えています。

まあ、私のこだわりだけのことでして、
大多数の人が

どうでもいいわ、そんなもん

となりますよね。(上田風に読んでくださいねw)
そうなんです。時代区分なんて、所詮はそんなもん、なんです。

が、学術研究上、時代区分をすることで、整理しやすくなり、比較しやすくなるんですよね。
そういったメリットがあるのは、間違いないです。

ですから、私としても、時代の線引きそのものを否定する気は毛頭ありません。
定義を妄信して、全ての事例に当てはめて考えるとおかしくなってしまう、ということを危惧しているだけです。はい。

しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。