見出し画像

お稲荷さま

荼枳尼天とお稲荷さま

 善明寺という天台宗のお寺さんが府中市にあって、まだ梅も咲かない寒い頃に寺内を拝観した。その時、朱い鳥居と小さな祠を見つけて、なるほど神仏習合でお稲荷さんも祀られているのか、と思って近寄るとそうではなかった。

 お稲荷さんにしか見えなかったけれど、そこでお祀りされていたのは荼枳尼天(ダキニテン)というインドの神様だった。怪訝に思って後で百科事典を紐解くと、荼枳尼天は六ヶ月前に人の死を予知して、その人が死ぬと心臓を食らう恐ろしい「夜叉」(魔女)の一つだという。

 ところが、この荼枳尼天が本地垂迹説では、稲荷大明神の本地だというから不思議な話である。だから、善明寺でお祀りされていた荼枳尼天をお稲荷様と同一視しても、間違いではないだろう。お稲荷様を稲荷明神の神社で狛犬のように並んでいる狐のことだと勘違いしている人もいるかも知れないが、狐はあくまで稲荷明神のお遣いである。

 稲荷とは、そもそも「イネナリ」=稲成り、が語源だと云われるくらいだから穀霊神・農耕神である。これに対して、荼枳尼天は人肉を食らう夜叉であり、関係があるようには見えない。もともとインドでは豊饒の女神だったという話もあるけれど、日本では真言密教の胎蔵界曼荼羅に配される、性や愛欲を司る神とされている。

 しかしながら、この荼枳尼天は白い狐に乗った姿で描かれることが多く、もともと稲荷明神の使いが狐であることから、狐という共通項で神仏習合した結果、本地が荼枳尼天で垂迹したのが稲荷明神となったのではないかと推測できる。

 そして、稲荷信仰がどうして現在みられるように広まったのかは、はっきりしていない。日本民俗辞典では、稲荷社を神道的稲荷・仏教的稲荷・民俗的稲荷の三種に分類することができるとしている。さしずめ神道的稲荷の代表は京都の伏見稲荷大社、仏教的稲荷の代表は豊川稲荷(実は曹洞宗のお寺さんである)だが、その他に各地に民俗的信仰の対象としての稲荷社があるわけだ。

 稲荷信仰はもはや農耕神としてだけでなく商工業や医療など幅広い現世利益を祈る対象となっており、稲荷信仰が広まった経緯も一通りではなさそうである。

なぜ狐は稲荷明神の使いなのか

 狐は日本に昔から棲息していた動物であり、霊力をもったものと考えられていたようである。狸と同様に人を騙したり、場合によっては狐が人に憑依して苦しめるともされてきた。いわゆる狐憑きというものである。そうかと思うと、9世紀初めの日本霊異記には人と女狐との婚姻の話が収められたりしている。ただし、これには中国の影響もあるのかも知れないが。

 昔、博物館の民俗学者から教わったことだが、日本人の先祖たちが田畑を拓くことは、そこから狐を駆逐することでもあったのだという。すなわち、農業を興すことは狐の住処を奪うことでもあるから、農業を契機に人と狐とはお互いに対立する存在でもあった。

 狐たちに済まないと思ったのか、彼らの恨みや怒りを鎮めたいと思ったのか、日本人は豊饒を祈るときに稲荷明神と狐との両方を祀り上げるようになったのだろうというのが、その民俗学者の話であった。それこそ文献に記されることがない農民の心意の世界のことだから実証されることはないし、民俗学者がみな、そのように考えているのかどうかもわからない。でも、その時、なるほどなと思ったのだった。

 この生態系を挟んだ人と動物の対立関係は、「平成狸合戦ぽんぽこ」というスタジオジブリ作品においても見ることが出来る。これは多摩丘陵に多摩ニュータウンが建設されようとした往時に、狸たちが幻術を使って人間たちを怖がらせて開発を思いとどまらせようと闘ったというプロットだった。

 残念なことではあるが、人間が農業を始め、産業を興して来た歴史の過程では、既存の生態系に負の影響を及ぼしたことを否めない。狐はそれこそ前近代の日本には、たくさんの個体が棲息していたのだろう。しかし、私などは動物園でしか狐の実物を見たことはないほどに数は減少してしまった。生態系の多様性が毀損されたという言い方もできようが、最近のSDGsには人間の歴史の反省から生態系への配慮が謳われている。

 現代人が生態系への負荷をゼロにすることはできないだろうが、今後は野放図な開発は許されないだろうし、負の影響を最小化し補完する姿勢は必須だろう。稲荷社に狐をともに祀った昔の日本人の感性はなかなかよいものだったかも知れない。

SNSで海外に広まる現代民俗としての稲荷信仰

 ところで島村恭則という民俗学者による「みんなの民俗学」という本には、主に欧米においてインターネットを介して(具体的にはFacebookの公開グループで)稲荷信仰に集う人々がいるという。

 このグループを開設し運営しているのはカリフォルニアで放送エンジニアとして働いている男性で、もともと神秘主義や秘教的な神に関心があったところ、アニメの「犬夜叉」を通じて神道に出会ったのだという。

 彼は実際に伏見稲荷大社を参拝し、正式に同大社から稲荷明神の分霊を授かって自宅でお祀りしているそうだ。彼のグループの参加者たちの宗教的な実践や解釈には伏見稲荷の公式な見解を超えた内容も含まれているといい、より神秘主義的な文脈で稲荷信仰をとらえている人もいるらしい。

 そのような理解の是非はともかくとして、「日本国内で用意されている公式的な宗教体系とは異質な『グローバル・ヴァナキュラー』としての宗教的世界が展開されていることがわかる」と島村氏は結んでいる。

【注】ここではヴァナキュラーは現代の民俗としておく

 伏見稲荷大社にはおよそ一万基の鳥居があるとされ、特に千本鳥居といわれる鳥居が連なるトンネルもしくはアーケードは外国人の眼には神秘的に写るのか、新型コロナが流行する前には外国からの観光客が撮った動画多数をインターネットで眺めることができた。

 そうしたことを考え合わせると島村氏がグローバル・ヴァナキュラーの例として挙げたネット上の稲荷信仰グループの形成があっても不思議ではないのかも知れない。それでも、稲荷信仰が欧米人に取り上げられたことには、それなりの理由ないし含意があるに違いない。もし、このグローバル・ヴァナキュラーが維持拡大されていくようならば、その時にまた考えてみたい。

(2022年4月)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?