揺れて生きてます-糞を練って黄金に-

生きているというのは冗談みたいだな。緊張と緩和の落差が大きいほどおもしろい。

25歳くらいのときに初めて心療内科にいった。
状態としては「プチうつ」くらいの感じだったと思うが、そういう病院や薬に興味があったのでいってみたのだ。

A4用紙10枚くらいの性格テストをやらされて「パラノイア」だと診断された。

マジで?パラノイアちゅうたら天才ちゅうことやんけ、と当時パトグラフィーの本とかを熱心に読んでいた僕は、処方された薬を持って自転車を立ちこぎで帰った。

貰った薬は天才とはなんの関係もない薬だったが、こいつを飲むと痛飲しても翌日がいくらかマシになる気がしたので毎日浴びるように酒を飲んでは薬で散らすというようなことをやっていた。
その薬はドグマチールといって、もともとは胃薬だったものだ。

それがいけなかった素質があったのかどうだか、だんだんと本格的に調子が悪くなってきた(あとで知ったことだがアルコールの副作用はうつである)。


今度は心療内科ではなく、精神科を標榜しているデカい病院にいってみた。

待合室には本格的な人たちが沢山いた。診察室から出てきたむくんだ無表情な顔の女性が平坦な声で、しかし切迫した調子で泣き出した。「入院できるって〜!うわ〜!」僕はあそこまで本格的ではないからここに来たのは失礼だったかもしれないな、と思った。

この病院ではまず血液検査があった。

検査結果で、お前は脂肪肝だといわれた。さらに酒の飲み過ぎだと怒られて腹が立ったが得意のアジア人のテレ笑いで受け流した。

すると医者は「そうやって笑えるんやったら大丈夫や」といった。これがこの病院の問診か。その病院には二度といかなかった。


次にいった病院でもらった薬。パキシル。

これまでどおり、酒で流しこんでいたんだけど、じゃまくさくなって二、三日飲まないでいたある日、地下道を歩いていると地面が傾くような感覚に襲われてその場にしゃがみこんでしまった。

冷や汗がたらたら流れて動悸がする。謎の不安が胸を占めて泣きそうだ。這々の体で帰宅した。夜になると三十八度超えの高熱が出た。次回の診察の時に医者にそのことを伝えると
「薬の副作用だ。すまないことをした」といった。また病院を変えた。


次の病院でもらった薬で射精不能になった。

シコる元気は出てたみたいだけど、これはキツい。
薬を変えてもらったら3日くらいでめちゃくちゃ太った。
体重はそれほど増えていないのだけれど、宍戸錠の顔のような顔になってしまった。
顔のような顔と言ってしまうのはいまでも強迫観念があるからかもしれない。
「宍戸錠のような顔」でいいのだ。

顔全体が宍戸錠の全身みたいになってしまったわけではないし、ましてや宍戸錠の性格や心など、症状として自分の顔に出ようもない。
出たとしてもそれを「宍戸錠のようだ」と判断しようもないからこう書いたのだが。←(治ってないな)
要するに頬のふくらみとまぶたの浮腫みがすごくなったのだ。

ただやはり元気にはなっているようで、ブルーハーツの曲をかけながら20分踊るということをやってなんとかこれ以上太らないようにと気をつけていた。
それでも会う人会う人に「太った」「だれかわからんかった」などと言われて男のくせに泣いてくれた。我が心が。


そうしているうちに父が死んで、僕は最悪の状態に陥った。
父が癌にかかった時から「泣いたらあかんぞ、あかるくふるまえ」というような空気感にやられていたのか、父の前通夜で躁転してしまったのだ。

躁というと元気いっぱいで楽しそうに見えるかもしれないが、アレはいま思うとどん底でヤケクソになっているんだと思う。
集まってくれた人たちにハイテンションで乾杯を求めて、引いている人たちの表情をみて突然泣き出したりした。
空気読みの空気知らず、なんて言葉があったかしらん。


とにかく眠れないので医者にそう言って薬はどんどん増えていった。
このころにはもう薬ジプシーになっていたのだろう。

とにかく「こないだの薬はダメだ」「眠剤のキレが悪い」
などと訴えて、自分のカラダを薬だけでなんとかしようとしていた。
医者もナイスな奴で、いくらでも薬を処方した。
眠剤はどんどんキツくなるし、安定剤も増える。副作用で震えが出たら震えどめの薬を出す。


僕は覚えていないが、友人の話によると年越しの飲み会で訪ねた知り合いの店にあった観葉植物の葉っぱを、ひとりごとをブツブツ言いながらブツブツと全部ちぎってしまったりしていたらしい。
軽く失禁していたのは覚えている。
3日ほど風呂にも入っておらず、年季の入った乞食のような臭いを発しながら実家に帰り、またぞろ酒を飲んでは寝転んでいた。
野生を感じたのだろうか、新入りの猫は俺の胸の上に乗っかってスヤスヤと眠った。


このころは飯を食ってウンコが出ることも嫌だった。そういえば小便にはなにも思わなかったな。性器め。


ある本で「一番金がかからず楽な自殺方法は公園での首吊りだ」という知識があったのでそれをしようと思ったが、あいにくの都市住まい。

死ぬ前に発見されたら後遺症やなんやらで悲惨だ。たぶんほんとに死ぬ人はこんなことは考えないんだろうけど。


これはもうアレだ。母がパートにいってる間に実家の建て増しした階段に縄かけてやったろ。思って実家に帰ったが、むつかしで(むずかしいことですよ)。


でけへんかった。
うーわ!これは無理やわ!と一瞬いのちが輝いたあと、むせび泣いた。


でけへんかったので生きるしかないわけだけれど、そんなすぐに気力が湧いてくるわけもない。
あー、嫌だ。どうしようかな。ぼんやりと心斎橋の街で信号待ちをしていた。

アップルストアのあたりの信号だ。
おや?なにかがおかしいぞ。なんだろう。

道幅だ!2mほどの横断歩道だ!

前のめりに倒れたら頭くらいは渡りきれる横断歩道。車は来ていない。渡ったらええねやんこんなん。

こんな規則をいちいち守ってるからおかしくなんねやん。
周りを見渡せば広告広告また広告。コントロールアンドコントロール。

僕は決めた。薬を飲むのはやめよう。それで死んでもよしとしよう。ノーモアコントロール。そいで僕は信号無視をした。


その一歩から病院通いをやめて薬を飲むのもやめた。
しばらくはひどい頭痛や離人感に悩まされたけれど、やがてそれもおさまって、今となっては濃い思い出だ。
その間、割った皿の数は何枚だろう。見捨てないでくれた人に、何を返せるかもわからない。


この間10年くらいかな、
狂っていたなぁと思う。いま、凡なる自分がそれを思い出して、おもしろいなぁと思う。
おもしろいけど、なかったほうが楽だったよなぁとも思う。
迷惑をかけたなぁと思う。
それでまた死にたくなるということもあるけれど、もはや死にたくなるということが冗談のはじまりのようにも思えて輝きはじめたりして。

ゲッツ!!

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この文章を最初に書いたのが2019年の3月。色々と書き足したが何を返せるかはまだわからない。
それでまた死にたくなるということもあるけれど、もはや死にたくなるということが冗談のはじまりのようにも思えて輝きはじめたりして。

ゲッツ!!


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