くもをさがす

ようやく読みました。
購入から1年近く経ってました。
1年前に買った時は娘がまだ1歳前で、しかも私が職場復帰したばかりでてんやわんやだったこともあり、貸してました。

母に貸し、義姉に貸し、返ってきたのが最近。
やっと読める!
娘も一人遊びできるようになってきたし。
そういえば息子が1歳半くらいになって、読書時間が確保できるようになった時、私は泣きたくなるほど嬉しかった。
そんなことを考えながら表紙をめくりました。

読み終わってから、何と言っていいのかわからないまま余韻に浸っていた。
・セルフチェック、健康診断しようと思った
・カナダ、海外で暮らすことについて学びがあった
(日本と諸外国の考え方や制度の違いは考えさせられた)
・西加奈子さんの強さ、弱さが伝わってきた
というような読書感想文的な感想は簡単に思いつくけれど、もっと何か違った感情があるのにそれをうまく言葉にすることができない。

筆者本人のいう通り、闘病ではなく、治療を行ったものであり、この本は闘病記ではなかった。

バンクーバーに住んでみたいと思うほどに魅力的なカナダの暮らしが綴られた文章に引き付けられた。

西加奈子さんの著書はいつも文章からすごいパワーや勢いが感じられる。
テレビ等で話している姿を見ると、「なるほどパワフルな人が書く文章ゆえのパワーだ」と納得させられる。
でも「くもをさがす」の印象はこれまでの著書とは違った。
作品中に出てくるニシカナコさんはパワフルなんだけど、友達のような近さを感じる女性だった。
テレビの中の西加奈子とは違った気がした。
カナダに住んでいたから?
ガンになったから?
でも、それはそれで自然体であり心地よかった。

人生は(闘病は)いつだって誰だってドラマチック。
著者の治療が終わってピークを迎えたあたりでは私も一緒に喜びの感情があった。
ガンに関する闘病記は亡くなったり、寛解した時点で終わるものが確かに多い。
治療後にバーンアウトのような状態になることを私は知らなかった。

まさに「それでも人生は続く」。

私も30代半ばを迎え、子どものころにあんなに怯えていた「死」への恐怖がなくなってきた。
みんなに平等に訪れるもの。
あの世があるのなら、この先、歳を重ねるにつれ、祖父母や親、親族、知り合い、友人と誰かしらが待ってくれていると思うと死は怖くないのかなと思えるようになった。
でもきっと、私が病を宣告されて、死が自分の隣にあると分かったとき、きっと私は「生」にしがみつくのだろう。
子どもが20歳になるまでは…就職するまでは…と考えるけれど、きっといくら歳を重ねても欲が出て、孫を見るまではとか言って生きようともがくのだろう。
たとえ風邪でも、コロナでも、胃腸炎でも不調が出るだけで不安になり、病院に行き、2度とかかりたくないと心から思っているのだから。

私の身体のボスは私。
私は私。
どんな状況でもそう思えるのだろうか。
身体の一部を失った時でも、その身体を好きになれるだろうか。

やっぱり西加奈子はパワフルだ。
かっこいい。
惚れる。

抗がん剤治療などを経て褒められるけど、本当はやりたくない、仕方なくやってるとか正直すぎて笑えた。
そりゃそうだ。
誰だってそうだ。

先日、私の好きなテレビ番組の「病院ラジオ」が放送されていた。
ガン患者の皆さんとサンドウィッチマンの会話を聞いて、もし自分が宣告されたらとまた考えてしまった。
自分だけとは限らない。
自分の親、兄妹、夫、子どもたち、友人。
その場面において自分にできることはなんなんだろう。

前に作った死ぬまでにやりたいことリストを見直して、少しずつやってみようと思います。

今日はこの辺で。

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