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「永久に許さない」という選択肢

気持ちの悪い男に追いかけ回されることが何度もあったと彼女が言う。おれは男だから、ストーカー被害に遭う、怖い思いをするということがまったくといってない。むしろ、恐れを与える側(男)なのである。

彼女と一緒に歩いていると、勿論、変な人間は近づいてこない。弱いやつはか弱いひとを襲おうとする。いちどだけ思いきりわざと肩を強くぶつけられて逃走されたことはある。

聞いていて無言になってしまった。男性不信になる悲しい話を聞いて、おれは道すがら「男たるものや女性を守らないでどうする」と嘆いた。好かれたきゃ、嫌われることをするなよ。

自衛をしなければいけない女性の気持ちを考えると、男という生き物はまあ相当楽だ。鼻をほじりながら夜道を一人で歩いていても平気だ。

男性不信といえば、おれもそうなのかもしれないと思った。人間不信であることを常々言ってきて、そんな自分を責めてもいた。許さなければいけないと思い込んでいた。許せば、自分が楽になるからだ。考えなくても済むからだ。

べつに「許せ」と言われたわけでもないけれども、強迫観念のような感じで「許さなければならない」と自己暗示をかけていた。

へんに思い込もうとしなくてもいいな。そう思うようになってきた。まだ怒りを抱えているわけだし、まあ怒って当然だよな。

虐待のことを話すたび、いつまでも過去にしがみついている自分、環境のせいにしているような自分がいるようでいやだった。どこからともなく「前を向け」と責め立てられているような気持ちになった。

許せ。はい、許します。そんな程度の話だろうか。涙をこぼしながらされていやだったことを話す人の顔を、おれは忘れられない。

憎いあいつに今も縛られている。癪なんだよ。そう思うと許すとか、そういうんじゃないなあと思う。お前なんてどうでもいいんだよ、おれの頭からどっかいけと言ってやりたい自分がいるのだなあと思う。

胸ぐらを掴んで殴ってやりたい。しかし殴ってやるほどの価値もないよな。


「永久に許さない」という選択肢

自分の人生だから、自分がいちばん楽しくいられたらいい。深い傷は癒えるのに時間がかかる。許さなきゃってこっちが頑張る必要はない。恨み抜く時間も大切だ。

好きなことをやる。好きなひとと過ごす。そうして時間を楽しさで満たし、いやな思いを考えないで済む時間が持てたらいい。

この先も魂そのものが救われることはないかもしれない。何度も思い出しては感情が荒れるかもしれない。それが死ぬまで続くかもしれない。

でもおれはいま確実に生きている。ざぶんざぶんと大波でゆれている。それがあるときふと収まって、凪のなかにいることに気付く。

世界を信じ直すためなら、いくらでも時間をかけてもいいと思える。そのためだったらなにをしてもいいと思える。葛藤があるのは世界を信じるために努力しているからだ。

一日中、雨が降り続けている。こんな日は文章を書く。本を読む。おれはどこへ向かっているのだろう。わからないけれど、きっともっといい世界を目指しているに違いない。

生きてます