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モグモグと食べる姿が可愛かった

アパートの周囲の家々が取り壊され、更地になった土地に一軒家が続々と建設工事中だ。驚くことに隣接している区画だけで四軒。日曜を除く、午前8時から日が暮れるまで、延々とトンカチをガツンガツンと打つような轟音が鳴り響いている。2月頃から始まったか。これが7月まで続くという通知がポストに入っていた。ボロ切れのような薄手のタオルが一枚おまけのようについていて、わかる、わかるけれど、うるさいものはうるさいなあと思う。

今日は午後に2時間ほど母親が家に来たので話していた。先日、自殺未遂をした叔母は家族みんな鬱病だと聞いていたのだけれど、改めて診断が下されてみると鬱病ではなかった。統合失調症だった。

山手線から外れたところにある病院に入院している叔母のところに母が面会をしに行き、「なにしてんだよお前!痛かっただろ!」と言ったら、叔母は泣き出し、釣られて母もボロボロと泣いてしまったようだ。

母はいつになく疲れているように見えた。普段は根本的に元気な人だから、少し心配になった。元気がなくなっている理由があると言うので、具体的に何がきっかけになったのかを聞いてみると、今後同じようなことがあった場合に延命措置をするかどうかの選択を仕事中にかかってきた電話で応答しなければいけなかったらしい。

神妙な面持ちで俺と彼女と弟は話を聞く。俺が「その時どういう気持ちになったの」と質問をすると、前に一緒にご飯を食べた時、叔母(母の妹)のモグモグと頬張る姿がとても可愛かったのだという。その姿を思い出すと、死について考えなければいけないことがつらかったのだと言った。

俺はもらい泣きしそうになった。母は泣いていた。こんな暗い話をしてごめんねと言う。これで暗くならないほうがおかしいでしょ、それに暗いから悪いってわけじゃないからねと言った。

延命措置はしないでほしい。それが叔母の意思だった。それを尊重するほか選択肢がない自分自身に母は葛藤を抱いているように見えた。俺は下を向いたまま何も言えなかった。家族全員が沈黙していた。

叔母が住んでいたアパートの荷物は区がすべて撤去してくれるらしい。その前に貴重品などはあらかじめ取りに行かないといけない。入院生活が夏まで続けば保護費は出なくなる。退院するにしても元の生活に戻れば、同じような結末を迎える可能性が高い。他者の目がある施設に入ることが叔母にとって一番いいのかもしれないと話し合った。叔母もそれを望んでいるという話だった。

母は「これから検査があるから」と言うので、あげるのが遅れていた誕生日プレゼントを渡して、玄関まで見送った。

キッチンのテーブルの上には母が置いていったリンドールのチョコが3個転がっている。母が自分の誕生日に、自分へのご褒美に買ったと言っていた。「5個入りで安かったの。300円だよ。普通一個100円するよ」。そう嬉々と話す母に「じゃあ全部食べればよかったのに」と言ったら、母は「私タイミングが合わないと食べたくなくなっちゃうタイプなんだよね」と言った。

俺と弟と彼女で一個ずつ食べた。突き抜けるような甘さがアイスコーヒーとよく合った。工事現場のトンカチで叩く音は鳴ったり止んだりを繰り返している。


生きてます