悲しみで花が咲くものか!
ネガティブすぎてどん底に落ちたが、なんとか這い上がれそうな兆しを見つけた。
つまるところ、俺は希望を見失っていたのだ。
子供のころ、屈託がなかった。まあみんなそうかもしれないが。それは十代半ばまで続いた。しかし、ある時期を境に地獄へ落ちていった。
人をまるで信用できなくなった。
それから月日が経ち、自分の人間が好きな部分を引っ張り出したくてたまらなくなって、冒険に出た。
好きな人もできて、自分にだってまだ幼心を取り戻せるんだと自信がついた部分もあった。でも、それは長くは続かなかった。
結局、人間関係に苦痛を感じてしまうことが度々あった。あった、というか、それは起こった。
こんなに頑張ってきたのに、努力してきたのに、やっぱり俺は社会生活には向かないのか。そんな絶望感が自分を襲った。
だが、諦めたらそこからスタート。母親が口癖のように昔、言っていた。「どん底に落ちたら上がるしかないからね」と。
俺は性格が悪いから、どん底に落ちたままずっと這い上がれないパターンもあるでしょうよとは思ったものの、それを言うなら、こうしてブログを書く必要なんかなくなってしまう。
ここで朽ちてしまわないために。ありとあらゆる変化球を投げてきたわけだ。障害にぶつかるたびに。過去、できなかったことが今できるようになるために。
それはもうどん底から少しだけだとしても這い上がった証拠じゃないか。そう思う。
俺は俺だ。誰と比べるでもなく。
薬指を痛めてしまって、エレキの練習ができなくなった。弾くことだけが練習ではない。音楽を聞くのも大切だ。
だからいろいろ試しに聞いてみている。たまたまサンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」のライブ動画を見つけて聞いていたら、「悲しみで花が咲くものか!」と叫んでいた。
俺は悲しみでも花は咲きそうだと思ったが、共感しているコメントが多くて、それを読んでいるうちに、たしかになあと気持ちが変わってきた。
あまりにも悲しみが溢れている。これ以上、もういらないのかもしれない。もう十分、悲しみに暮れた。
喧嘩も見飽きたし、やり飽きたし、感情に優劣をつけるわけじゃないけれども、怒りに飲み込まれすぎた。
そして、涙が流れた。ぽろぽろと。時にはぐわあっと。
さすがにもう少し、喜びや感動が必要だろう。願っても手には入らないけれど。
落ちた。落ちきった。涙は地面に落ちて、消えた。
俺が残したものは、俺だった。君が残したものは、君だった。
使い古された世界の中でも、まだ見ていない景色があるはずだ。さあ、どこへいこうか。
生きてます