千年前の月を見る


noteを始めてから5つほど文章を書いていますが、今の所ジャニーズの話しかしていなかったことに気がつきました。たまには他の話、趣味の話でもしてみようかなと思います。

私は基本的にジャニーズのことばかり考えて生きていますが、和歌鑑賞も趣味です。
百人一首を学びたいという理由で大学を決め、学生時代は4年間がっつり古典の世界に浸る毎日を送っていました。

和歌が好きな理由はいくつかあるのですが、一番の理由は【千年前の人たちと感情を共有できる】からです。


和歌には多くのジャンルがあります。愛を歌うもの、別離を惜しむもの、貧しさを嘆くもの、季節を楽しむもの。

千年、もっと前から人々は気持ちを言葉にし、歌として伝えるために和歌を詠んでいました。

千年前の日本は現代社会と何もかもが違います。言葉も環境も習慣も、今とは異なるものばかりで今の“当たり前”が“当たり前”ではない。
それほどまでに千年という年月が生み出す文化の差は長く、遠く、大きく、深いものです。


ですが、そんな中でも共通しているものはあります。
人を想って歌を詠んだ心情や、桜を見て美しいと思う心、望郷の念を抱いて見る月。
これらは時代や環境が変わろうとも普遍的であり、いつの時代も分かり合えるものです。

私たちは千年前と比べると非常に便利で快適な生活を送り、穏やかであり激動でもある時の流れの中ぬくぬくと暮らしています。
ですがそこには、現代社会ならではの悩みも多く存在しています。SNS疲れ、過剰労働、デジタルの発展による複雑な人間関係。令和を生きていく上で完全には逃れられない悩みたちです。


何かで心が追い詰められ精神的に苦しくなったとき、ふと空を見上げれば月が私たちを照らします。花は咲き誇り冷えた心を温めてくれます。

千年前とは決して全てが同じではないけれど、今見上げている月や花だけは千年前の人と変わりません。月や花、人や自然を愛おしい、美しい、儚い、切ないと抱くその感情も。


現代に生きる私たちは、自分の思ったことを形にしたい時にツイートしたり、ブログに書いたり、歌にしてみたりします。
当時の和歌も同じです。いい天気だという日常のことや貴方が恋しくて苦しいということ。和歌は皆が経験しているであろうそれらの感情を、各々の技巧を凝らしながらみずみずしい言葉と感性で表現しているのです。

和歌に限らず古文全般に言えることですが、昔の言葉は何を言っているか分からないことから苦手意識が生まれ、距離を置かれがちです。

ですが、そこで意味が分からなくとも現代語訳や注釈を読み意味や技巧を理解し、背景や歌人の人生を知った上でもう一度鑑賞してみてほしいです。言葉の意味や込められた想い、どのような心情で詠んだのかを理解していくと同時に、私達の頭に思い描いた和歌に詠まれている世界はモノクロからカラーへと変化し、情景が鮮明に頭に浮かび上がってきます。

そのひとつひとつの工程が、千年前の人々と心を通わせることができる道のりになります。
一人で抱えていた悩みや苦しみを“月”や“花”を通して長い歴史の人々と共有し、心の重りが軽くなったり新たな道や考えに行き着く。

和歌の素晴らしさはそこにあると信じています。
人々の気持ちにそっと寄り添ってくれる三十一文字の言葉たち。


もしぼんやりと心にもやがかかっているときは、和歌に触れてみてください。

和歌があなたの心の道標になりますように。




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