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【小説】Written In The Stars

それは何度も出会ったはずの感情なのに、もう二度と出会う事のない感情のように錯覚してしまう。そんな抱きしめたくなるような愛おしい感情が、生きているこの瞬間の美しさを象徴していた。


二月、夜の冷たい風は街を沈黙させた。僕は、白いランニングシューズの靴紐を結び、誰もいない世界を駆け抜けた。

この電信柱からあの電信柱まで、三十メートル。

自分の腕を、脚を大きく振り、内臓を自ら痛めつけるようにフル稼働する。夜の寒気は、激しく動く肺を鋭く刺す。それでも呼吸を続ける。

人生はランニングだ。何度もすれ違う電信柱のように、人生にも同じような間隔で何かの出来事に遭遇する。また、同じように体を酷使して前へ進む。

走る事を止めようと思えば、止められる。この道を戻ろうと思うなら、戻れる。それでも前へ進み続ける。

前に進むのは、なぜこんなにも難しいのだろうか。

いくつもの電信柱を通過する度に、次の電信柱に出会う。

いつもその繰り返しで、それはどれも一瞬で過ぎ去っていった。

振り返ると、さっきまで先にあった電信柱は遠く後ろへ残されており、その遥か彼方には、悲痛な表情を浮かべているが、どこか楽しげな自分が息を切らして走っている残像も見えた。

ただ、何の為に走っているのか分からなかった。もしかしたら、ただ走っているのではなく、何かから逃げる為に走っているのかもしれない。

「道の真ん中を走るな!」

驚いて道の端に避けると、頭に白いタオルを巻き、軽トラックに乗ったお爺さんが、何度もクラクションを鳴らしながら横を通過していった。走ることに必死で後ろから来た車に気が付かなかった。

人生とランニングを同列に考えていたら、世の中にある当たり前の事を忘れかけていた。歩く道にはルールがあること、出来事は電信柱のような等間隔ではないこと、他人の行動に過剰に文句を言ってくる人がいること、現実にはそんな当たり前があることを忘れかけていた。

ついに信号で足を止めた時に、妄想から急に現実に引き戻された気がした僕は、世の中のルールに敏感になった。誰もいない交差点の信号を守り、道路の左側を歩き、道に落ちている空き缶を拾って捨てた。そして、なんとなく誰もいない横断歩道で手を挙げて渡ってから家に帰った。


春一番が吹き荒れる三月の初旬。三週間後には大学の卒業式を控えている。僕は、相変わらず同じメンバーで友人の家に集まって、思い出話に耽っていた。

「もう卒業だよ。信じられる?」

「信じられねえな。この間まで半袖短パンで校庭走り回ってた記憶しかない。」

「お前、中学の時ずっと寒そうな格好してたもんな。」

「今じゃ暖房も25℃じゃないと耐えられないよ。」

十四の頃から、どこへ行くにも決まってこの四人だった。それぞれが地元から近い大学へ進学した事もあり、二十二になった今でも頻繁に会っていた。

「中学の時同じクラスだったあの子、結婚したらしいよ。」

「俺らってもうそんな歳か。早いな。」

「お前らって結婚とか考えてたりするの?」

「いや、彼女が欲しいとか、そんなもん。」

「そう考えると世の中って色んな人がいるな。」

ソファーで仰向けになり、天井を見つめながら友人たちの会話を聞いていた。聞こえてくる会話全てがいつもと変わらないテンポで、雨音のメロディーと相まって、聴き慣れたアコースティックソングを聴いているようだった。

「中学の頃からこのバンドしか聴いてないんだよね。」

「なんだっけそれ。」

「中学の時、俺が昼休みに放送室ジャックして、一週間同じ曲流したあのバンド。」

「ああ、嫌でもあの曲が思い出の曲になっちゃったよ。」

「その曲、流すか。」


会話に入る気にはならなかった。この会話が子守唄ならすぐにでも寝れるなと、変なことを考えていた。

すると突然、部屋に置いてあったレトロなスピーカーから、その外観には相応しくない激しいロックソングが流れ始めた。そして、イントロで響いた鋭いギターの音が、日常の平穏を突き破った。

あまりにも大きな衝撃は、何故か不安を駆り立てた。それと同時に、中学時代、このイントロのせいで、この曲が昼休み中に流す事を禁止された曲であったことを思い出した。彼らもすぐにそれに気付き、大きく笑いながらすぐに別の曲に変えた。

穏やかな曲が流れ始めた後、平凡な雰囲気に包まれた。平凡な雰囲気は、平凡な会話を呼び戻し、再び聴き慣れたテンポが流れた。

「卒業式って、社会人になったらもう二度とないんじゃない?」

「定年退職って卒業って感じじゃないもんな。」

「確かに。」

「そういえば、お前のとこの大学って卒業式いつ?」

心地の良いテンポが止まった。そして、自分で途切れたテンポを繋いだ。

「三週間後。まあ、行くか分からないけど。」

「なんで?」

「いや、友達そんないないし。地元近いのにわざわざ大学で友達作る気にならなかった。」

地元の友人と遊ぶ機会が多い事から、大学で友達を作らずにいた。大学生活では、同級生のLINEのメッセージに絵文字だけで返したり、キャンパス内で彼らとすれ違う時には、気付かれないように下を向いて歩いていた。その結果、四年間で一度も気の知れた仲になった人はいなかった。

「出会いって大事だよ。」

「そうそう。俺は結構いるぜ。大学って色んな人いるし、面白いよ。」

「色々って言っても、大学に結婚した同級生なんていなかっただろ。」

自分でも何を主張しているのかよく分からなかったその言葉は、何故か自分が想像しているよりも感情的になっていた。

大学の同級生は、みんな一色に見えた。流行のファッション、流行の音楽、流行のSNS、流行の遊び方。一方で、このメンバーには個性があって、集まる場所全てがカラフルに見えた。それぞれに夢があり、歴史があり、主張がある。

「そうだけど、まあ、友達が多いに越した事はないでしょ。」

「うん、まあ、そうだけど。」

僕は、大学に友人がいないことを主張して、この変わらないメンバーが何よりも特別だという事を強調したかったのかもしれない。

でも、そう考えていたのは自分だけで、それぞれが大学でコミュニティを持ち、この場所以外でも上手くやっていたようだった。

この感覚に少し違和感があった。彼らが大学でどんな事に没頭しているのかは、実は知らない。野菜嫌いだった僕が野菜を食べるようになったことを、子供嫌いだった僕が学童でアルバイトをしていることを、勉強嫌いだった僕が大学に入ってから勉強熱心になったことを、彼らは今の僕の姿を一度も見た事がない。

僕らは、部活や勉強に切磋琢磨していた中学時代とは明らかに違った。彼らは、このメンバーを特別だと思っていないのだろうか。思い返すと、集まっても思い出話だけで会話が終わる日もあった。

このメンバーとの関係に不安を覚え始めた頃、他の「地元が同じ」という共通項を持つ人間の多くとは大きな距離ができた。地元で昔の友人を見かけても、避けて歩くようになった。大学生になったとはいえ、つい最近まで同じ教室で授業を受け、地元の祭りに行っていたような仲だったが、気が付くと歩く方向を変えていた。

何が変わったのか、何が間違っていたのか、何度考えても分からなかった。

この日は友人達と別れた後、中学生の頃に頻繁に通った道を傘をさして歩いた。この四年間、何度もこんな気分になり、その度にこの道を歩いたが、何も思い出す事はなかった。

一時間ほど学校が見える公園のベンチに座ってみたが、さっきまで会っていた友人達と自分の過去の映像が、ハッキリと目に映るような濃度でフラッシュバックするという見慣れたものだけだった。


雨は一日中続いた。この日の夜は眠る気にならなかった。

今日あのソファーで聞いていた会話が、時間差で鼓膜に訪れた。結婚だとか、就職だとか、今まで聞いた事のなかった言葉が多く聞こえた気がする。

自室のベッドで数時間前と同じように、天井を眺めて寝転がっていた。天井には何もなくて、考え事をするのに丁度良かった。まるで天井がスクリーンとなり、自分の目からプロジェクターのように思考が投影されているようだった。

結婚の話題で出た名前は、中学時代に付き合っていた彼女の名前だった。彼女の名前を思い出すと、目の前のスクリーンの映像が、制服を着た幼い彼女の映像に切り替わった。

彼女と僕は、仲が良かった。

当時、彼女はメールアドレスに、自分の名前と僕の名字を合わせた名前を入れていた。学校中で噂にされたけど、彼女がいればそれで良いと思った。好きだったバンドの歌にあった「君より大事なものがあるわけない」という歌詞が丁度自分に当てはまっている気がして、むしろ気分が良かった。

何より彼女がそのメールアドレスを気に入ってくれている事が嬉しかった。彼女が自発的にしたとはいえ、彼女として僕を背負ってくれている気がして安心していた。

彼女は、本当の意味で優しい人だった。僕が優柔不断な一面を見せると「思慮深い人」、体力測定で握力の数値が低かった事を話すと「物を大切にする人」、少食で体が大きくならない事を話すと「燃費が良い人」と名前を付けてくれた。

僕の前で本気で笑って、本気で泣いてくれた人だった。そんな彼女が本当に名字を変えて、僕らの話題に出てきたのだ。

スクリーンに投影された映像はここで終わった。そういえば長い間、彼女とは会っていなかった。

連絡先も知らなかった僕は、彼女のSNSを探し出した。どの友人よりも圧倒的にフォロワーの多い彼女の投稿には、どれも数百の「いいね!」が付いていた。そして、彼女がもうすぐ子供を授かる報告をした投稿には、大量の祝福メッセージで埋め尽くされていた。

何もかも順調に進んでいる彼女の邪魔をしたくないと思い、すぐに携帯を置いた。

きっと相手の男は誰よりも幸せ者で、生まれてくる子供は、同じ瞬間に生まれた誰よりも幸せな人生を歩むだろう。

誰が何と言おうと、彼女の人生は美しい。

気が付いたら、午前三時を過ぎていた。


三週間前のあの一日を繰り返すように、卒業式までの時間が流れた。

僕は、学校のエスカレーターに乗っていた。エレベーターの匂いも、頭上で点灯する「7」という文字も、この四年間で馴染みのあるものになった。七階には、大学でお世話になった先生の研究室があった。この三週間で卒業式の事を考えた結果、せめてお世話になった先生に挨拶がしたいと思い、卒業式へ出席することにした。

大学に友人のいなかった僕は、先生と話す機会の方が多かった。

そもそも、居場所がある僕に、ここでのコミュニティは必要がないと信じていた。

グループでの実習がある授業では、同級生とのコミュニケーションを避ける為に、積極的に先生にアプローチした。時には不思議がられ、「君は積極的だね」と言われた事もあったが、「勉強したいので」と言えば先生が喜ぶ事や、この行動によって周りの同級生が自分と距離をとる事も分かっていた。

そうして自ら選んで独りでいた僕は、いつの間にか先生には気に入られていた。それでも成績が伸び悩んだことは想定外だったが、それ以外は全て思惑通りに進んでいた。

研究室に行くために何度も使ったこのエレベーターが、独りの時間を強調させる。今日が卒業式という晴れの日なだけに、少し息苦しくなった。

先生のいる研究室をノックする。就職活動で何度もドアの音色を中指で奏でた事を思い出した。部屋の中で待っていたのは、何度も見てきた強面の面接官とはかけ離れた笑顔の先生の姿だった。

先生は笑顔のまま、無言で握手を求めた後、思い出話を嬉々として話し始めた。

「君は本当に真面目だったね。」

「ありがとうございました。先生のおかげで卒業できました。」

「君の成果だよ。よくがんばったね。これからは辛い事もあるだろうけど、愚痴くらいなら聞くよ。」

「辛い事」と聞くと、今年の初詣で訪れた神社で、来年は厄年だと知った事を思い出した。今思い悩んでいる事もこれから増幅して、来年には厄年を迎えると考えると恐ろしかった。

「そういえば、君の卒論。良く出来てたよ。本当に。でもね、私はね、君が真面目だったから卒業は心配してなかったけど、あまり同級生と話さないから、それは少し心配したよ。」

「楽しかったので、何も後悔はないですよ。」

思った通りにそう伝えると、先生は「そうか」とだけ言って、思い出したように別の話を始めた。

思い出話は、自分が大学に残してきた唯一の存在証明のようなもので、確かにここで自分が成長したことを再確認して、少し誇らしくなった。

会話を始めて十分ほど経っただろうか。再び就職活動に呪いをかけられたように、お祝い事には相応しくない深々としたお辞儀をしてから挨拶をして、部屋を後にした。


受付時間終了の五分前に会場に向かった。会場は小規模だったので、同級生と思わしき人はすぐに認識できた。そして、すぐに自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「待ってたよ!席が学籍番号順だから、近かった。」

「そうなんだ。あとで行くよ。」

「そうだ、後で記念にみんなで写真撮ろうぜ。」

大学での僕は、中学時代と全く違うあだ名で呼ばれていた。呼ばれ慣れないそのあだ名は、大学という自分にとって居心地の悪いコミュニティにいる時間を強調しているようで嫌いだった。自分を正しく呼んでくれるような、あのメンバーで集まっている時間だけが特別だった。

何十回と繰り返し練習させられた中学時代の卒業式と違い、大学の卒業式は淡々とした雰囲気で閉会した。そして、待ち侘びていたかのように、学生達は会場を足早に後にした。

僕は彼らの表情を眺めながら、パイプ椅子に座ったままでいた。彼らの笑顔を眺めていたら、いつの間にかその人混みの中にいた。すると、後ろから再び自分の名前を呼ぶ声がした。

「みんなで写真撮るよ。会場出て右のところね。」

そう言って彼は忙しなく人混みに消えて行った。

僕は、一度立ち止まった後、自然と言われた通りに歩き出していた。そして、会場の人混みをかき分け、何かに期待するように、会場を出て右にいる別の人混みへ向かった。

「お、春休み長かったから久し振りな気がするな。」

僕は相変わらず下を向いて歩いていたが、その声が明らかに自分に向けられて発せられたものだと分かった。

顔を上げると、多くの人がこちらを向いていた。そのほとんどが、笑顔だった。

「就職先決まった?勉強頑張ってたし、やっぱり良いところでしょ?」

「いいところじゃないけど、あの、第一希望のところに、決まって、うん。」

「やっぱすげえな。いつも授業が終わったら図書室で勉強してたもんな。」

「え?あ、そうだね。勉強、してた。」

いつもより大きな輪の中で、自分の話題が思ったよりも長く続いたので、少しだけ驚いた。

「みんな四年生になってから、お前のこと、尊敬の眼差しで見てたよ。お前みたいに四年間もっと勉強してればなーって。」

「そっか。でも、大学って色んな人がいるし、」

三週間前にあれだけ嫌悪していた言葉を使って、目の前の状況を簡単に片付けようとしていた。本当は正しい生き方があると信じていて、正しいと思えない物を排除したかった。多様性を認めるフリをして、「色々な人」と言ってしまえば、どんな生き方も肯定できると勘違いしていた。

そう勘違いしている間は、人と真剣に向き合っていないのかもしれない。大学にいる人間を「色々な人」と形容したのは、まさに僕が同級生と真剣に向き合ってこなかった事を意図しているようだった。

「あんまり難しく考えないで。」

急に話が変わったので、頭の中で考えていた言葉が口から漏れていたのかと思った。

「え?」

「いや、いつも難しそうな顔してるから。」

「あ、ちょっと考え事してた。」

「お互い、これから辛い事ばかりだと思うけど、難しく考えてたらキリないから。勉強は教えられないけど、これは覚えておいて。」

彼は、僕が考え事をしている時と同じような難しそうな顔で話し始めた。その「辛い事」が、社会人としての責任の話をしているのか、お互いに来年迎える厄年の話をしているのか、また別の話なのか、とにかく、何を意図しているのかわからなかった。しかし、その言葉を言い終わった彼の表情が明るくなったので安心し、少しだけ彼のことを信頼できた。

「また、会おうか。」

「そうだね。」

四年間の日常で一度も交わさなかった約束を、卒業式の日に交わした。

初めて交わした約束だったにも関わらず、不思議と彼らとまた会える気がしていた。今日が別れの日であるはずなのに、未練も後悔もなかった。ただ、彼らとの関係がこれからも続いていくような自信があった。

気が付いたら、会場は自分だけになっていた。



卒業アルバムも無ければ、集合写真も遊びに行った写真もない。家に帰ると部屋に寝転び、卒業式にかけられた声だけを思い返していた。

天井のスクリーンに映し出された僕の思考は、今までと違って穏やかな感情で見ることができた。

独りだと思っていた勉強も、就職活動も、先生との時間も、必ず誰かが見ていて、それを認めてくれた。長かった四年間を、認めてくれた人達がここにいた。身近な人達が気付かなかったこの努力を、遠いと思っていた彼らが認めてくれたのだ。

そうやって思考が整理された後、自分の周りの交友関係がフラットになった気がした。そして、特別だと思っていた人達に、全てを依存していたことに気が付いた。

思考はさらに遠くへ遡り、見知らぬ土地で、必死になって友人を作ろうとしていた高校時代を思い出した。部活が同じ、趣味が同じ、クラスが同じ、一つずつ共通項を見つけて、丁寧にコミュニケーションをとっていた。こうやってコミュニティを作るんだと、再認識するまでに四年かかってしまった。

僕は携帯を手に取り、LINEに溜まっていたメッセージを全て開き、送られてきた卒業式の写真を全て保存した。そして、一人一人に、絵文字とメッセージを返した。

そして、四年もかけて新しい特別な何かに気が付いた時、いつもの決まったメンバーに会いたくなった。


全員が新卒入社前の春休みとあって、遊ぶ事には積極的だった僕らはその日の夜に集まった。

「卒業式どうだった?」

「それがさ、面白かったんだよね。」

「だから言ったろ。」

「こう、なんかさ、みんな意外と俺のこと見てくれてて、嬉しかったんだよね。地元の友達とは、また違う感じだった。」

「距離が近いと錯覚するよな。子供の頃の友達って、席が近かったとか、塾が一緒とか、そんなもんじゃん。限られてんだよ、選べる人が。要するに、選んでないってこと。」

当たり前のことを忘れていた。このメンバーは、遠い未来で出会っても、どこか遠い場所で出会っていたとしても、この場所に集まっている運命だと確信した。何が僕らを引き寄せたのか、僕らが何で繋がっていたのか忘れかけていた。

「距離が近いだけの友達なんて、ただ喋っているだけで楽しめるような友達と比べたら、何の意味もないよ。」

彼らも分かっていたのだ。このメンバーが特別だということを。特別な時間だけを共有していたことを。人間関係は、時に遠近感を感じることがあるが、必要な時に、必要な人が近くに来てくれるようになっているのかもしれない。

「また、会おうか。」

「そうだね。」

この日はポップソングのようなテンポで会話が続いた。自ら奏でたそのテンポにのせて、普段と変わらない話を続けた。そして、どこかで聞いた言葉を自らの口で言い放ち、僕らは帰路についた。

目を覚ますと見た事のない景色が広がっていたが、それは朝の光だった。深い眠りから覚めた後だったが、朝の光ではなく、何か穏やかな光に包まれた感覚は確かに残っていた。そして突然、走り出したくなった。

人間関係なんて、もっと簡単なはずだ。それなのに、自分で崩して、積み直して、泣いて、笑って、自傷行為のように自分で自分を苦しめては、自分の手でその傷を癒して、何かに救われたような気持ちになる。

人生の真夜中のような時間は、この感覚を思い出して過ごせば良い。

自分が想像しているよりも遥かに大きな世界で僕たちは生きている。

朝焼けの光を浴びながら白いランニングシューズの靴紐を固く結び、新しい世界に飛び出した。


※この物語はフィクションです。

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