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2度目の日本最北端と、2度目の日本最南端。

 JRの最北端と最南端の駅はご存知だろうか。最北端は北海道の稚内駅、最南端は鹿児島県の西大山駅だ。最北端の駅はここ50年以上その座を譲っていないが、最南端は沖縄にモノレールができたことで鉄道全体では最南端ではなくなっている。

夏の旅人は最北端を目指す。

稚内の風は夏でも冷たかった。1度目の稚内。

 稚内の訪問は2009年と2013年。どちらも大学の夏休みだった。大学には長いこと通っていたものだ。

2009年の訪問は自転車旅行の最中。札幌から宗谷岬を目指して自転車を走らせてやって来た。稚内の市内から宗谷岬までは結構距離があるし、風が強い。弱い雨と強い横風に煽られながら宗谷岬に着いた時には、ホットコーヒーが飲みたくて自販機まで一目散に走ったのを覚えている。(が、真夏だったのでホットコーヒーは無かった。)市内に戻ったあとフリースを買い込んだ。

 夜は防波堤ドームの下に泊まった。防波堤としての機能の他、サハリンがまだ日本領だった頃、連絡船の桟橋と駅とをつなぐアーケードとしても使われた歴史の深い場所だ。北海道をツーリングする者にとって、防波堤ドームは一度は泊まってみたい場所だった。こう書くと何か聖地のようにも思えるが、何の事は無い。野宿に重要なのは雨風が凌げる場所なのだ。夜が明けると友人と落ち合うため、朝一の列車で自転車を輪行袋に宗谷本線に乗って旭川方面へと向かった。まだ旭川の駅も建て替え前だったのを覚えている。

生まれ変わった街の玄関口を見て。2度目の稚内。

 2度目の稚内はさらに北を目指した。当時就航していた稚内ーユジノサハリンスク航路でサハリンへ向かうための前泊地が稚内。9月初旬の稚内空港に降り立ってまず驚いたのは、雨模様とはいえ東京とはまるで違う冷たい風が吹き付けてきたことだ。そしてさら驚いたのは、バスで辿り着いた稚内駅前が綺麗に再開発されていたことだ。

 駅は元々の位置から数十メートル後退し、元々駅舎が建っていた場所はロータリーになっていた。駅はコンパクトにまとめられ、映画館まで入っている。「日本最北端 稚内駅」と言う旅情を誘う駅標も無くなり、終端の車止めもモニュメント化していた。かつて最北端を目指した旅行者から見れば一抹の残念さはあったが、駅は市の中心部。時代とそこに住む人の要望に対応しながら変わるのが自然だ。広大な駅舎は固定資産税もバカにならないだろう。雨の上がった夜に防波堤ドームへ向かったが、9月と言うこともあってか旅人は疎らだった。翌朝、船に乗ってロシアに向かったが、2度目の稚内は感傷にも近い形で心に残るものだった。パスポートに押された「出国 WAKKANAI」のスタンプを見るたび、そんなことを思い出す。

ローカル線の駅は開聞岳とともに。

1度目の西大山は静かな邂逅だった。

 話は南に移る。西大山駅は指宿枕崎線のうち、特に本数の少ない区間の駅だ。鹿児島からベッドタウンの谷山・五位野まではかなりの本数を誇るが、指宿、山川を越えてその先枕崎方面へ向かう電車は数えるほどしかない。
 夏は北へ向かったチャリダーはその冬、南へと向かった。さながら渡り鳥。東京から一筆書きで鹿児島まで漕ぎ続け、枕崎から指宿を経て鹿児島市内でゴールする、グランドフィナーレ直前で訪れたのが西大山駅だった。この辺りに来ると、何でもかんでも本州最南端になる。若干食傷気味だが、駅だけは別。なにせ最北端を踏破しているから。これで南北制覇だ。駅は国道から少し入ったところだが、周囲にはさして何もない。当たり前だ。なにせローカル線の端の端。ホームの日本最南端の駅と言う碑がなければ、見過ごされてしまうような小さな駅だ。しかし、この駅の良さは、何と言っても目の前に見える開聞岳。薩摩富士とも呼ばれる名峰をバックに走る単行の列車。なんとも絵になる構図。平日の列車も来ない時間帯に駅を訪問する者は皆無で、この景色を独り占めできるのはなんと贅沢なことだろうと思った。

 平成最後の日に見た西大山は賑わいの中で。

 2度目の西大山は今年の4月30日、平成最後の日だ。開聞岳に登るために鹿児島中央駅の始発に乗る。山川で乗り換え、開聞岳が近づくと雨が降ってきた。開聞岳の登山口に近いのは東開聞駅。そこからは徒歩で向かう。開聞岳の麓はキャンプ場になっていて、そこを抜けると本格的な山道になる。平成最後の日は昼過ぎまでずっと雨だった。中腹も山頂も雨。眺望がないから楽しみも少ない。それでも連休中の山は結構な数の人とすれ違う。日本百名山とは凄いものだ。百名山は標高1500m以上が選定の原則だったなかで、開聞岳は例外的な低山だ。それだけの魅力を秘めた山なのだ。向こう側がすぐ海の独立峰。しかし眺望がないとその魅力もなかなか感じられない。行きと帰りが全く同じルートというのも少し味気ない。
 

 いそいそと下山をすること数時間。ようやく麓に降りるが、列車の時間まではまだ時間がある。バスも生憎走っていない時間。仕方がないので、時間つぶしに市内とは逆方向ながら数キロ先の西大山駅まで歩くことにした。8年ぶりの鹿児島。あのローカル駅はどうなっているのだろう。平成最後の日に、最南端の駅に行く人なんているんだろうか。そんなことを考えながら雨の国道を歩く。駅に向かう小道は8年前とおんなじだ。駅も見る限り大きく変わらない、小さなベンチとホーム。違っていたのは、駅前は駐車場ができていて、観光バスも止まっている。ちょっとした出店も出て何よりホームには観光客がたくさん。なんの由来があるのかわからない鐘を突いている。私が再訪するまでの間に、この駅は観光地として脚光を浴び、人が集まる場所になっていたのだ。駅自体は少し看板が立ったことくらいしか変わっていないのだけれど、その周囲はだいぶん賑やかに変貌していた。

何度も同じところへ訪れることの重要さ。

 同じ街でも、10年訪れなければ様変わりする。全国津々浦々、多かれ少なかれそうだろう。稚内は駅が変わり、西大山は駅の周りが変わった。この記事は都市論では無いから結論は無いけど、どんな場所であっても時が経てば変わると言うのは自明だろう。最北端、最南端というわかりやすい場所だからこそ、変化が目立っただけなのかもしれない。何にせよ、どちらも2度訪れなければその変化を伺い知ることができなかった。だから旅はやめられないし、アップデートし続ける必要がある。

#旅行 #稚内 #北海道 #鹿児島 #開聞岳 #最南端 #最北端  #北海道のここがえーぞ


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