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パソコン通信で難病の女性を救った話

◆はじめに

 この文章は1994年に上梓した『パソコン通信で英語がわかった』という書き下ろし単行本の「まえがき」として書いたものです。同じ内容の文章は、1987年にダイヤモンド社から刊行されていた「BOX」という雑誌にも書いたことがあります。

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 私は小学生の頃、食中毒にかかった漁船員を救うため、アマチュア無線家が国境を越えた無線の連絡で血清を届ける手助けをする『空と海の間に』というフランス映画を見たのがきっかけで、アマチュア無線に興味を持つようになりました。その後、パソコン通信を始めて間もない1987年に、この映画と似たようなことを体験することになりました。1989年にTBSテレビで後藤久美子の主演による『空と海をこえて』という単発ドラマが放映されました。これも難病の人を救うためにパソコン通信で情報のリレーをしていく物語でしたが、映画『空と海の間に』をモチーフに作られたドラマだそうです。ここで紹介しいる文章は、スケールこそ小さいものの、これらの映画やドラマのリアル版ともいえるかもしれません。

 では、どうぞ。

◆パソコン通信の電子掲示板にSOSのメッセージが

「難病にかかったガールフレンドのために、その病気の特効薬を探しているのだけれど、協力してもらえないだろうか」
 1987年4月のある日、アメリカのパソコン通信ネット「PAN」の日本人向け掲示板に、突然、こんなメッセージが書き込まれた。PANは「Pan Artist Network」の略で、マサチューセッツ州ボストンにホストコンピューターを置くパソコン通信ネット「Delphi」の中に、ネット内ネットとして設置されていた国際パソコン通信サービスだった。もともとは北米やヨーロッパのミュージシャンの情報交換用に開設されたものだったが、その一部が日本人向けに解放されていた。
 SOSのメッセージを書き込んだ発言者の名前はルーベンス。南米アルゼンチンから書き込んでいるという。彼のガールフレンドが必要としている特効薬は、アルゼンチンでは入手できないと医師から説明されたとのことだった。そこで、「ひょっとして医学が進歩している日本でなら何かわかるのではないか」と思いつき、日本人向けの掲示板にメッセージを掲載したのだという。
 日本人メンバーで最初にルーベンスのメッセージを見つけたKさんは、日経マグロウヒル社(当時。現・日経BP社)が運営していたと「日経MIX」という日本国内のパソコン通信ネットワークにメッセージを転載した。日経MIXに転載されたメッセージを読んだぼく(同じくPANの会員でもあった)は、PANの掲示板でオリジナルのメッセージを確認すると、“ある人物”にメッセージを転送することにした。

◆特効薬の情報は医薬品専門のデータベースで

“ある人物”とは、パソコン通信で知り合ったニューヨーク在住のユダヤ系アメリカ人である。この後、本書の中にたびたび登場する彼の名はメル・スナイダー。広告会社が集中するマンハッタンの五番街で、医薬品や医療機器の分野専門のPR代理店を経営するビジネスマンだった。

「メルなら仕事柄、最先端の医学にも詳しいはずだ。ルーベンスが探している特効薬についても、何か知っている可能性が高いのではないか」と考えての行動だった。

 このときメルはビジネスのために来日中で、大阪のホテルに泊まっていた。そのメル宛てに、これもアメリカのバージニア州マクリーンにホストコンピューターが置かれていたパソコン通信ネット「The Source(ザ・ソース)」経由でオリジナルメッセージを添えた電子メールを送信すると、すぐに返信が届いた。

 メルは、医薬品専門のオンラインデータベースで、ルーベンスの求める特効薬のことを調べてくれていた。この薬品は、アメリカのマサチューセッツ州ボストンにある大学で開発されたもので、まだ臨床試験が完了していないため、製品としての販売許可がおりていないという。メルのメールには、開発した医師の名前と連絡先も記載され、その全文をまるごと問い合わせをしてきたアルゼンチンの青年に送るようにとの添え書きがついていた。

 ぼくは、メルから届いた電子メールの内容を、そっくりそのままPANの電子掲示板に転載した。すでに日本は深夜になっていたが、最初に日経MIXでSOSのメッセージを発見してから、まだ半日も経っていなかったはずだ。

◆寝ている間に、すべて解決!

 2時間ほど仮眠をとった後で再びPANにアクセスしてみると、電子掲示板にPANの運営者からのメッセージが入っていた。

 特効薬を開発したドクターの勤務する大学とPANの本拠地の両方が、たまたま同じマサチューセッツ州のボストン市内にあったことから、掲示板のメッセージを読んだPANの運営者が、すぐに大学に電話をかけてくれたのだという。

 しかも、当のドクターとも連絡が取れ、アルゼンチンへの特効薬の輸送を了承してもらったというである。しかも、アルゼンチン大使館とアルゼンチン航空が協力して、特効薬の輸送に当たってくれることが決まったとも書かれていたのだ。

 アルゼンチンから発信されたSOSのメッセージは、アメリカ東海岸のマサチューセッツ州ボストンを経由して東京に届き、次にワシントンDCに近いバージニア州マクリーン経由で東京~大阪間を電子メールが往復した。そしてボストンに戻ったメッセージを読んだネットワークの運営者がアクションを起こし、その薬品がアルゼンチンに届けられることになったのだ。それも1日にも満たない短時間のできごとだった。

 最初にPANでSOSのメッセージを発見し、それを日経MIXに転載してくれたKさんも、その情報の転送をしたぼくも、まるでテレビドラマを地で行くような事態の推移に、ドキドキハラハラしながらパソコンの画面を見守っていた。おかげで、特効薬がアルゼンチンに届けられることになったという報告を読んだときは、全身の力が抜け落ちるような気分になったものだ。

「ガールフレンドが全快した。ありがとう」

 というルーベンスからの感謝のメッセージがPANの掲示板に掲載されたのは、それから3ヶ月ほどが過ぎてからだった。

 パソコン通信で知り合いになったアメリカ人が、たまたま医薬品に詳しかったため、こんなSOSにも応えることができたのだが、それんしても地球の裏側から発信された救援要請が、わずか半日ほどのうちに解決してしまうというのも、やはりパソコン通信ならではだろう。しかも、その情報の中継に介在したのは、Kさんやぼくのような“素人”だった。

 電話やファクシミリのような1対1のメディアを使っていたら、こんなに早く情報が伝達することもなかったろう。パソコン通信の電子掲示板という、不特定多数の人が読んだり書いたりできるメディアだったからこそ、その情報は、あっというまに地球の裏側にまで届くことになったのだ。

 もともと飽きっぽい性格のぼくが、パソコン通信だけは、スタートしてから8年以上も経つというのに、まだ飽きることなくつづけている。それも、この特効薬探しと似たような感動や驚きを何度も体験してきたからだ。

 パソコン通信をしていると、世界中の個人と個人が自由にコミュニケーションできるため、いつしか国境の存在さえも忘れてしまう。それが、いつわりのない実感だ。

 ただし、パソコンが使えても、パソコン通信ができても、それだけで世界の人とのコミュニケーションができるわけではない。どうしても共通の言語が必要になる。

 世界の共通言語が「英語」であることは、誰もが認めざるを得ない事実だろう。

 パソコン通信と英語――これは、世界を知るための、そして世界の人たちと理解しあうためには、必要不可欠な道具である。それも実に面白く、刺激に満ちあふれた“コミュニケーションの道具”なのだ――と、ぼくは考えている。

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