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ありがとうペンネグラタン(無意味な文章)

(注:世の中には意味のある文章が多すぎるため、無意味な文章を書いています。決して意味を見出さないでください)

 ほーほけきょ。きょうも庭でペンギンが鳴いている。

 想像しなくなったのはいつからだろうか。長い間ぼくらは想像しかしてこなかったから想像し尽くしてしまったのだろう、と語っていたのは近所のお姉さんだっただろうか。

 きびしい冬がやってきていた。

 気温がマイナス30度を下回り、家の周囲も白い雪で覆われてしまった。

 ぼくは部屋の隅に置いた骨董品の扇風機のスイッチを入れる。これは契約外の労働だぞ、と前時代の主張を振りかざすようにプロペラがぶんぶんと音を立てて回った。ぼくは首を振る扇風機から右往左往して逃げ回った。風に当たりたくないので。寒いので。

 げんだいの人々は生活に張りをなくしてしまったらしい。世の中は大変なことで満ちていたのに、ぼくらはそのほとんどを解決してしまった。それはとても素晴らしいことだったはずなのに、ぼくらは全部がふつうになったので、ふつうしかわからなくなってしまった。

 どうすれば治るのだろうか。せんもんの人は『当たり前のものに感謝しよう』と言った。なにかを作るのも良いらしい。

「よぉーし」

 ぼくは声を出して、腕をまくった。せんもんの人の言うことをちゃんと試すのだ。ぼくは素直なので。

 ぼくは料理を作ることにした。

 材料を用意して、レシピの通りにすればできあがる。いつも食べる分は作っているので、いつもと違いが出るようにたくさん作ることにした。

 ちょっとして、たくさんの材料が届いた。ぼくはキッチンで手を洗った。ひろいキッチンが狭く感じる。材料がたくさんあるからだ。たくさん頼んだので。

 レシピを開いて、あれをこれして、火をつけて。

 レシピを開いて、あれをこれして、冷蔵庫に。

 レシピを開いて、あれをこれして、オーブンに。

 レシピを開いて、あれをこれして、圧力鍋に。

 ぼくはどんどん料理を作る。時間がかかるものをさきにして、すぐできるものを後にして。

「ふぅ」

 ひといき。

 あとは待つだけ。たくさん作った。これで張りが出るのだろうか。出ているのだろうか。張りはたぶん目に見えない。出ていても、わからない?

 あっ、とぼくは思い出した。当たり前のものに感謝しなきゃいけない。それをしていないから、張りはまだ出ていない。たぶん。

「ありがとう、扇風機!」

 料理ができるまで、首振りから逃げながら扇風機に感謝した。少しだけぶんぶんという音が誇らしげになった。

 時間になったので圧力鍋のふたを開けた。

「ありがとうビーフシチュー!」

 次にオーブンを開ける。

「ありがとうペンネグラタン!」

 フライパンのふたを取る。

「ありがとうハンバーグ!」

 それからぼくは、作った料理ぜんぶにありがとうを言った。ぼくが作ったから料理ができた。当たり前だ。ぼくは当たり前のものに感謝した。

 たくさん感謝したらちょうどお腹が空いたので、たくさんある料理をぼくは一口ずつ食べた。

 いつもよりおいしかった。

 ありがとうが返ってきたみたいだった。これが生活の張りかもしれない。さすが、せんもんの人の言うことはすごい。せんもんの人は、賢いので。

「あっ」

 そういえば。

 ぼくは感謝を忘れていた当たり前のものに気が付いて、カメラへと振り返った。

「きみも見てくれてありがとう!」

(EON)

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