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咲いて咲いて肩に檸檬(無意味な文章)

(注:世の中には意味のある文章が多すぎるため、無意味な文章を書いています。決して意味を見出さないでください)

 神出鬼没、と言われる少女がいた。これは、その少女の正体を8年ぶりの再会で知ったというだけの話である。

 彼女とは幼少期から共に過ごした、という点でいえば『幼馴染』と表現できるのかもしれないが、個人情報と呼べるものは名前と容姿しか知らなかった。どこの学校に通っているのか、どこに住んでいるのかも教えてくれない。ただ近所の遊び場に行けばよくそこにいたし、携帯端末を手にしてからはメッセージのやり取りもしていた。

 彼女が神出鬼没と表現されるようになったのは、どこから来てどこへ帰るのかわからない、ということも十分にあったし、具体的にそういうエピソードも存在する。なんと彼女は、学校の遠足や旅行行事の行先にも現れたのだ。

「よっ」

 まさかこんなところで、と驚いている僕に対して、彼女はなんとも軽い、いつも通りの様子で軽く手を挙げていたものだ。さすがに3回目くらいになると僕も驚くというよりは(またか)という状態になっていて、そういう状況を知った周囲の大人たちが「神出鬼没だ」などと言い始めたのはまぁその通りだったといえる。

 彼女の特徴としては、全体的に『整っている』という印象だろうか。目を引くような美人ではないが、ここがいまいちと指摘するような箇所がない。そういう目が好きな人もいるだろうし、そういう鼻が好きな人もいるだろうし……といった風貌である。髪型は、幼少時はロングヘアで、徐々に短くなっていき15歳頃にショートボブの長さで落ち着いたが、どんな髪型の時でも丁寧に櫛を入れ『整って』いた。小学生の頃は僕よりも15センチは高い身長だったが、成長してみれば160センチ弱と平均的で、来ている服の値段はよくわからないものの、几帳面にアイロンをかけられただろう皺のない服をいつも来ていた。カジュアルよりはフォーマル寄り、といったコーディネートが多かったように思う。うん。整っている。

 そんな彼女が現れなくなったのは大学進学と同時だった。高校卒業後、いつものように偶然街で会って、流れでカラオケに行って別れて、3日後くらいに『上京する。じゃあな』とそっけないメッセージが届いた。

「会った時に言えよ」

 思わずそうつぶやいたし、色々な感情が渦巻いていたものの、メッセージには『元気でな』と返信した。詳しいことは聞かなかった。どうせ教えてくれないし。

 それからの時間の流れは、彼女の存在を軸にすれば一瞬だ。

 大学に進学し、地元で就職した。ごくまれに『元気?』『まぁまぁ』程度のやり取りはしたが、身の上を話さない彼女と特別聞こうとしない僕のコミュニケーションはどれも味気ないものだった。いつしか頻度も低くなり、僕も社会人としての忙しさに追われて彼女のことを思い出すことは少なくなった。

 そして彼女と最後に会ってから8年が過ぎ去ったこの夏。

 僕は仕事の都合で一人で上京して、ちょっとしたトラブルがありつつもなんとか及第点という状況に持ち込んで、疲れた頭でため息を吐きながら駅からホテルへ歩いていた。

 道が合っているかと地図を確認して、顔を上げる。するとふと、視界の端の色とりどりの花に気付いた。地元に比べ東京は花が少なかったな、花屋ってこんなに暗くなってもやっているんだな、とそんなことを思って、ちょっとした癒しを求めていたのか自然と足がそこに向かった。

 僕が店先に到着するのと、奥から店員が出てくるのは同時だった。

 僕も相手も、とっさに声が出なかった。

「……よっ」

 彼女がそこにいた。

 ちょうど店を閉めるところだった、という彼女とそのまま近くの安居酒屋に入った。初めて酒を酌み交わし、予想外の再会とアルコールによって饒舌になった彼女と僕。そこまでの条件が合わさって、ようやく彼女についての解答編が始まった。

「私の親、華道家と花屋なんだ。まぁどっちも変人で、世間に興味がないというか、たまたまぶつかって受粉したから結婚しました、みたいな夫婦。子供の私にも無関心というか、まぁ水と肥料と陽の光があれば育つと思っていたのかもしれない。母親なんて、私が泣いたり不満をぶつけると頭をなでて大丈夫、綺麗に咲いてね、なんて言ってたし。それで泣き止む私も私だけど」

 注文したサラダや唐揚げをつつきながら、彼女は赤らんだ顔で、初めてその身の上を語った。

「父親が家を買ったからって小学生になってからあそこに引っ越したんだけど、転校してもなんだか馴染めなくて。それで学校に行きたくないって愚痴ったら父さんが別にいいんじゃないかって。そしたら母さんもそれもそうねって。今でもよくわからないけど、特に自然なことのようにそう決まっちゃったのね。一応学校から先生が来たりなんなりしてたみたいだけど、家庭教師とか通信教育とか、そういうので補いつつ行きたくなったら行こうねみたいな、あやふやな感じに落ち着いた」

「え、じゃあほんとに学校行ってなかったの?」

「高校は一応、定時制に行ってたけど」

「じゃああれは? 遠足とか修学旅行とかにいたの」

「お金は割と自由に使えたから、タクシーとかでついていった」

「自由すぎるだろ」

「……うらやましかったんだよね」

 彼女は、ため息と一緒に吐き出した。

「学校の外で友達も作れたし、大人数で遊んだりもしたけど、そういう行事的なものは、うち家族旅行もしなかったし、なんにもなくて。なのに、あんたが楽しみって感じで明日あそこへ行くとか話すせいで」

「人のせいにするなよ」

「あはは」

 彼女は子供の頃となにも変わらない表情で笑う。しかし、スッと大人びた──大人になった顔を見せる。

「みんなが大学に行くってときに色々考えた。母さんに綺麗に咲いて、咲いて咲いて、って言われても、私は日光浴してるだけで誰かに買ってもらえるような……父さんに選ばれるような花が咲くわけじゃないし」

「うん」

「でも、母さんが世話した花はちゃんとみんな綺麗に咲くんだよなぁとか考えてたら、私も咲かせてみたいなって、ちょっと思って」

「それで花屋に?」

「まぁね。……でもさ、自分でやってみて、ちょっとわかったんだよね。せっかく仕入れて、ちゃんと管理してるはずなのに弱るのがいてさ、母さんの真似して言っちゃうの、咲いて咲いて。綺麗に咲いてって。そしたらさ、もちろんダメになっちゃうのもあるけど、急に元気になってぐんぐん伸びて、弱ってたのが嘘みたいに綺麗に咲くのがいてさ」

 彼女はぐい、とグラスの残りを飲み干し、大きく息を吐いた。

「だから母さんも、弱った私に言ってたんだなって。しおれないで、大きくなって、綺麗に咲いて欲しかったんだなって。なんとなくわかった」

 彼女は、大人びた表情のまま、控えめに笑った。

「そしたら、色々楽しくなっちゃって」

 まだまだ仕事で苦労していた僕にとっては、無性にそれが眩しく見えた。神出鬼没で正体不明の少女はちゃんと大人になっていて、これから綺麗に咲くのだろう、と心の深いところで確かに思ったのだ。

 * * *

 その後、ひとしきり話して一息ついた彼女がお手洗いに立ち上がって、ふらついて、テーブルの皿を思い切りひっくり返すわグラスは倒すわでなんとも締まらない大騒ぎをしてから、久しぶりの邂逅はお開きとなった。

 地元の奴らに見せてやろう、と最後に二人で写真を撮っていた。翌日になってその写真を彼女に送る。既読がすぐにつく、なんてことはない。

 咲いて咲いて。綺麗に咲いて。

 今日も彼女は、そう植木鉢に語り掛けているのだろうか。そんな想像しながらなんとなくその写真を眺めていたら……僕はその写真の重大な秘密に気が付いた。最後に彼女は盛大にテーブルに突っ込んだので、その時に、奇跡的に載ったのだろう。

 僕は笑いを噛み殺しながら、写真に続けてメッセージを送った。

『咲いて咲いて。肩に檸檬』

(EON)

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