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努力、友情、サイクロプス(無意味な文章)

(注:世の中には意味のある文章が多すぎるため、無意味な文章を書いています。決して意味を見出さないでください)

 都内某所の喫茶店。店内に流れる穏やかなBGMとは裏腹に、小さな衝立で区切られた席のあちこちからは、声をひそめようとしても抑えきれない、熱気のこもった議論が展開されていた。

 この喫茶店は大手出版社の本社が近くにあるために、己の創作に命を懸ける漫画家とプロの編集者が日々切磋琢磨する戦場でもあったのである。

「今時ね、こう頻繁に持ち込みするような熱意と手の速さが伴った若手って少ないから私も君には期待してるんだよね。だから今日も率直な意見を言わせてもらうけど」

 とある4人掛けの席。漫画家と相対しながら早口で捲し立てたのは有名少年誌の編集者だった。この男、どこからともなく有望な新人をデビューさせることから業界内ではちょっとした有名人であった。

「ストーリーの起承転結は良くなった。最初に転の一部を見せて興味を引いているのも良い。主要なキャラクターにもアイコンとなるような特徴がついて君というクリエイターの個性も見えるようになってきた。正直、枠が空いてるならすぐに読み切りとして掲載できるレベルだと思う」

 正面に座る漫画家は、ズボンの膝を両手で握り締め、表情をこわばらせた。これまで何度も繰り返した打ち合わせでわかっている。ここからが本当の始まりであると。

「けれど、このままだと読者の記憶には刺さらない」

「記憶に……刺さるですか?」

「これを読んだ読者はこう思うだろうね。あぁ、面白かった。じゃあ次を読もうって」

「すぐに忘れられてしまうということですか?」

「まぁ、そう。読み終わった時にね、例えば自分が主人公だったらどうしただろうとか、この作者は他にも作品があるのだろうか検索してみようかとか、単純に続きが読みたいとか、なんでもいいんだ。『考えさせる力』が抜けているんだよ」

「それは……」

 指摘された漫画家も、既に一定の実力のあるクリエイターである。

「わかる気が、します。名作ってやっぱり1話から殴られるというか、そう……刺さるんですね?」

「そう」

 編集者は力強くうなずいた。

「うちの雑誌のテーマが『努力、友情、サイクロプス』なのは知っているよね?」

「もちろんです」

「今回の話には努力も友情もあった。けれど」

 漫画家ははっとして、目を見開いた。

「サイクロプスが、足りない……?」

「そう、そうなんだ」

 サイクロプス──ギリシャ神話に登場する一つ目の巨人である。

 漫画家はテーブルの上に広げていた原稿を取ると、勢い良くページをめくっていく。

「足りない……確かに、この漫画にはサイクロプスが足りません……」

 破天荒な主人公。いじっぱりだが優しく魅力的なヒロイン。残忍で強大な悪役。痛快な結末。しかし、そのどこにも──

「サイクロプスが足りない……!」

 愕然とし頭を抱える漫画家を見て、編集者は満足そうな笑みを浮かべた。店員を呼び、漫画家の好物をいくつか注文すると伝票を持って席を立つ。

「次回はその作品の直しでも、新作でも良い。サイクロプスを入れるなら、まずはヒロインからだ。期待しているよ」

「はい! 出来たらすぐ連絡します!」

 立ち去る編集者。残されたテーブルの上で猛烈にペンを動かす漫画家。その光景は漫画誌に載せられる少年漫画に負けないくらいに、熱いドラマのワンシーンのようであった。

 そう、『努力、友情、サイクロプス』はこの場所にもあり、だからこそ、ここからまた次の名作が生まれるのである。

(EON)

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