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こころにのこる文章: 「レヴィ=ストロースを悼む」 写真家 港千尋

下記、港千尋氏の寄稿。
日本経済新聞朝刊 2009年11月6日

レヴィ=ストロースを悼む 写真家 港千尋

 フランスのある田舎では昔、誰かがなくなったとき、司祭が蜜蜂にそれをささやき、村に野に告げるよう言ったという。レヴィ=ストロース氏の訃報が伝えられ嘆き悲しんでいる世界の中には、きっと人間だけでなく、蜜蜂たちに知らされた草花や動物たちもいるだろうと私は思う。涙の一滴一滴を通して、彼が書いてきた言葉が浮かんでくる。この世のもっとも小さないきものたち、いちばん弱きものたちのうちに、かけがえのない価値を見出した思想家は、100と1歳の誕生日をまたずして、静かに自然の中で息をひきとった。

 その名は「構造主義」とともに華々しく紹介され、「人類学の父」とも称されてきたが、その精神がなしとげた仕事はひとつの主義や学に収まるようなものではない。主著のひとつ『野生の思考』で彼が示したのは、自然を前にした人間の心がもつ驚くべき思考と想像力であり、その分析は現代の科学と芸術にたいし根底から見直しを迫るほど衝撃的なものであった。

 ある問題にたいし臨機応変に対応する知性を「ブリコラージュ」にたとえ、日曜大工を意味するこの日常語を、現代思想の重要な概念へと練り上げた。熱帯雨林や、砂漠地帯に生きる人が自然を理解する仕方を見つめ、石器時代から細々と生きてきた知恵を総合して、危機の時代に生きるための希望へと昇華させようとした人は、ほかにはいない。

 類まれな感性の人でもあった。画家を父にもち、18世紀音楽を熱く語るいっぽうで、アンドレ・ブルトンと交わり、マックス・エルンストやポール・デルヴォーに強く感応した。ベストセラーとなった『悲しき熱帯』には1930年代にブラジルで撮られた写真が収められている。奥地に半裸で暮らす人間たちの、やさしさとはかなさが定着されたイメージは、知性と感性がバランスをとるときに見えてくる、人間のほんとうの姿として、私を深く揺り動かした。

 偉大なるペシミストの眼は夜明けの色をしていた。晩年にはグローバル化を憂い、単一化された文化はもはや私の好きな世界ではないとまで言った。多様性こそが、人間の一番大切なものなのに、文明は裏切りを続けている。私たちに知恵は残されているのだろうか。

 お会いしたのは一度だけ、90歳のときである。『レヴィ=ストロースの庭』でも触れたが、中沢新一さんと行ったインタビューで、とつぜんハロウィーンの話をされた。子どもたちが悪霊の姿で練り歩くお祭りは、死者の霊が人間ととりもつ「贈与」の行いのですよ、と。カトリックの暦では万聖節の前夜、すべての死者を想起する古代的な記憶の節目である。まさにその夜、レヴィ=ストロース氏は、大いなる世界へと旅立ったのだった。

 帰り際に手作りの蜜蜂のお酒をふるまわれたことを思い出す。ああ、蜜蜂たちは、いつか涙を蜜と交換し、戻ってきてくれるだろうか。いまはただ、偉大なる知性と感性が、やすらかに、世界のすべての霊たちとともに、私たちを見守ってくれることを祈り続ける。

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