見出し画像

恥ずかしさを流通させる

婚活なるものを始めてみた。具体的には、結婚相談所に行って継続的な契約を済ませてくるというのが、その意味である。なんだか防御的な書き方になっているのは、まだそれを恥ずかしいと思っている自分がいるのだろうし、そうなのだと思う。結婚相談所に相談するような、パートナーがいない自分と認めたり、そういったものに頼るということへ、恥ずかしさ。こういうことを書いているのは、それを「書いておかないと」、自分の恥ずかしさというものに殺されてしまうから、はずかしいはずかしいと言いながら、書いている。『山月記』にあるように、恥ずかしさによって自分を虎にしてはならないのだ。虎になってはいけない。だから、少しずつ恥ずかしさというのを解除していく。まあ、恥ずかしさそれ自体の論理はその辺にしておいて、もう少し婚活の話を。で、写真を撮るのだけれど、おすすめの写真館を教えてもらい見たけど、2万弱かかる。で、写真だって別に普通というか、カメラマンに撮らせたらこのくらいできるだろうというほどで、まあどうしたもんかねと思う。もったいないというより、なんかこれに乗っかってホイホイとお金を払うのが嫌だなと思う。なんか、工夫して楽しむ方向ができないかなと、友人にカメラが得意な人はいなかったかなとか、美容室はいつものところでセットしてもらえればよかろうとか、なんかそんなことをかんがえている。ああいう、誰もがしてますよというものに身を晒すのが恥ずかしいのであれば、所詮誰かが自分を好ましいと思うかどうかのものであるのであれば、要はなんだって良いのだと思う。工夫していたり、逆に言えばそういったものが伝わることが大事なのであって、相手に届くようにするメディアでしかない。写真を通じて、伝播すること。それだけが大事であり、「婚活は特殊な写真で」という意見はさほど意味はないのである。じゃあ具体的にどうするかというのはある。いちおう写真は必要だ。ここで、ひとを頼ることを積極的にすべきなんだと思う。あ、前職のひとを思い出した。いちばん関係なさそうで、でもめっちゃ助けになるひとがいた。自分は交流していてよかったなあ。手伝ってくれるかわかんないけど。あと大学時代の友人もいるが、まあそっちも面白そう。なんか、自分の恥ずかしさじたいが、こうやって誰かと自分をつなぎ、私じたいがメディアとなり、流れをつくるのであれば、こんなに楽しいことはないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?