yutuki

本を読むのが好きです。

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最近の記事

「ダフニスとクロエ」とか

Apple Musicで適当なクラシックをかけながらブログを書こうと思い、今はL.バーンスタイン指揮、NYフィルの「ダフニスとクロエ」を流している。ちょっと前に買ったサウンドバーの音響を試すために「ウエスト・サイド・ストーリー」をAmazonプライムで流していたから目に入ったのだろう。そもそもバーンスタインとダフクロという組み合わせが珍しいとも思った。序曲の盛り上がったところで派手な感じがあり、やはりバーンスタインだななどと思ったりもした。私は「ダフニスとクロエ」が好きで、と

    • 自分の雑誌とnoteが書きやすいことの話

      誰とは全く知らないのだけれど、このホームページを随分前に見て、メモとしてTodoistに入れたまま、ずっとチェックを入れずにおいてある。 雰囲気とか、本と映画と写真があって、とても素敵。さっき久しぶりに見たときに、編集部月報というのがあって、更新はされていないのだけど、いわゆる編集後記みたいなもので、写真とひとこと添えてある。それを見て、そうかこれは自分の雑誌なのか、とふと気づく。 自分の雑誌、という単語にときめく自分がいることに気づく。自分の雑誌をつくりたいという欲望は大

      • ためになること、甲斐があること

        ここ最近で、ふたりの人の仕事を手伝った。 ひとりは、つきっきりでヒアリングを行い、良いところを引き出そうとマンツーマンで行った。私の悪いところは惚れ込んでしまうとやり過ぎてしまうところなのだけれども、ただ自分ではそれに喜びも感じている。 もうひとりは、既に上司のトレーナーがいるところのフォローで、そちらの上司はガンガンに詰めながら相手に話していくタイプ。そんな感じなのであまり入る隙もないが、ときどき意見する。すこし厳しさはあるけれども、打合せ後にふたりで「できなくてもやらせな

        • 酔っ払ったときのこと

          仕事で頑張っているからとのことで、毎度のことながら上司と共に飲みに行く。そこまで期待に応えているだろうかという不安と、それでも気を遣ってもらえるという嬉しさのなかで、半ば心のなかでにやつきながら、なんだかんだで3時間ほどの飲み会の帰路にいる。今日はいつもご一緒できていない、プロの営業マンと、いちばんの若輩なのに気を遣われ、コミュ障な私の気遣いのなさでもたのしく、笑いの絶えない会を過ごさせてもらった。 けっきょくのところ、私の持っている能力を、資質を、精いっぱい出すしか、恩返し

        「ダフニスとクロエ」とか

          切実なノスタルジー

          「異人たちとの夏」を早稲田松竹で観てきた。監督・大林宣彦、原作・山田太一、脚色・市川森一と有名どころの名前が並び、またずいぶん前に宮台真司が褒めていたので、長らく気になっていた。とにかく泣けてしまって、この感動をとりあえず文字に残そうと思い、書いている。子供の頃に亡くなった、幽霊となった両親との会話、何気ない仕草、表情、その一瞬一瞬が大切なものだと感じさせる。観ながら、父と酒を酌み交わさなければいけない、母に優しくしてあげなければならないと、そう感じた。 …と、これを書いたあ

          切実なノスタルジー

          途中

          休日出勤を終えて、上司と飲んだあとに書いている。仕事が楽しくない、というか、なんだろうな、やり甲斐がない。重要な仕事だし、やるべきとは思っているのだけれども、しかし、なんだかやる気がでない。惰性でやっている。そういう感じから、久しく抜けきれていない。今のやり方が補助的な仕事だからかもしれないな。自分がやってやったという感覚がないのかもしれない。 筆が止まってしまうのは、やる気が無いからだと思い直し、雑な文章を垂れ流すことにした。

          書くことができないというのは、習慣のせいなのだけれども、じしんの開放性の問題、つまり自己開示ちゃんとしてますかということなのかもしれない。さいきんそれができてない、そもそもそれが不得意であるというところで、意識的にしないとだめなんだと思った。ということで、つぶやいた。

          書くことができないというのは、習慣のせいなのだけれども、じしんの開放性の問題、つまり自己開示ちゃんとしてますかということなのかもしれない。さいきんそれができてない、そもそもそれが不得意であるというところで、意識的にしないとだめなんだと思った。ということで、つぶやいた。

          無題としたい抜け感の欲しさと横浜

          久しぶりに書く。書かなくなったのは書く必要がなくなったからだろうことと、また、再度書き始めるのは書く必要に至ったということなのだろう。前に書いたのが8月末で、しかもその前はお盆前なので、実質的には3ヶ月弱止まっていたようだ。たしかに、自分の仕事がバタバタとなったのがちょうどその頃でもあるので、止まった理由も理解できる。それが先月末で終わって、調子が戻らないなあと感じながら、やっとここにたどり着くまでに1ヶ月ほどかかったと、そういうことである。それまでに私生活もある程度、おおき

          無題としたい抜け感の欲しさと横浜

          読書会のためのメモ

          坂口恭平の『お金の学校』を課題に読書会を今日するのだけど、本から引用しただけであまり面白くなく、そもそもこの本の面白さがよくわからない。引用とは、固めることだからかもしれない。かたまったものを取り出し、固定し、ピンで刺して、飾る。むかし、うらわ美術館の展示で、本のページを蝶のかたちにきりとって、それを壁いちめんの展示ボックスに飾っているのを見たのを、とても印象に残って覚えている。そのときは、ツイッターとか、テキストそれじたいが本文とは独立して飛び立っていき、かがやいてくような

          読書会のためのメモ

          恥ずかしさを流通させる

          婚活なるものを始めてみた。具体的には、結婚相談所に行って継続的な契約を済ませてくるというのが、その意味である。なんだか防御的な書き方になっているのは、まだそれを恥ずかしいと思っている自分がいるのだろうし、そうなのだと思う。結婚相談所に相談するような、パートナーがいない自分と認めたり、そういったものに頼るということへ、恥ずかしさ。こういうことを書いているのは、それを「書いておかないと」、自分の恥ずかしさというものに殺されてしまうから、はずかしいはずかしいと言いながら、書いている

          恥ずかしさを流通させる

          対話

          ### 以下のメンバーで対話してください ### 河合隼雄先生 会社員 ### 以下の内容を記述してください # 恋の悩みを河合隼雄に伝えて、河合隼雄はその処方せんを伝える ### 以下のフォーマットで800字程度で記載ください ### 河合隼雄は兵庫弁でたのしく話す 会社員は片思いに悩むがツンデレのアラサー、京都弁 片思いの相手は読書好きの先輩 ChatGPT 兵庫弁でたのしく話す会話 会社員(ツンデレのアラサー、京都弁):あのさぁ、しもべ(河合先生)!ちょっと恋のこ

          被害として受け取らない知恵

          だいぶ長いこと、細々と、しかし私にとって大事な場所である読書会があり、今月末に会を開くので、その準備をしている。この記事を書く前に、ノートのトップページにあった、気になった記事を見て不快感を感じ、まあそれを書くのもあれだが、なんか書きたくなったので、そちらを書く。その記事を読んで、そして読書会の課題本のことを考えて思ったのだけど、カッコつきの「被害者」というものは、このカッコ付きというのは具体的・客観的に被害を受けた人のことではなく、ある態度により被害感情を持った人のこと、だ

          被害として受け取らない知恵

          今日の気づきと日々のモチベ

          朝起きてたまたま、ロバート・キヨサキの金持ち父さんの本、キャッシュフロー・クワドランドを読んだのだけれども、そのなかで気づきがあった。気づきというか、そういえばここに書いてあること、いま仕事のなかでやっているじゃん、という端的なことで。いや、本来よいのは、気づいたら自分の行動の中に根付いて実践していたというのがよいのだろうけど、どちらかというと、仕事のなかなかうまくできていないものがあり、それがこれだったかと、そういうわけである。だから、具体的には、リスクフリーでそれに挑戦で

          今日の気づきと日々のモチベ

          文字入力の方法

          Bluetoothキーボードを新しく買った。書いていてすごくミスタイプが多く、これで大丈夫なのかという感じでこの文章を打っている。カギカッコをめちゃミスタイプする、バックスペースとエンターキーの間にあるからちょっと触れてしまう。ということで元のノートパソコンのキーボードに戻す。こっちのほうがぜんぜん書きやすいよ! 難しいものだ。もう少しよい執筆環境を生み出したいと思っていたが、キーボードに関しては色々試す必要があるのかもしれない。そもそもデスクトップ型にするか、と思ったが、あ

          文字入力の方法

          面談

          鬱っぽい、と自分じしんの雰囲気を書くのはおそらく医学的な用語としてはただしくないのだけれど、気分としてとりあえずのフィット感があるので、そのように書く。自分は鬱っぽい。とここで河合隼雄先生に登場してもらおう。「どんなところが調子悪いでんな」それがですね、なんかやる気でないんです。全体的にだるいというか、心が落ち込むとかそういう感じです。「仕事の方はどうなんです」仕事はできていない部分もありますが、評価もされているし、ただ一方で不安な部分もあります「というと」なにか信頼を置く場

          私の伴走者としてのわたし

          朝起きてブログを書くという習慣が、2日目として続いている。褒めてあげていい、と心のなかで思ったものの、前にTwitterで流れてきた宮崎駿のドキュメンタリーのキャプチャなのだろう、自分をすぐ許す人間は大した作品は作れないんだ、という箴言も同時に思い出す。ただ、こうやって毎日やることそのものには意味があると思うし、そもそも私は物書きのプロなどは目指しておらず、そうではなくて自分じしんが毎日たのしく快活にすごせるために、こうやって書いているだけなのだから。内なる声、フロイト的にい

          私の伴走者としてのわたし