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被害として受け取らない知恵


だいぶ長いこと、細々と、しかし私にとって大事な場所である読書会があり、今月末に会を開くので、その準備をしている。この記事を書く前に、ノートのトップページにあった、気になった記事を見て不快感を感じ、まあそれを書くのもあれだが、なんか書きたくなったので、そちらを書く。その記事を読んで、そして読書会の課題本のことを考えて思ったのだけど、カッコつきの「被害者」というものは、このカッコ付きというのは具体的・客観的に被害を受けた人のことではなく、ある態度により被害感情を持った人のこと、だから被害感情を持った人、のほうが正しいのだろうけど、そういう人は楽しくないな、つまらんな、たいしたことないんだと思った。自分じしんをつまらなく、たのしくさせないだけでなく、その被害感情が生じたきっかけの当人すらも、つまらなくたのしくさせない、おそろしさもある。一方、私もそのようなつまらない人間になるときが、ときどきある。そういったときどうすればいいのかなと思う。たのしく、流れており、素直であり、よどみがないということの謂であって、ポジティブシンキングというのとは、ちょっと違う。『中動態の世界』で学んだスピノザの考え方でいえば、コナトゥスが十全にいきいきしている感じで、スピノザ的な能動態であること。つまり、外的な刺激にたいして、おおらかであるってことで。ただ、おおらかだけでなく、いわゆる積極性があるような、つまり坂口恭平的な感じ。なんだろうなあ、「覚悟するって、大変なことでないんです。逆です。楽なんです。このカラクリを知ると、まじ覚悟することが止まらなくなります。はい、これはすなわち、勇気のつくりかたです。勇気ってのを作るコツを知らないと作れません。でもコツを知っていると勇気なんてすぐに作れます。材料は、生きるか死ぬかという覚悟と殺気だけです。あとは何も要りません。 気づきましたか? 経済に一番重要なものはお金ではありません。勇気なんです。つまり経済を作り出すとは勇気を作り出すことです。」そうか、勇気なんだな。覚悟と殺気なんだな。そうやって生きる感じを得ること。言葉にならないので、寄り道寄り道回り道をしていて、なんとなくかする瞬間を待ち望んでいるのだけど、でもさ、いまきゅーっと心臓のあたりが締め付けられる感じがなくなること、これを和らげるのでなく、きたきた待ってましたわたしの体よそんなに驚かなくて大丈夫よ、と声をかけることなのかも。

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