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noterさんと呼ばないで

プロフィール記事です。
経歴をまとめるでなく、いま考えていることやっていることのまとめ。

2018年の9月から無職をしている。予定では2020年の3月まで続けるつもり。これは自分で計算した「経済的な死」を回避できるギリギリのライン。

働いていないのは、自由を求めてるだとか社会に絶望したなんてことではなくて。30代で空白の期間を作るのはなかなか怖いけど、一度きちんと自分の頭で働くこと、お金、暮らしについて考えたかったから。このタイミングを逃すと今後向き合うのは体力的に難しそうだな、と。

全国にいくつかある拠点を気分や季節でフラフラ移動をして暮らしている。

「人生は死ぬまでの暇つぶし」なんて聞くことがあるけど、「人生は死ぬまでの実験」だと思ってる。新しく出会ったら自分が何を感じてどう考えるのか、どう作用してどんな結果になるのかを知りたい。

「やりたいこと」はないけど、「やりたくないこと」はある。
やりたくないことは全部やめた。

「やりたくないことを我慢してやっている人」が世の中にはたくさんいて、人それぞれの理由がある。生活のため、大切な人を守るため、そういうもんだから。

僕はそんな人たちを下に見ようとか、マウントをとろうなんてことは少しもなくて。考え方や視点が違うだけで、どっちが上とか正しいかには興味がない。巨乳が好きな人がいれば小ぶりおっぱいが好きな人、おしり派な人がいるのと同じ些細なこと。

僕も30年間「やりたくないことを我慢してやっている人」だった。
理由は「不満」と「不安」を天秤にかけた時に、常に「不満」を選んできたから。

たとえば、
「言いたいことを我慢する不満」と「みんなに嫌われて一人になる不安」
「興味がないけど我慢して働く不満」と「お金が無くて生きていけなくなる不安」
みたいなものを天秤にかけてはいつも「不満」を選んできた。なんか、その方が正解っぽいし。「不満」を選べば現状維持にはなるし。不安は怖いもん。

でもきっと、どんな生き方をしても不安は消えないんだろうなって。だったら不安だけを選んで付き合い方を考え抜こう、そう決めた。

真剣に向き合えば答えが出せないことはきっとないし、やり方はいくらでもある。

書くことが好き。

noteも好きです。最近はつぶやきの機能が気に入っていて、写真を撮ったら140文字ぴったりに言葉を選ぶのがおもしろい。

書くことがきっかけで出会えた人、友だちが増えてとっても嬉しい。

でも「noterさん」と自分を呼んでほしくないなって。
その敬称自体がどうこうとか、使ってる人をどうこうではなく、僕自身が肩書?なんとかの人?みたいに呼ばれることの違和感がひどい。しっくりきてない。あとnoteひらくの毎日じゃなくなっちゃってるし。

今日現在では「書くことで食べていきたい」までの熱量で思えていないのが正直なところで。

僕にとっての書くことは手段のひとつ、目的は「生きた証を時代に打ち付ける」こと。誰かの手に残したいし、自分の棺桶に入れるモノを作りたい。

そのために感動をたくさんできるように。違和感には敏感に。

20代に経験した、五感が弱くなって世界が無味無臭、色も音もなくなった恐怖を二度と味わいたくない。

部屋の隅で膝を抱えていた過去の自分の肩を抱けるように。
無茶やってたなと未来の自分に誇ってもらえるように。
今日の僕が最高の僕であることだけを大事にしたい。

いつどこで誰に嫌われるかも石を投げつけられるかもわからない世の中で、自分のことくらいは好きでいたいし味方でいてあげたい。

今日も今日とて、気ままに書いていきます。これからもよろしくね!



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