[自分語り] 幸せの定義

私は今、カフェにいる。そして2人がけの席に座っている。

目の前にはカウンターのテーブルがあり、大人の背中で埋め尽くされている。ほとんどがノートパソコンに向かって、文字をたくさん打っている。みんなスーツなのに、黒い帽子にもじゃもじゃ頭の個性的な服を着た人がいる。その人だけは縦書きで、小説のようなものを書いている。

当の私はというと、将来への不安で頭がいっぱいになっている。ふと気付くと、インターネットで「見込み残業代」「新卒定着率が高い企業」などと検索している。来年の今頃は、パソコンに向かって働いているかもしれない。

あれ、私のやりたいことってなんだっけ?

なんだか漠然とした不安がこみ上げてくる。

今見えている人たちの中で、一体どれだけの人が自分のやりたいことに人生を捧げることができているんだろう。今の仕事に満足している人はどれくらいいるんだろう。
大人って、なんなの?

大人には義務がある。教育の義務と、勤労の義務と、納税の義務の3つがある。

でも、私は義務感に追われて子どもを学校に行かせたくないし、仕事したくもない。常に何か目標があって、それに向かって頑張りたいと思う。
逆にそう思わない人もいる。最低限の義務を果たすことができれば、それで幸せな人もいる。

いろんなライフスタイルがあって、価値観もさまざまな現代において、幸せに生きるってどういうことか、もやもやと自分なりに考える。
私は、自分を信じて「今の自分は幸せだ」と思えることが、きっと人生の満足度に繋がっているんじゃないかと思う。

例えば私はとても太りにくい体質で、1日に摂取できるカロリーの許容を超えると、体調を崩してしまい全てが水の泡になる。だから、最近は太っている人を見るととても羨ましいと思う。
昔から、「ななえちゃんは細くていいなあ」と言われ慣れている。つい数ヶ月前までは、多少なりとも嬉しかった。私は誰かに羨ましいと思われている、周りから良い評価をもらえてるって。
だけど最近はそう言われると、複雑な気持ちになる。太れないより、痩せられる体質の方が恵まれていると考えているから。

幸せは誰かと比べるものじゃない。自分自身が感じることだと思ってからは、どうも私の体質が好きになれない。その代わり、それ以上不幸に思うことは特別何もない。

だから今もし、自分のことが好きになれなくて、幸せを感じられない人は、なんでもいいから自分を好きになる努力を続けてほしいと思う。そしてその努力に疲れたら、カッコつけずに甘えられる人にたくさん甘えてほしい。それは友達だろうが恋人だろうが、きっと年齢も性別も全く関係なくて、自分の弱いところを受け入れて接してくれる人。カッコつけずにってところが、きっと大切なんだと思う。


ねぇ、あなたは今、幸せ?


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