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なぜ若者は投票に行かないのか

今日、菅内閣が発足しますが、昨日ツイッターでは奇妙なハッシュタグが出回っていました。

# スガはやめろ

ツイッターの利用者の多くが、学生や働き盛りのいわゆる若者だと思います。
このハッシュタグでツイートしている人の何割が、毎回投票に行っているのか? と考えてしまいました。


言いたいこと言うだけ?

私の周りでも、投票に行かない上司や同期がたくさんいます。

ただその中には誰かしら、投票に行かずとも議員に対して意見や批判を「言うだけ言う」人がいるのでは?とも思います。
実際、安倍さんはどうだ、とか消費税高い、とかって言ってる人が多いので。

あなたの気持ちはわかるけど、言ったところで、それを行動に起こさなければ何も伝わらないのにな。と思いながら、「選挙には行かない」と平気で言う人を残念に思ってしまいます。

そしてその大きな原因として、若者が今、日本が抱えている問題を「人任せで見て見ぬ振り」しているからだと思いました。

それは政治に関心が薄く、何もしなくても「政治家が私たちのために働いてくれる」と心のどこかで思っているからなのではないでしょうか。

でも、実際は投票に行かない人が多い私たち世代ではなく、投票率の高い年齢層の人に、人気が出るように働いている政治家が多いのです。



「見ないふり」の恐ろしさ

私は高校生の頃に不登校になりました。
その1番大きな理由は、家族がその原因に対して「見て見ぬふり」だったからだと思ってます。

私の両親はとても仲が良く、良すぎるあまり性生活が放漫でした。昼夜、場所を問わずに始まるので、強く耳を押さえたり、叫んだりして嫌な気持ちと闘っていました。

そんな中、私が何度両親に「本当にストレスだから、それだけは直してほしい」と伝えたところで、私の話を最後まで真剣に聞いてくれたことは1度もありませんでした。
弟もいましたが、「それの何が問題なの」と無表情で返され、一緒に住んでいたおばあちゃんは「あんたなんて死んでしまえ」と言うような人です。

友人に笑って話すだけでは、私の心の奥底のドロドロとしたものは消えませんでした。

何も変わらないまま、最終的に私を救ってくれたのは、毎日顔を合わせる家族ではなく、週に1度、1時間も話せないような他人、スクールカウンセラーの先生でした。

家族だけでどうにもならないときに、他人であっても強い心の支えになり得ることを、そのときに知りました。



日本人の「自国」リテラシーの低さ

さらに、私たちは政治を人任せにしていることで、自分たちが今住んでいるこの国のことを知らなさすぎると思います。
かく言う私も、その一人だと思います。

今、日本はどんな問題を抱えていて、今までどんな取り組みがあったのか。
なんとなくでも、これを知ることでようやく、私たちがこれから取り組むべきことは何かを考えることができます。だからこそ、ある学生が若者に政治に興味を持ってもらえるような活動を行っていたり、そこまでしなくても、選挙権さえあれば誰でも選挙に行ったりできるんです。

でもそれは、若者たちだけのせいとは言い切れない。
例えば日本の教育。不登校もせず、学校で真面目に勉強をしてきた人だって、政治についてはほとんどの人が詳しく学べていません。

それから政治的発言をした人が批判を受けていることについて。
誹謗中傷の言葉は良くないけど、批判されるのは仕方ない。だって意見なんて、人それぞれ違うんだから。
それを批判されただけで、発言した側が「意見を言いづらい」と嘆くのはなんか違うし、受け取る側も、自分と異なる意見が出たときに「そういう考え方もあるよね」と言えない人間が多すぎる気がします。

調和を重んじるお国柄なのかもしれませんが、人によって意見が違うことを知り、認め合えたら、もっと政治に関する話題を話しやすくなるし身近になる。

なんか、小さい。って思うんです。批判するだけ批判する人も、それを話題にするメディアも。

で、私たちができることとしたら、今までの教育のせいにしたり、世間の風潮のせいにしたりして選挙に行かないのではなくて、「じゃあ私たちで変えていこう!」とする気持ちと行動なんじゃないかと思っています。



選挙に行きませんか

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政治家の行動をよく「遅い」とか「なぜ問題が大きくなる前に対処できなかったのか」とか言うけれど、それってそう言う自分自身はどうなの?と思います。

何かあったときにすぐ行動できる人と、大ごとになってから動き出す人。分からないけど日本人は後者が圧倒的に多い気がする。

国が増税を先延ばしにして借金まみれになったり、学校の教師がいじめの問題を見て見ぬふりしたり、親が娘のSOSを受け止めきれなかったり。

相対的な問題の大きさはあるけど、本質はどれも同じ。小さなことでいい。誰かが困ると分かっているとき、すぐに自ら手を差し伸べられるか。極端な話、私は選挙に行くか、行かないかで、人としてどう生きるか、を試されているような気がするんです。


私は自分自身や今の子どもたち、その先の未来の自分の子どもが困るのは、嫌です。
もしも将来、それこそ自分の子どもに「なぜあのとき投票に行かなかったの?」と言われて何も言えずに困るのは未来の私だと思うので、無記名だろうがなんだろうが、私は選挙に行き続けます。



久々に書いたら、なんだか熱くなってしまいました。

それでは、またお会いしましょう*°

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