死は救済ではないなんて誰が言った?

死は救済ではない

いったい誰が言い始めたのかわからないがとんだ馬鹿野郎だと思う。

とある事件で犯人に死刑が確定した。

年に何回かはニュースで目にすると思うが、そんなニュースや報道を見るたびに思うことがある。

「死は贖罪なのか?」

「死は罰なのか?」

死が罰なのだとしたら年間何千人といる日本の自殺者はいったい何をしたというのか?自殺するような人間は生きていること自体が罪だとでもいうのだろうか?

馬鹿馬鹿しい

ここで自分自身の考えを断言しよう

「死は救済である。贖罪や罰などでは決して無い。」

頭がおかしいとでもいうだろうか?結構、真剣に死を考えたことがある人間でもなければ理解できないだろう。

もう少し簡単に言おう。

自殺を考えたことはあるか?自分に存在価値なんて何もないなんて思ったことはあるか?

この質問をしたとき、世間の3分の1ぐらいはイエスと答えるだろう。誰しも少しは思ったことがあるだろう。

だが実際に行動を起こした者はその中に何人いるだろうか?少ないだろう。

行動を起こした時点で方法によっては死んでいるのだから

こんな偉そうなことを言っているが自分は行動までは起こさなかった。

違うな、気づいてしまったんだ

「自分がここで死んだところで楽になるのは自分しかいない。」

そんなことに

そしてわかってしまったんだ

「今ここで自分が死のうと明日は来るし、自分をいじめたやつらは気にせず笑って明日を生きていくんだろう」

そんな単純なことに

誰だってわかるだろう。こんな簡単なことだ

では、なぜ自殺はなくならない?

自殺する動機なんて人の数だけあるだろうが、なぜ周りを変えようとせずに自死を選んでしまうのだろうか。

諦めているんだ。

周りに、世界に、そして

「自分自身の人生にさえも」

周りを変えてまで自分が生きている価値なんて存在しない

そうわかってしまっているんだ

なにも間違いではない。自分だってそう思っていた。

その人にとってはそれが全てだ。

そして、

そんなクソみたいな世界からの唯一の出口

それが自殺だろう

寿命でも、他殺でも、天変地異でもない

自分自身で自分を殺す。

それ以上の自らの救済がほかにあるだろうか?

少なくとも、自分は見つけられず今こうしてキーボードを叩いている。

惨めで、無様で、くだらないこの人生を生きている。

そして、自分のような人間が

「死刑囚になる」

自分以外のすべてに貶されている錯覚に陥り、周りのすべてが敵に見え、過去憎しみを持った相手を殺しに行く。もしくは手当たり次第だ。

そんな人間にとって死刑は罰だろうか?

「そんな馬鹿なことがあってたまるか」

そんな人間にとっても、死は平等に救済だろう。

クソみたいな世界からの救済

自らを殺す度胸もない人間に対する手助け

それ以外に何かあるのか?

人を殺すような奴がまともであるわけがないだろう

そう

「死は救済である」


だが、一つここで言わせてほしい。

死は救済である、これに関しては理解してもらえただろう。

ここから先は理解できた人に対しての物言いだ。

理解できてしまった人に対する引き止めだ。

途中でも述べた通り、自分は自死を選べなかった出来損ないだ

ではなぜ選べなかったのか

死は救済である、救済であるが故にそう簡単に選んでいいものではないのだ。

今この瞬間があなたにとっては全てだろう。

辛く、クソみたいな、投げ出したい人生だろう。

でも、どうか簡単に投げ出さないで欲しい。

その命は、

「お前だけのモノじゃないんだ」

お前を生み、育て、世界に送り出した親のことを考えてみてほしい

誰が自分よりも早く死ぬような人間を育てるか?

馬鹿を言え

どこにもいないだろう

そんな親が存在するならそいつを殺すことが先だ

最近育児放棄のニュースを目にする

クソ野郎だ

生きたい人間を殺す。これは罰だろう。

矛盾だと思うか?俺は思わない

誰にでも当てはまることは誰にも当てはまらないのがこのクソみたいな世界だ


最後に

この世界は簡単に死んでいい世界じゃない

だが、これを読んでも思いが変わらないのであれば自分はむしろ

「お前に死ねと言う」

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