見出し画像

番外編~ベトナム旅行~

ベトナム旅行記

 終戦70周年記念事業洋上慰霊の旅で知り合った袋井市のA氏(浅羽ベトナム会の世話人)の誘いで浅羽佐喜太郎公碑(ベトナム独立運動家ファン・ボイ・チァウが日本に亡命中世話になった浅羽佐喜太郎を偲び建てた石碑)建立100年記念事業の一環として「ベトナムとの交流の歴史を訪ねる」七日間の旅に出掛けた。

12月12日(火)

早朝四時半に起き、5:40発の遠州鉄道に乗りセントレア行き東名バスに乗り換え8:25中部国際空港に着いた。ところが10:15発ハノイ行きは強風のため四時間遅れだという。四時間の暇つぶしをこの先ベトナムのホテルで同室となるK氏と空港内の店をぶらつく。彼は迷いながらもベトナムでの強い陽射しを考え偏光サングラスを一万二千余円で買った(彼はベトナム行きを口実にサングラスを買ったが、本当の狙いは浜名湖で魚釣りの時に使うのが目的なのを僕は知っている)。両替店で二万円をベトナム通貨四百万ドンに両替(千円が約二万ドン)する。昼食後搭乗手続きを済ませた後、免税店でタバコを買う(マイルドセブンは1カートン4400円だが2800円で)。14:38離陸、ハノイに着陸したのは19:52(時差は日本の二時間遅れだから現地時間で17:52)だったので、この日予定されていたハノイ旧市内観光、水上人形劇の観劇は中止となった。ホテルに着き夕食を取るともう寝るだけの先行きが心配な初日であった。


12月13(水)

 朝食7:30、ハロン湾見学出発8:30だと言われていたので、朝食前に少し市内を見て歩こうと昨日K氏と相談してあった。二人とも年のせいか朝目が覚めるのが早い。五時過ぎには起きだし外出の支度を始めた。ベトナムといえば赤道に近いというイメージがあったので半袖、半ズボンで良いと思っていたが、出発前に旅行社から長袖に羽織るものを準備したほうが良いと通知があったので、長ズボン、シャツにセーターを重ね着して出掛けた。迷子になったとき、タクシーに示せるようにフロントでホテル名の入った名刺をもらって出掛けた。ホテルはハノイの街中にある。頼りの地図は旅行社からもらったハノイ市内地図だけだ。地図にホテルの位置を記し、右に行くことにした。ホテルに帰るときの目印を記憶しながら歩く。

 まだ早朝なので、人通りは少ない。歩道は街路樹の根が張り、あちこち敷石が盛り上がっていて、歩きにくい。広い通りに出て地図を開いたが近くに名所旧跡も見当たらず道を渡り、当て所もなく歩く。小国の領事館がいくつも並び、歩哨が二人ぐらい立っている。領事館のプレートには英語が付記されているので解るが、その他ベトナム語で書いてあるものは皆目解らない。隣にあった外国語学校は雰囲気で解った。十字路を渡る度に不安になってきて、早々にホテルに戻った。

 今日は「ハロン湾」の終日観光である。ユネスコ世界遺産に登録されている美しい景勝が売りだ。ホテルからハロン湾まで四時間かかるという。着くまで車窓を楽しむしかない。同行者は下写真の五人と現地ガイドだけだ。S夫婦(左から1、3番目)、K(左から2)、私(左から4)、O(一番右)。

ベトナム人ガイドは話し方に癖があり、助詞の使い方におかしなところはあるが、博学で、ベトナムについて色々説明し続けてくれた。車窓の景色は牧歌的農村の中をブルドーザーで道を作り、道路わきに次々と建物を建て、急ピッチで発展しているベトナムの姿があちらこちらに見られた。道路はオートバイだらけだ。子供たちの通学は親がオートバイに乗せて送り迎えする。子供たちの昼食は弁当ではなく家で食べるので、昼時の学校近くはオートバイでごった返す。子供三人を乗せた4人乗りオートバイは当たり前に走っている。

 途中、民芸品や大理石彫刻物の売っている店に立ち寄る。ベトナムだけにしか採れないルビーで星状に白い模様の入ったスタールビーを五万円で買う。梅とベトナム女性が刺繍されたものが一万二千円、絹のスカーフ二点一万円、その他でかなりの出費になったがすべて円で支払う。ここで多くのみやげを買う気になったのは刺繍をしている女性すべてが手先は器用だが、なにかしらの障害を持つ人の職場になっていると聞いたからだ。社会主義国だからこそできる徹底したシステムだ。私の買った刺繍作品は完成させるのに1ヶ月かかると言う。仏像や灯篭など大理石彫刻作品で気に入ったものがあったが、輸送代金もかなり掛かるので止めた。

 ハロン湾は観光客で一杯だった。湾内は多数の観光船で埋め尽くされている。沖にも大小の観光船が浮かんでいる。案内された船はそれなりの大きさだったが、乗船客は私たちだけだった。これで営業になるのか他人ごとながら心配になった。船内で昼食をとる。船は切り立った多数の小さな島々の間を抜けるように航行する。途中いくつもの観光船とすれ違う。二つの岩がハート形を形どる場所には数隻が群がっていた。船は鍾乳洞のある島に着き、私たちは上陸した。

 浜松にある竜ケ岩洞とは比べものにならないほどの規模だ。見学を終えて船に戻ってからが大変だった。食事をしたテーブルの上にみやげ物がずらりと並べられている。船賃とみやげ物販売で収入を得ているのだ。しつこく買えと言われ仕方なしに小間物を買った。帰り道の途中から暗くなり始めた。今日は車中の時間が長かった。昨日と同じレニッドホテルに泊まる。


12月14(木)

 昨日と同様、早朝の街中見学に出掛ける。昨日で少し慣れてきたので、今日は少し遠くまで出掛けてみようとハノイ駅まで行くことにした。地図を見ても、どのあたりを歩いているのか皆目解らない。ただ勘に頼るだけだ。当然二人の勘に違いが出る。あっちだこっちだ言いながら歩いていく。広い通りより、狭い裏通りの方が歩道で物売りが出ていたりして面白い。そんな歩き方をしていたら、ちょっと様子がおかしいところを歩いていた。ついに行き止まりになった。印刷工場の敷地内だった。戻るとき、行き交う従業員に咎められはしないかとビクビクしながら元のところまで戻った。今は朝食の時間帯で、歩道に箱のようなものを並べ食事している人が多い。完全に歩道を塞いでしまっているところもある。

いよいよ、これから通勤ラッシュになる。オートバイの隊列で道路はいっぱいになる。

 今日はハノイ市内を観光した後、ヴィンに移動する日です。
最初タンロン城に行く。ベトナムの歴史は他国に支配されている期間が多い。古代王朝は弱小で中国に支配され、11世紀李王朝から20世紀フランス支配までのベトナム王朝はハノイのこの城であった(途中フエの時もある)。大陸続きの地では歴史上大国に侵略されることの多い中で、中国からの侵略を防ぐ砦は北のこのハノイの地でなければならなかったのだろう。日本は島国という地理的条件が幸運だったと痛感する。

 次に見学したのは、池にはみ出し一本の太い柱の上に立つ一柱寺。

 次はベトナムに伝わる仏像や楽器、装飾品が展示されている国立歴史博物館を見物する。一柱寺近くの広場の出店でフルーツの王様「ドリアン」が売っていたので買う。同行者に一切れどうかと勧めたが、臭いから嫌だと断られる。S夫妻が一口ずつ食べたが、大半を私が食べた。匂いも気にならず美味しかった。食べ良い果実の熟期があるのではないかと思う。

 その後、ドンスアン市場内を見学した。人一人やっと歩けるほどの狭い通路沿いの両側にびっしりと商品が山積みされている。観光客が買い物を楽しむと言う場所ではない。商人やまとめ買いをする所だ。その後ハノイ空港に向かう。18:20 ハノイ空港発、 19:10ヴィン空港着でヴィン・ムン・タンホテルに到着する。ホテルに着くとすぐ日越友好協会主催の晩餐会の席に案内され、歓迎される。日本から行った実行委員のメンバーと合流する。


12月15(金) 

 今日はこの旅行のメイン行事である「ファンボイチャウ生誕150周年記念」のオープンセレモニーが当ホテルの国際会議室である。8:30に開会。

挨拶スピーチは
Prof. Dr. Nguyen Xuan Thang(ベトナム共産党中央委員会書記、ホーチミン国家政治学院総長)
Prof. Dr. Nguten Dac Vinh (ベトナム共産党中央委員会委員、ゲーアン省ベトナム共産党書記)
Prof. Dr. Nguyen Kim Son (ベトナム国家大学ハノイ校総長)
梅田邦夫(駐ベトナム日本国特命全権大使)
宮澤博行(日本国衆議院議員)
河井淳(国際交流基金ベトナム文化交流センター副所長)

この次に、この旅の仕掛け人 A(浅羽ベトナム会会長)の挨拶が入る予定であったが、時間の都合で割愛された。挨拶するつもりで気合を入れて行ったのに残念である。準備してきた挨拶原稿のコピーをくれた。

 挨拶は同時通訳をイヤホンで聞くことができた。このあとの基調講演も同時通訳されるだろうが聞いているのは疲れるし、続いて開かれる各分科会には同時通訳はないだろう。私達五人組は、この会をサボって、茶の栽培地、せんべい工場の見学に出掛けた。

 茶の栽培地は島にあるというので、海岸近くだと思っていたが、車はどんどん山奥に入っていく。人家もまばらな場所の一軒家に着いて、車から降ろされた。

 ここから船に乗って島に渡ると言う。見下ろすと広い人工湖の真ん中に大きな島がある。島は一面茶樹が植えられている。船着場の近くにダムがあり、川を塞いで農業用貯水池として作られたのだと思う。船は鉄でできている。この船で農業用資材、収穫した茶葉を運ぶのだという。そのため船全体が平になっていて、操縦室などない。鉄板の床下からワイヤーが一本出ていてそれがアクセルになっている。島は山なりになっていて、登るとき湿っていて滑る。靴は泥だらけだ。小屋で数人が昼飯を食べていた。共同農場だという。再び船に乗り湖を一周した。かなりの距離だった。

 船を降り、元の一軒家に戻ると、庭先で三人の男が何かを作っている。見るとキリストが馬小屋で生まれたときの情景を人形、木、発泡スチロール、銀紙等を使い、スプレー塗装して横4m縦3m奥行き2mぐらいの大きさに仕上げている。クリスマスが近くなると毎年作るのだそうだ。ベトナムは仏教国だと思っていたので意外だった。キリスト教信者は多いのかと聞くと、よく知らないが二、三割はそうではないかという。フランス統治の影響だろうか。

 昼食はゲーアン省のどこか解らないある庁舎のようなところに準備されていた。昨日の歓迎レセプションで会った人が手配してくれたようだ。(ことわって置くが、私達五人組は浅羽ベトナム会に紛れ込んで観光目的で参加しており、このように歓待されるのは心苦しいのだ。実際、今も分科会をサボって来ているのだ。)昼食は、ここの女性職員が作ってくれたもので、ベトナムの一般家庭で客をもてなすときに出す料理だという。たくさん出て、とても食べ切れなかった。このあと煎餅工場に向かう。

 煎餅工場というからそれなりの食品工場のような建物を想像していたが、道路沿いの人家前だった。数軒、家の前の歩道上でおばさん達が四角く大きな練炭火鉢で煎餅を焼いている。焼けた煎餅はそのうちの一軒の家の奥に運ばれ、蜜をつけ、その粘着力でゴマをまぶして完成である。この家の裏は建物を壊した跡地で、下はコンクリートである。ここが米粉を練って丸く平らにしたものを天日干しする場所になっている。煎餅の原型を作りそれを干す人、焼く人、ゴマをまぶし袋に入れて完成品を作る人が集団を作っている。これが煎餅工場である。今日も夕食時は日越交流会だった。


12月16(土)

 今日はいよいよファンボイチャウ生誕150周年記念式典がある。当ホテル別館の昨日の会場である。華やかな式典で、ファンボイチャウの生涯が演劇で紹介され、その中に日本での浅羽佐喜太郎との出会いの一幕もあった。なかなか見ごたえのある演劇であった。その後、ファンボイチァウ生家記念館の開館除幕式のような式典に参加する。

 写真の中央辺りに見える金縁の額は、ファンボイチァウがホーチミンと同格の扱いとする認定書のようなものである。「ファンボイチャウ生誕150周年記念」の旗は移動中の道路脇に何枚も並び、観光地のあちらこちらで見かけられた。ファンボイチャウが日本の明治維新に習い「東遊運動」を興してフランスからの独立運動に活躍した実績が今大々的に再評価されていることを実感する。このあとホーチミン生家記念館に寄りホテルに戻る。

 今日の夕食も、日越友好協会が主催してくれた歓迎パーティーだった。真ん中の池を囲むようにテーブルが配置され、洒落た屋外席があったが、屋内での交換会だった。ベトナムの楽器演奏や舞踊が披露された。酔い覚ましに外のテーブルに座ると屋外ではピアノの生演奏をやっていた。

12月17(日)

 今日は朝5:00起床、6:30に朝食をとる。ホテルを7:30に出発しヴィン空港9:30発の飛行機に乗らねばならない。

 11:20にはホーチミン空港だ。ホーチミンは12月でも最高気温31度、最低気温22度で真夏だ。朝食後出発準備にかかった。荷物は昨夜のうちにおおよそ終わっているが、着替えで悩む。昼は真夏のホーチミンを見学し、夜は一挙に真冬の日本への帰途に着かねばならない。途中着替える場所などない。結局、半袖下着に長袖ワイシャツを袖まくりして真夏を過ごし、夜は空港でトランクから上着を出すことにした。サングラスをかけホテルを出発した。ヴィン空港からはホーチミンまで一時間、11時半に到着した。真夏だ。ホーチミンはハノイより垢抜けしていてモダンな感じだ。高層ビルも立ち並び、経済活動も活発な感じだ。

 統一会堂はベトナム戦争終結まで南ベトナムの大統領官邸だったところだ。レプリカだと思うが戦車が置いてあった。南ベトナム陥落の象徴なのだろう。フランス統治下で作られた立派な大聖堂の前には、フランス本国との連絡拠点としての郵便局がある。駅舎のように見える建物だ。建物の中では普通業務もやっているが、記念切手を売ったりもしている。多くの観光客が行き交っているが、なぜか私は絵葉書を売っている女性にしつこく「プァー、貧乏」と言いながら買え買えとまとわり付かれた。おのぼりさんに見えたのかな?ドンコイ通りでガイドに薦められた土産店をまわる。何を買おうか迷ったがトランクは一杯だし、バック以外の手荷物は持ちたくなかったので、早々に引き上げK氏と港の辺りを散策した。

 暑くても海風は気持ちが良い。しばらく散策して、いざ集合場所であるホテルの喫茶室に行こうとしたが、入ってきた道が解らなくなってしまった。この場所から道は四方に広がっている。いろいろの道に入って見ては振り返り、「確かこんな景色を見ながら港に行ったよな」と言いながらも元の道までたどり着かない。人に聞こうにもホテルの名前が二人とも出てこない。K氏に僕の記憶力が悪いと責められながら、グルグル回ってやっと着きホッとする。皆揃ったところで夕食を食べに行き、その後ホーチミン空港へ



12月18(月)

 00:35ホーチミン空港発。一路名古屋空港へ。7:35空港到着の予定だ。9:00空港発バスに乗り帰宅したのは正午だった。

・楽しい旅だった。
・K氏とよく笑った。笑いすぎてお腹が痛くなったのは何十年ぶりだろ。
・オートバイと車が走っている道を横断するスリルに興奮した。
・ベトナム人は律儀な人が多い。
・地下鉄が出来れば、あのオートバイ隊列はなくなるのかな。
・オートバイでダンプカーのタイヤよりもっと大きいものを二本も背負って運転する技には感服したな。
・4人乗りオートバイまでは見たが、五人乗りオートバイもいるんだろう。
・未来永劫、ベトナムが他国に侵略されることがないように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?