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自由気ままに漂う


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過去のもので、印象に残っている記事があります。
2年前の記事ですが再掲。
大人になった今でもこれとなんら変わらないことが普通におこっています。そうしないと生きていけないのだろうな、大人っていうのも大変なんだね、と思いながら眺めることにしています。
当時この記事のコメントも盛り上がったのですが、それはメンバーシップ限定の過去記事で。ここには本文のみ再掲。

2022年1月14日 自由気ままに

自由気ままでいたいのだと思う。
辿ってゆくと、きっとそうなんじゃないかな?
すがいはグループに属するのが苦手です。
小学生の頃朝、誰かと登校するのが、楽しいこともあればなんだか妙に苦しい時間でもあったのです。
自分のペースで歩いてた方がストレスフリーだし…時間もかなり短縮される。
3人で登校してる時期が2回あり、どちらも私から「明日から私1人で学校に行くね!」と切り替えたら非常に気楽でした。
帰りはだいたい同じ友人と帰るものの、お互いに習い事があって急いで一人で帰る日もあれば、学校で誰かとお喋りしてから帰ることも。
クラスの中でも、日によっては普段とは別の友達と過ごしたり。
高校生までずーっとそんな感じで、いくつかのグループ分けられてるところで、その時話したい人と話して、でも決してグループにきちんとは属さない。
 
小学校低学年には顕著になる子供特有の差別。小学校2年生の春の話。
 
「◯◯ちゃんと話したらダメ!」
「なんで?ケンカしたの?」
「だってあの子生意気だから嫌いなの!」
「私には関係ないよね⁇◯◯ちゃんのこと私は好きなので話すね!」
「え…?」
「私のことも気に入らないなら無視したらいいよ、私は平気だから。」

これは体育館で授業が始まるのを待っている間の数分間での出来事で。
全員に言って回るその子達を見て不思議なことするなぁと思うのと、それに従う皆のことも理解が出来なくてですね。
8歳くらいです。普通は「みんながそうだから」となるのかもですね。
 
小学校高学年にもなると、実行委員会とか、委員長や児童会の三役やら学級委員やら色々やりました。
皆に推薦された子が泣きながらやりたくないと言う時がありました。
(才色兼備とはこの人のことと思う人で、お姉ちゃんは国際基督教大附属、本人は都立八王子東高校で偏差値70以上の子でした)そのグループ6人くらいが塊になって私を取り囲む。
 
「◯◯ちゃんがやりたくないと言うから、すがいさんがやってよ、応援するから!」
「それ、私が今やりたくないと泣いたらどうするの?」
「そんなこと言わずにー」
「もうわかったからやるよ。」
「ありがとう!応援するからね!」
「やりたくないことをやらされて応援されても嬉しくはないよ。やるからには誰よりも頑張るので応援はいらないんだけど。でも、その、応援てどんなふうにするつもりなの?」
「え……⁈」
「あなた達は◯◯ちゃんの親友みたいに言うけど、代わりに私がやるよ!って人は誰もいなくて。皆で私をこんな風にぐるっと取り囲んで、正直怖いしずるいしこういうの嫌いなの、取り囲まないでほしいの」
(道がさーーーっと開いて解放される。)
 
これは休み時間の廊下で壁際に追い詰められまして。
「怖い」と伝えましたが、本当はもうこういうのにうんざりで明らかに「怒りと諦め」でしかありませんでした!
相当な怒りが伝わったのではないかと思います💦
でも、伝えて良かったと後悔していません。
結果的によかったです。やるからには全力でやるので、思う存分充実させましたよー。
そして先生はその一連の流れをそっと見ていたようで、「渋っていたものの素晴らしい活躍でした!」と評価してくれて嬉しかったのも覚えています。
 
女子の集団が嫌いで仕方なかったんですよ。
理科の準備室でも女子に囲まれて、好きな男子を白状しなさい、とか。
え?それ言って何になるの?あれ?また応援するー!とか言うの?気持ち悪いことやめてーこわいよー!と思いながら壁に追いやられた時も恐怖でした。
「こっちは教えたじゃない」と言う。
「違うよ、自分で言いふらしてるんじゃん、知りたくもないのに!」と。
これも断固拒否で、絶対に言わない、誰にも言わない!と言い続けて諦めてもらったんですよね。
 
中学でも相変わらず女子の集団が怖くて💦クラスの中でひっそりと息を潜めて生きてました。本当に、息を潜めすぎて苦しかったですね。

すがいさんは優等生、本当は公立でなく私立の中学に行くんだと思ってた、すがいさんにわからないことはない、とか。
授業で先生にあてられて「どうしてもわかりません」と言うと全員がこっちを見てどよめく。
ひとりが「えーすがいさんにわからないこととかあるんだー??」と言う。
「ほらほら、すがいさんだってわからないことぐらいあるってー、ねぇ?」と大声で言う子がいた。
みんなの悪気のない思い込みが非常にプレッシャーでした。
最終的に中3の頃はテスト中は体調が突然悪くなりほとんど集中できずにわかるところだけ埋めていき、あとは余力で深呼吸しながら解いてゆく。
「わかりません」て言うだけでどよめくとかね、じゃあどうしたらいいんですか??ってなっちゃって。
 
9年間同じクラスだったのに全く仲良くならなかったAさんがいて、中3の時に話しました。
「Aさんはキャッキャしないけど小1の頃からいつも賑やかなグループにいて目立つのが不思議だよねぇ。私なんか存在感消してやり過ごしてるよー」
「すがいさんは存在感消してるつもりかもしれないけど、むしろものすごく目立つの気付かないのー⁇存在感消えてないよ!」
6歳から15歳までのクラスメイトの率直な感想なのだからそうなんだろう。どうしたらよいのか。
もっと自由で気ままでありたいのに、それを出すときは周りがちょっとびっくりしたり後ずさったりもする。だから静かにやり過ごしてました。
 
それで高校受験の時にずーっとほぼ確定と言われていた都立町田高校をサクッとやめて、私立和光学園高校へ。
担任の先生がびっくりして暫し絶句したのち、「うん、日頃のすがいを見てると、すがいにはとても合ってる学校だね!」と一言。
決して単純に自由気ままだけを謳歌したくて和光にいったのではありません。
あまりに自由な世界に飛び込んで、激しいカルチャーショックを受けるだろうことも予想したし、その波に呑み込まれ流されたらろくなことにならないことも予想してました。
あまりに自由で、でも自分で考えて行動しなくてはならない。
青春時代に和光で過ごせて(いやなこともたくさんあったけど)最終的にはすごく良かったといつも思います。
色々話題になる学校ですけどね。すがいのいた時代は非常に良かったのではないでしょうか。
バブルの名残、ゆとり教育のちょっと手前くらいの変換期の世代なのかな?
 
しかし、囲まれるって状況、色々な意味で怖かったなぁぁぁ。
やっぱり自由気ままにいきたいし、息を潜めたりせずに、良い意味でふわーっと空気みたいに漂っていたいなぁ。
 

漂いたいのだ。

そう、漂っていたいのだ。
昔よりかはずっと、漂っていられる気がするのですが、黙って漂っていても見聞きしたり、なぜか何も聴いていないのに察してしまってナーバスになったり。
そして、じゃあちゃんと話して認識を共有しようとすると、ただ漂うのではなく、ぜーんぶわかった上で見守る係??
あ、へんな空気になってる!と察知して、ちょっとあちらの雲ゆきが怪しいのだけどー!、お尋ねしてみたが何も返ってこないのでちょっと見てきたほうが良いのでは?とお知らせするとか。
えー?漂うのって難しいわ!!などと思う今日この頃(いや、きっとずっとずっとずっと昔から)

きっとものごこころついた時には、漂っていたい願望があったはずなんです。きっとこれがわたしの最大の生まれてきた目的なのかと。
それに纏わる様々を経験して成長していきなさい、ということなのでは?

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