奏法の調整

ある時、パソコンを購入した彼は、YouTubeにいろいろな人たちが思い思いに演奏動画を投稿しているのを見て、「自分にもできるかな?」と考えた。顔を出すことによるプライバシーの流出はほとんど気にしなかった。かなり前からWEB上にはプライバシーが存在しない、自分の顔が見られたからと言ってそれが何か特別興味を引くとは思えなかった。それで購入したばかりのパソコンにイヤホンマイクをつなげ、スマホの伴奏音源を車のスピーカーで流しながら、お気に入りの曲を吹いている自分をパソコンの内部カメラ、マイクで撮影し、その映像を投稿してみた。音は最悪レベルでミスのある演奏だったが、どうせお試しと、とりあえずアップしたその画面を見て彼は気づいた。「唇の下のあごの筋肉が盛り上がっている!」いわゆるあごの前面が梅干し状に盛り上がる状態は金管楽器吹きの「アンブシャー」つまり唇とそれを支える口周りの状態が適切ではないしるしとして知られている。トランペットのように気道内から楽器管内部の圧力を高く保ちつつ、上下唇の間の細い隙間を使い高周波の音波を造り維持しなけばならない楽器では特に、唇のテンションと狭いアパチュア(唇の隙間)を適正に保つため、口周りの筋肉の使い方は大切だと考えられる。私は高校生のころからそれ以前にはあまり感じなかった早い段階でのバテ、口をマウスピースにつけた後の最初の音が思うように吹けない、そして音量が小さく輝かしくない、反面、低音はなんのストレスもなく吹けていた。ほかにもいろいろ考えたことや確認したことを総合的に考えると、唇の下に「梅干し」が出ないように唇周囲の筋肉の使い方を調整する必要があることに気づいた彼だった。それで一週間ほどかけて奏法を調整していった。運転中、あご周囲を触りながら細いストローを口に咥えてスーハーしている光景はかなり怪しいものだったに違いない。口輪筋はしっかりと収縮させてアパチュアを狭く安定させつつ、その周辺の筋によって外側へ引っ張ることで唇のテンションを維持するイメージでしょうか。調整が図られるにつれ、なぜか楽器を始めたころのアンブシュアのイメージが思い出された。マウスピースは唇の真ん中ではなかったが、自然に音を出していて奏法とかバテとか考えもしなかった。音を外すこともほとんどなかったと思う。声を出すように吹いていた記憶(本当か?)。高校に入ったころ高い楽器を購入して、その時にマウスピースを口の真ん中に当てるように吹き方を変えてから何となく吹きにくくなった気がしていた。過去の経緯は置いておいても、自然に、思い通りの音が出るような奏法であれば、疲れも最小限で演奏の質を上げることができるに違いない。今までのように唇を当てた最初の音が不安定だったり、2時間のステージのリハも、バテを避けるためにほどほどにするといった、はた迷惑な状況を回避できることを期待して。7月にはチャイコフスキーの交響曲5番を二日間練習するというクリニックもあるので、その時に今回の奏法の調整が効果的だったのか判明するでしょう。


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