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成長するってなんだ?

成長するって何だろう?

私はとある方の言葉から私は今在るものに非常に満足しやすいタイプなのだと気付かされた。
今ある暮らし、今いる家族全てに満足している。
私は非常に愛情豊かな性質の持ち主のようであらゆることを愛をベースに考えることを知ってからは特に満たされている。
自分の性質を知るのは大事だ。
だからか、成長となるともう望んでは無いかなと思ってしまう。
成長とは私にとって、頑張ること、高みを目指すことと定義づけているようだ

成長の言葉の意味が知りたくなって調べてみた。
*  1 人や動植物が育って大きくなること。おとなになること。「子供が―する」「ひなが―する」「経験が人を―させる」
*  2 物事の規模が大きくなること。拡大。「事業が―する」「経済の高度―」

この意味を読み、思った。
何らかの変化を遂げることなのだろうなと。
少なくとも現状維持の状態ではなく、姿形を変えていく事だと感じた。
私は無意識に成長と言う言葉に大変さや、努力、苦しさを乗り越える、乗り越えられなければそれまでの過程は意味の無いもの。
結果が全てのような主観を言葉にイメージしていたようだ。
38年の人生の中で、私は常に成長を遂げてきた。
そして現在の私が居る。
私が感じた辞書の意味合いからすると、身体的な変化が著しい子供から大人への成長は勿論のこと、精神面で言うならば大人になった今でも成長過程の真っ只中だ。
私はずっと変化をし続けている。
身体的には成長より、老いのような寂しげな感覚が体力面から受け取ってしまうが、年齢を重ねることにより出来る事、受け取る器がどんどん大きくなってきている変化だと思うと一気に成長に対する意味合いが変わってくる。
何だか嬉しい。
確かに、肌や体力面では成長をこれからもすればする程、老いていくのは事実だ。
しかし、40代にしか着こなせない服、メイク、所作などを思うとワクワクしてしまう。
体力面に関しても衰え無理なく過ごそうと自分との対話のきっかけだと思えば、寂しげな印象がガラリと変わる。
20代のように動けない。
のではなく、40代だからこそ動けるペースや配分を考慮でき、自分の進む範囲をコントロールできるのだ。
少ない距離で内容の濃い仕事、運動、育児、家事ができる。
進むのにあれもこれも欲ばり体力の無さを嘆くより、自分の走行スピード、距離を把握すれば少ない体力でもまだまだできることはいっぱいあるのだと感じている。
それに年齢なんか関係無い。
若くても体力が無い、楽しそうでもない人も居る。
そうかと思えば、70代でも楽しそうで体力もあり、20代のような艶が生き様に出ている人もいる。
年齢では無いのだ。
自分がどうしたいか、どう生きたいのかだ。
ただそれだけの事だと思う。

何が言いたいのかと言うと、成長とは…の定義や意味づけは、自分自身の解釈による定義で良いのではないかと言うこと。
今持ち合わせている成長の定義は自分自身で感じ学んだ定義だろうかと考えたい。
これまでの経験から得た偏った思いこみ、社会の常識に囚われて他人軸の定義を自分に押し付けてないだろうか。
偏った主観から生まれた定義や他人軸の定義を一度リセットし、新しい主観を元に新たな価値観や言葉の定義を自身の変化と共に変化させ続ける事が成長なのではないかと私は思う。
年齢も性別も国籍もあらゆる事が違う世界だからこそ言葉の定義は溢れるのかもしれない。
みんな違ってみんな良い。みんな違ってみんなあかん。
綺麗にまとまった意味づけ、清く正しく美しくの定義じゃなくていい。
時に汚く、時に乱暴な意味づけをしたっていい。
だって私たちは死ぬその瞬間まで成長し続けるのだから。

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