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映画「夜明けのすべて」・少しだけ助け合って生きられる世界であれば良い。

これから原作を読むので、今とは感想が変わってしまうかも。
読んでいないうちに、新鮮な自分の感想を書き留めておきたくて書いてみました。

映画「夜明けのすべて」、あまりにも今のわたしに必要な作品でした。

この映画、世界を救う冒険も世界を揺るがす事件も、大きなことはなにも起こらない。
炭酸水みたいな強い刺激は一切なく、ただ淡々と、柔らかく栗田科学に勤める人々、それを取り巻く人々の日々が流れていく。
エンドロールまでずっと。
でも、小さな小さな変化が積み重なって、エンドロールの後に冒頭を思い出すと、全然違う景色であることに気が付きます。

わたし、夜明け前というものがとても好きなのです。
どうにも眠れない時、空の色を眺める。
深い群青色は、ずっと見ていてもあまり変化がないように見えるのに、少し目を離すともう違う色になっている。
目に見えないほどの色の移り変わりは、それでも確実に変わっているのです。

太陽が動かないように、どうにもならないこと、変えられないことはあります。
でも、地球が途方もなく長い時間をかけて傾きを変えるように、少しずつ変わっていくこともある。
「夜明けのすべて」には、いやなひとがひとりもいませんでした。
みんな大なり小なり傷を負っていて、それを抱えながら毎日を生きている。
みんなそれぞれ、生きづらい。何人かはとっても生きづらい。
藤沢さんと山添くんの関係は、友だちでも、恋人でもありません。
ただ、席が隣の同僚。
だからこそ、わたしはふたりの関係性に唯一、人間の希望を見ることが出来ます。
ともだちでも恋人でもなくても、不器用で不完全だけど、少しだけ助け合える人がいることは、冬の日の日差しのように、穏やかに温かい。
わたしもそんな存在に出会えたら、と思う。

いやなひとが誰もいないことに、リアリティがないだとか、都合が良すぎると言う人も、いるでしょう。
現実はこんなんじゃないって。
でも、当たり前です。
物語の世界なのですから。
現実にはあんなにいいひとたちはいないから、せめて物語の中では優しい世界が広がっていたっていい。
現実は全然そうじゃないから、こうだったらいいのにね、を描く。
物語の良さってそう言うところではないでしょうか。
そういう願いとか祈りが物語のかたちを取る時、わたしや、見た人たちを少しだけ救ってくれる。

そして、明日からも生きづらいことに変わりはないけれど、しぶしぶ、まあやってやるか、という気にさせてくれるのです。

わたしたちがフィクションの世界を欲するのは現実逃避のためじゃない。
ろくでもない現実をどうにか生きていくために必要なもの。
こういう作品に出会えると、世の中はまだ、捨てたもんじゃないかもしれないと思えます。

文章はよくよく吟味した方がいいし、完成したと思っても一晩寝かせた方がいいですが、たまには生まれたままの感想も載せてみました。
絵で言ったららくがきです。

ちなみにサムネ?は明け方の月です。
眠れない時に撮ったのですが、明るくて綺麗だなあと思い……眠れない夜って気持ちが重くなりがちですが、こういう空を見られるとなんだか悪いことばかりでもないな、と思うのですよ。

「夜明けのすべて」見られてよかった。

無害

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