バーにて(乱数編2)

<語群>
加速度 泥酔 お茶の子さいさい 陸軍 
錦鯉 労働時間 狂犬 馬鹿力 
 呪術師 葡萄パン 真空蒸着

 私はそのバーの柔らかい照明に照らされて光る、金色のウイスキーに舌をつけた。ふわりとした蒸留の香りが広がった。敗因など一言で表せるものではなかろうと思った。

 クリスマスの煌びやかなときめきから正月の暖かな家族団欒へと、世間の中心は踵を返す。平日と休日は、日没前のブルーモーメントのように、互いが互いを侵食し、ない交ぜになる。規則正しくログ管理されたはずの労働時間は、酒と肴と泥酔のなかで行き場を失い有耶無耶になる。年末年始はどうするの、という上司同僚のアイスブレイクだって、今年は兄姉妹が集まれない、妻の故郷に車で帰らないといけないとこぼす成功者の愚痴に変化している。そしてこの時期は、帰るべき家と故郷が与えられて産み落とされた私たちが、やがて誰かにとって帰るべき家の主になることを期待されている、それは大部分の普通の人が通ってきたが君は未達の路だという重荷となって、私の心の奥を貫く。

 ある人はまだ良い人が見つかっていないだけさと流す。ある人は交通事故のようなものだと言う。ある人は少しばかりの時間とお金をかければお茶の子さいさいだと豪語する。ある人は反抗期の子どもを諭すような目になって、そういう時期もあったよね、お一人様も悪くはないし、まだ若いよと励ます。

 金色のウイスキーは、バーテンダーのおすすめだけあって初心者の私にも飲みやすかった。隣では友人の田原君が何かぐるぐると考えていた。和らぎ水を挟み、再びウイスキーを胃へとゆっくり到達させた。ふぅと吐いた呼吸にまで残る強く豊かなアルコールの匂いに、草いきれのような幻惑を覚える。

 実際は甘くない。比較的女性と接する機会の多かった私は、狂犬みたいな眼をして女性を物色したが恋愛に結びつかなかった。偶然の出会いを期待して街を彷徨っても街行く女性の薬指は光っていた。努力が足りぬと思ったが、メインストリーム全般に対するひねった見方を変えることは至難の業で、中途半端な入場料を握りしめ飛び込んだ恋愛アプリでは、安い素材に真空蒸着を施した薄膜のように、いとも簡単にその本質を見破られてしまうのであった。そういう時期を何度過ごしてきたか、お一人様のまま、ミソジニーはないのに三十路になった。

 そうして天井ばかり広く雑多な部屋で、今日も明日も明後日も、冷たい葡萄パンをモサモサと食べ、横になり、トイレに行き、再び横になり、平日と休日、公と私、ハレとケがない交ぜになり、しかも確実に煌めきや暖かさのない極夜のような日々を日々徒だ重ね、そうしてある日ぼんやりと死んでいるという未来が、徐々にしかし加速度的に、実体を伴って来ているのである。

 今年もまた1年という時間ばかりが経ってしまった。
現在の生活に満足しているわけではない。
お一人様などまっぴら御免だ。
そうしてあがいてもがいて一日を過ごしても、帰納法的死への一本道で見える景色など変わりがない。
底に残った一口を、惜しむように口に含みいれた。
陽炎の下、野焼きと蝉の合唱に囲まれ私は佇んでいる。
身体と身体をぶつけ合い、友人と非常に大きなことを討議し、語彙や表現に失望しながら、失敗し続け、里山の坂道を駆け抜け、机に向かう。
そこに時間などなく、自分と自分たちが世界であり、自分と自分たちが中心である。
麦芽が脳を麻痺させる。
身体感覚を確かめる。
手足に多少の振えを感じる。
どこから来たか分からないが、随分と遠くに来たように感じる。

 私は今を生きている。
 田原君、行こうか。
(103分、1424字)

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