Dとの出会い

 朝。

 快眠であった。もぞもぞとカーテンを少し開けると、直線的な光がピシャッと部屋の一角を照らす。決戦の日である。
 私は、品数の多くはないビジネスビュッフェを食べ、熱めのシャワーを浴び、早めのチェックアウトを済ませ、さっそくS川駅に向かった。
 S川駅は休日の朝だというのに人が多い。平日は会社員であふれているばかりでなく、休日であっても主要な乗り継ぎ駅としての機能を果たしている。私は東京に数年いたが、S川駅を利用したことはほとんどなかった。あちらこちらを眺めながら、人に流されるようにして私は駅を出た。
 まだ約束の時間まで2時間弱ある。

 10年以上前にウォーターフロントの近代的なビジネス用ビルとして作られたであろう建物内にあるカフェに入る。中庭には痩せこけた木々が均等に並び、ビルの二階にオシャレなカフェ数軒と、嫌に営業時間の短いコンビニ、レンタカー屋、薬局といった小さい店舗が入っている。機能的で落ち着かない、この無機質に無機質を重ねたような環境にあって、ひとり私だけが色めき立つのを抑えられていない。まるでアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような落ち着きのなさと居心地の悪さを感じながら、カフェの机へ勉強用具をバサバサと闇雲に拡げる。こういう時にこそ、集中力をつける鍛錬になるというものだと言い聞かせながら、瞬きの少ない2つの眼は、同じ文章を2度3度読んでいる。

 昼前になり、甘く沈んだコーヒーの残渣を胃に送り、私は約束の場所へ向かうこととした。ランチは人工的に埋め立てた港湾部にある欧米スタイルの開放的なパブのような場所、最寄りの駅まで少しある。ところで、私はこうした人工島の区域を歩くことが嫌いである。港湾部は地図で見るよりずっと広く感じる。日光の照り返しが強い。道が単調である。橋が架かる場所が悪い。橋の傾斜がきつすぎる。そういうわけで私は若干定刻から遅れ美味になっていた。だが初対面で大きく遅刻することは許されない。今こそ自らの力で走れムラモス。

 タワマン付近のスペースで自転車の練習をしているガキとお父さんを横目に、ブルジョワ感などなんのその、周囲が液状化する勢いでドタドタ走り抜けていると、Dさんから連絡が来た。待ち合わせ場所である最寄りの駅についたという。どうやら本当に会えるらしい。詐欺ではなかった。大丈夫、心拍数が高いのも、鼻の下が伸びているのも、少し小走りになったからである。

 駅出口の一つで私がDさんを出迎える手はずとなった。この人工島で、人は、私のほかに冴えないおっさん一人が柱を挟んで佇むばかりである。時折車が走るが、基本的には出口前の昇りエスカレーターのガタン、ガタンという音しか聞こえない。ジェットコースターのような、心臓のような音のみである。スマホを握りしめて様々なことを思考する。所詮は唯のランチである。夕刻にはまた大阪に戻るのだ。至って普通の1日に過ぎぬ。ああ、しかし乍ら、もしかすると、このエスカレーターから、今後生涯を共にすることとなる人が上がって来るのかもしれない。今日は普通の1日ではなく、自分と相手の運命を変える1日、乾坤一擲の大博打を打つ日なのかもしれない。私は主人公趣味など皆無の人間であるが、しかしもし未来があるのならば、今日ばかりはこの世界の主人公の2人でありたいと、傲慢な期待や緊張を隠すことが出来ない。

 はやる気持ちを隣の冴えないおっさんで中和させること数分。ついにその時が到来したのである。

 頭から若い女性が次第に現れる。もちろん他人かもしれないから、ラインを見るふりを互いにすることで、待ち合わせであることを知らせる高度なコミュニケーションである。間違いなくDさんである。

 やがて徐々にその全体が現れる。きらりと日光を反射させる黒く短い髪の、隊伍のようなまとまりは、そのひとつひとつが若さを具現している。簡素ながら白青のよく似合った装いは、どんな海、どんな空、どんな雲より早く夏と未来の到来を思わせる。長く透き通るような手指はたおやかな優しさをたたえ、また背筋を伸ばして立つその姿と相まって、芍薬のように奥深い高貴が若い中にも芽生えているのである。そして何より、彼女が見て触れる周囲が一挙に晴れやかになりそうな健康で明るい表情、常に分け隔てなく笑顔を振りまいてきた人に特有のあの笑顔慣れした笑顔があった。事前に頂いていた写真よりも随分綺麗な人が現れたものだから、私はちょっと狼狽えてしまった。

 彼女が「私さんですか?」と尋ねる。
 私は「私です。Dさんですね。本日はよろしくお願いいたします。」
などと言えればよいのだが、生粋のコミュ障であるから、
「…グフッ」
と言うのが精いっぱいであった。平成を震撼させた件の死刑囚の最期の言葉に勝るとも劣らない。

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