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「国際」の意味とは何か? 発見と無主地・占有 台湾出兵 琉球処分

国際法における「無主地」

「国際法(International law)」では、領土の取得について、「無主地」(terra nullius)に対する「先占」という考え方が認められている。
それは、非常に単純化して言えば、主権が確立していないと考えられる土地に関しては「発見」した主体が所有権を獲得できるという原理。

その原則は、15世紀から始まったいわゆる大航海時代以来、新大陸や新航路「発見」に続き、「文明国」が世界各地を支配下に置いていく過程で成立したものであり、様々な利害関係が交錯する中でも、常に「国際法」の土台となってきた。
(参考:1492年 コロンブス以降の「世界史」 ジャック・アタリ『1492 西欧文明の世界支配』|muanitya (note.com)

日本においても、江戸時代後期から明治維新直後にかけて、へンリー・ホイートンの原書を北京で活動していたアメリカ人宣教師ウィリアムス・マーチンが漢訳した『万国公法(Elements of International Law )』や、セオドア・D・ウールジー著・箕作麟祥訳『国際法 一名万国公法(Introduction to the Study of International Law)』などを通し、「国際法」の理解が進んでいった。

「無主地」とは、ある土地に人間が住んでいたとしても、主権が確立していないと見なされる未開の土地を指す。
「占有」とは、領有する意図を持ち、他の国よりも先に「無主地」を実行支配すること。

台湾出兵

1874年(明治7年)、明治政府が行った台湾出兵は、「無主地・占有」の概念を巧みに利用したものであり、日本が支配される側から支配する側へと移行する最初の一歩だったと考えることができる。

台湾出兵の原因となったのは、1874年(明治4年)に琉球・宮古島の乗組員を乗せた船が台湾沖で暴風に遭い、漂着した先で66人のうち54人が殺害されたことだった。

その時代の台湾は、漢族系の住民(「熟蕃(じゅくばん)」)と、部族毎に異なる習慣を持つ少数民族(「生蕃(せいばん)」あるいは「土蕃(どばん)」)に分かれていた。
遭難者たちを襲ったのは非漢族系のパイワン族であり、生き残った乗組員は漢族に助けを求め、生還することができた。

維新政府がこの事件の責任を宗主国である清に問うと、清からは「生蕃は化外(けがい)の民」、つまり清の管理下にはないという回答がなされた。
そこで、日本は、化外の民の地は清の管轄外、つまり「無主地」であるという論理を立て、その地に軍隊を送ることができると主張した

その際、イギリス、アメリカ、スペイン、イタリア、ロシアなどの国々が様々な利害関係から、日本の台湾出兵に対して異なる姿勢を示した。
しかし、最終的に、台湾出兵を実行することができたことは、外征・領土の拡張が認められるのは「文明国」であるという「国際法」の理解に照らすと、日本が早くも「文明国」の側に位置する可能性を示したものともいえる。

また、出兵の実際的な成果として、日本が台湾から軍隊を撤退する条件として、清は、日本の出兵が日本国民保護のためであると認め、賠償金として50万両支払う条約を受け入れた、ということがある。

繰り返すことになるが、殺戮されたのは琉球・宮古島の乗組員たち。従って、日本の自国民保護という主張は、琉球が日本に属することを清が認めたことになる。少なくとも、日本ではそのように理解した。

琉球の帰属

琉球に関しては、薩摩藩が17世紀初頭に出兵して以来、日本と清の間で帰属が不確かだった。台湾出兵は、その帰属問題を日本に有利に決着させる結果をもたらした。
そして、明治政府は、1879年(明治12年)、軍や警察隊を派遣し、琉球藩の廃止および沖縄県の設置を行ったのだった。(「琉球処分」)

このように明治初期の台湾出兵について簡単に見てくるだけで、「国際法」による領土問題の解決が支配する側に都合よく働くものだということがわかってくる。
実際、台湾や琉球の人々の視点以上に、日本や清、そして東アジアの政治経済的な力学に関係する欧米各国の思惑が絡み合い、領土の線引きが行われたのだった。

少なくとも、19世紀後半において、「国際」という言葉は、地球上の全ての国々の平等を保証するものではなく「文明国」の特権を認める「無主地・占有」のように、支配的な力を持つ一部の国の論理を正当化するものだったのだと言わざるをえない。


「無主地・占有」は、人類が宇宙に飛び立ち、月への着陸が話題になる現代において、複雑な問題を引き起こす可能性を否定できない。

現在、「月協定」があり、どの国家も月を領有することはできず、月の天然資源はいかなる国家・機関・団体・個人にも所有されないとされている。

しかし、その協定を批准しているのはわずかな数の国にすぎず、宇宙船を打ち上げるだけの国力を持つ国は参加していない。
従って、将来的に、「発見」に代えて「到達」を第一段階と見なし、「無主地・占有」を主張する国家が現れるかもしれない。

wikipediaの日本版によれば、月協定を否決したアメリカでは、個人や法人による資源の所有を認める2015年宇宙法(英語版)が成立したという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/月その他の天体における国家活動を律する協定

宇宙を舞台にした新たな大航海時代が到来するとしたら、「国際法」は人類全体の利益を保証するものとはならず、再び「国際社会」を主導する少数の国の利益を保証するものとして働く可能性がある。

すでに辿ってきた道を繰り返さないためは、「国際」あるいは「国際社会」という言葉の中身を問い直すことが必要だろう。

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