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お茶好きの隠居のカーヴィング作品とエッセイ-昔ばなし

19. キジ


キジのカーヴィング作品

短歌 

タラの芽を 摘み集むれば にほひ立つ
春のかほりの 爽やかな風

いきなりの 雉子(キギス)の声に 驚きて
顧(かへ)り仰げば 六甲の山

青々と 山肌ひかる 六甲の
峰より高く 鷹一つ舞う

六甲の やま中ほどに 立ちどまり
ふりさけみれば 神戸の街並み
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神戸、我が町
えきぞちっくな町、神戸
はいからな町、神戸
はいせんすな町、神戸

美味の町、神戸
港町、神戸
怪しき町、神戸
犯罪の町、神戸
1995年死せり神戸
そして蘇えりし不死鳥、神戸
美しき山、美しき海の狭間の町
美しきかな神戸
我が愛する町---
Kobe on my mind---

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我が町に 二十余年経て 帰りぬれば
ただ変わらぬは クマゼミの声

我妻をこひ初めし日に引き戻す
タイムマシーンはクマゼミの声

The Town I lived in Once


For the first time in more than twenty years,
I came back to the town.
I spent a decade here to build my careers.
Yeah, I came back here after such a long absence.
I saw the same old landscape all around.
The same bakery, the same supermarket,--- I was a regular once.
 
Had the town been frozen for such long years?
Through the space-time, I must’ve traveled on a time-machine.
To see the scene, I could not restrain my tears,
But found some disaccord, that upset again my mental balance.
Old neighbors had gone, and I was perfectly a stranger in the scene.
I perceived the reality of the town I lived in once.

エッセー


分類学上、日本に元々居るキジは「日本固有の独立種である」という説と「コウライキジの亜種である」という説があるそうです。 日本国の国鳥ですから、日本人としては前者に贔屓したくなりますね。 但し、キジを国鳥に指定した日本鳥学会は後者の立場を取っているそうです。 国鳥指定は民間組織である日本鳥学会が決めたものですから、法的な裏付けのあるものではありません。 国鳥の地位、重みは国によって随分と異なり、アメリカの白頭鷲、Bald eagle は建国の母体となった the Continental Congress が1782年に独立戦争中に定めた、そうですからその歴史的な重みにおいて日本のそれとは比べ物にはなりません。 大統領の紋章であり、国のシンボルとして極めて重要な地位を占めています。 日本の国鳥は、精々、郵便切手のデザインに使われる位です。 とは言え、権威ある日本鳥学会のイニシアティブで決めたのですからそれなりの重みはあるのでしょう。

今、日本で見られるキジは本来のキジと日本列島内に元々居た亜種4種の他に、体色が茶色で首に白い輪のある移入種であるコウライキジが数えられます。 コウライキジは中国の一部と朝鮮半島が原産地ですが、我が国への移植の歴史は古く、江戸時代に初めて対馬で放鳥されました。 その後も各地で数回移植され、1965~6年に三宅島、八丈島で行われたのが記録にある最後の例のようです。 これらの移入時には、「外来種による在来種保存上の脅威」という概念・意識を関係者が持っていなかったから、それが実行されたのでしょう。 この大事な概念が広く受け入れられるようになるまでには、人類は随分と失敗を重ね、安易な外来種移入が世界各地での生態系の乱れを招いてしまいました。 一方、今でも、猟を楽しみたいが故のみに、不法にこの鳥を放鳥する輩も居るわけです。 沖縄県ではこの鳥がいつのまにか増えて、ヤンバルクイナ、ミフウズラ等の貴重絶滅危惧種/準絶滅危惧種への影響が心配されています。 魚釣りをしたい為にオオグチバスを近くの池や貯水池に放す輩と同じで、厳しく取り締まらなくてはいけません。 罰則も重くすべきです。

繁殖力、適応性はキジの方がコウライキジより強いと言われているようですが、そのことは、コウライキジとキジの交雑を妨げることにはなりません。 この交雑は生殖能力を失わせないので1代では留まりません。 交雑の進行を放置すれば、日本固有のキジの純血種は、遅かれ早かれ我が国の野外より消え失せる日が来る筈です。 今日では毎年、愛鳥週間時、狩猟期間前に、人工的に増殖したキジ(純血種)を放鳥しているそうですから、それがその進行を遅らせてはいるのでしょう。
キジは開けた原野を生息地にする鳥ですから、一寸したハイキングでも、田舎の畑地でも、案外お目にかかる機会の多い鳥ではあります。 1970年代には、私は神戸に住んでいましたが、阪急岡本の家の近くから裏山続きの保久良(ほくら)山という名の、そのまま六甲山に連なってゆく小山があって、その中腹の原っぱで啼いているキジが、チョクチョク、遠くからでも見えたものです。 その後、1980年代の初頭に私はカナダのカルガリー市に生活を移したのですが、市を流れるBow River に近接するbird sanctuaryで、キジを見た時はびっくりしました。 これは、コウライキジ (北米では、Ring-necked pheasant と呼ぶ) で、猟鳥として移入されたものだそうでしたが、当時は、そんな事は知らず、まさか、こんな北国にキジが居るとは思わなかったので驚いたわけです。 しかし、考えてみれば、コウライキジの故郷はユーラシア大陸、朝鮮半島ですから、冬は寒冷の土地です。 カナダ南部の気候は彼等には、合っていたのでしょう。

キジの声は「ケン・ケン」ということになっていますが、私にはむしろ、「クワ・クワ」とか「ウェン・ウェン」というように、聞こえます。 地上で羽を広げてバタバタ羽音を出させながら啼く「母衣打ち/ドラミング」も特徴的です。 キジは綺麗な鳥ですが、キジと共に日本の固有種であり全身が赤茶色のヤマドリも別の美しさを備えている、と私は思います。 キジと比べると、野生のヤマドリに出会うのはかなり難しくて、私も九州の霧島山で一度だけ出会ったのが唯一の経験です。 九州地方種の特徴である、赤味の強い体色を持った奴でした。

ヤマドリ、キジはいずれも尾羽根が長いのに、和歌での「長い」の枕詞は「ヤマドリの尾」で「キジの尾」でないのは何故ですかね? 実際に、ヤマドリの方がキジより長い尾を持っているのは確かですが、「ヤマドリの尾の」で7音になる一方「キジの尾の」なら5音、共に和歌への相性は悪くない音数です。 ところが、実はキジの古語はキギスであって、平安時代は「雉子」はキギスと読んでいたそうです。 「キギスの尾の」では6音で、字余りとなり和歌には合いません。 更に、「ヤマドリ」という発音は柔らかく、優しさがあり語感が美しい、ということもその理由でしょう。

ヤマドリは「ホロホロ」と鳴くことになっており、行基の和歌で有名ですし、大昔の流行歌、映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」にある「啼いてくれるな、ホロホロ鳥ドリよ」はヤマドリのことでしょう。 が、実際のヤマドリの声は、少なくとも私には、とてもじゃないが「ホロホロ」とは聞こえません。「ホロホロ」という寂しさ、優しさを伴う語感からは程遠い「ク・ク・ク・ク・グエー」と言った感じです。 下記URLから聞けます。

https://www.youtube.com/watch?v=rMeA031zQA8

音声を表現するオノマトペア(擬声語、onomatopoeia)としては「実態とかけ離れて、酷く出来が悪い」と言わねばなりません。 この鳥もキジ同様に母衣打ちをしますが、その羽音は「ブル・ブル・ブルン」というエンジンの始動音のようですし、キジとは違って母衣打ちの際に啼きません。 この羽音を鳴き声と誤ったとしても「ホロホロ」ではないでしょうに。 (下記URLを参照。)

https://www.youtube.com/watch?v=buHfwsBbLhc

ヤマドリの声を聞いて「父かとぞ思ふ、母かとぞ思ふ」と詠う行基はどういうセンスの持ち主だったのですかね? 彼が実地に、ヤマドリの声を聞いて、この和歌を作ったのかどうかは「かなり怪しい」と言わねばなりません。「ホロホロ」と啼くという前提・裏付けの無い知識に基づき「想像して創作した」のが本当のところではないでしょうか? 尤も、詩歌はそれでも良いですけれどね。 和歌や流行歌に詠われているこの鳥の声も実際のところは、それほど人の詠嘆を誘うものでは無いようです。 「ヤマドリ」という名の語感に引っ張られて、「このように聞くべきだ。聞かねばならない」と言われているような気がします。  ホロホロ鳥(チョウ)は英語名 Guineafowl という食用の鳥も指しますが、こちらの鳴き声も金属質のとてもうるさい声で、やはり「ホロホロ」とは聞こえません。 何故こういう日本名が付いたのか、を私は知りませんが、少なくとも鳴き声に基づくものとは思えません。 しかし、一方で我が国には「ホロホロと啼くヤマドリ」の通念がある以上「啼き声を基に、こう名付けた」と強く想像させる下地があるのですから、誤解を誘う「無責任な命名」ですね。

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