私には正義がない

正義のなさに気がついてしまった

特に今の環境が自分の友人が正義をしっかり持った人間が多くて、あぁ、私はそれ持っていないなぁと思った。
良いように言い訳をするなら「正義の反対は悪だから」とか、さまざまあるかもしれないけれど、それ以前に多分そういうしっかりした単語に拒絶反応があるクズなんじゃないかと。

私の苦手な言葉は「責任」「努力」「分割払い」だ。それぞれ言い分も言い訳もあるけれど、これだけ見るとなんだかやっぱりわたしが悪だから正義を毛嫌ってるように感じる。

責任、重くて苦手。持てないから持ちたくない。無責任になりたくないから責任取りたくない。そういう重みを抱えられるフィジカルをわたしのメンタルが持ち合わせていない。責任感がややあるから、責任を持ちたくない、というのは、わたしの、言い訳でしか、なく…。
努力に関しては嫌なことしたくないからです。好きなことのために頑張ることは努力に含まれると思っていないので、好きでもないことのために頑張らなきゃいけないのが嫌いで。あ、でも努力家って言葉は好きなこと頑張ってる人に対しても使うかも。なんか、多分こう、努力って言葉の響きが好きじゃない。努める力とかだったら良いかもしれない。頑張る、も、頑なに踏ん張るって言い方の方が好き。
分割払いは買ったものに対して徐々にお金を引き落とされる感じがキモくて嫌い。すでに自分のものと化しているものに徐々にお金払わなきゃいけない感じが肌に合わない。それは自分のものになってないのと同じなのに自分のものになっている。怖い。手数料も取られるし一括で払えるものは一括で払いたい。これは三段オチのつもりで書いたものでした。オチてない。

だいぶ話が逸れてしまったけれど、このラインナップに「正義」が追加された気がした。
友人にこの話をしたら「どれも他人に振りかざしやすい単語だね」と言われた。
なるほどね。

人間はいついかなる時もいい人でありたいと思う、んじゃないかなぁと思う。わたしは愛を持った優しい人間でありたい、とずっと思っている。しかし間違っていることを正すことが優しさとは思えないこともある。
そもそも人に対して何かを強制させたり矯正させようとすることが少々苦手な性格だ。そのくせ思い通りにいかないとモヤモヤするのはどういうことなんだろうか。
わがままなんじゃないの?
はい。

自分の中にある正しさが常に他者にとっても正しいとは限らない。
正義を持った友人たちはそれぞれ衝突して仲違いしてしまった。これは彼女たちそれぞれにある貫き通すための正義があったからだと思う。
正義を持つことそれそのものに文句や不満があるわけではない。
ただ、彼女たちの正義から私が反してしまった場合なんだか許されない感じがして怖くなった。

決して無い方が良いとは言えない、言わない。けれど、私は柔軟でいたい。けれど、貫き通す太くて硬い正義がなくとも、芯がないんじゃ困るのでヒモQくらいの硬さ柔らかさくらいの芯になりえるものくらいはあった方がいいなぁと思う今日この頃だった。

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