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ゆきちゃん

 中学2年生、冬。私の左腕は赤いためらい傷がストライプを描いていた。理由はあまり覚えていない。生きてる価値、とか、私が私である意味、とか、そういうくだらないことを考えては死にたい死にたいとこぼしていた。カッターは取り上げられたし替え刃は捨てられた。

 寂しかったのだと思う。愛されたかった、かまってほしかったのだと思う。思えば私は愛に囲まれて育ってきた。一人っ子、初孫、親戚の会どこに行っても私が一番小さかったし、愛想も良くて大人にはどこでもある程度可愛がられた。友達も全くいなかったことなどない。これ以上何を求めていたのかは分からないが、寂しい寂しい私なんて生きている価値がない死んでしまいたい、と喚く私はペットを飼いたいと提案する。寂しいのがいけないのだ、ペットを買おう。

 犬を飼うのも猫を飼うのもおそらく結構大変だ、高額だし。昔学校でもらってきたメダカを全滅させてしまったことがあるから、魚は育てられない。小動物なら手頃な値段だ。鳥籠ってなんかいいよね、そうだ!鳥だ!鳥買おう!昔ペットショップにいたキバタンがすごく好きでいつか飼いたいと思っていた私。ちなみにキバタンは50万円くらい。高い。インコ、とりわけセキセイインコはお手頃価格だった。2800円くらいかな?多分たまごっちよりも安い。手乗りにして慣れさせるために近くのペットショップをはしごし、生まれてから間もないセキセイインコの雛を買うことにした。

 セキセイインコのカラーバリエーションは豊富だが、私は既に青い鳥が欲しいと決めていた。何かに飢えている可哀想な私を救ってくれる幸福の青い鳥、とか思っていたのかもしれない。痛い子だ。雛の入ったゲージを見ると、可愛い小鳥たちは「買って買って」と言うようにゲージの手前側に来てキャアキャアと鳴いた。結構みんな愛想いいな、と思った。その奥で1羽こちらに見向きもせず丸まっている小鳥がいた。眠たいのか目をしぱしぱとするその子を見て、他の子たちは愛想がいいから心配はない、がこの子は今後誰かに買ってもらえるんだろうか?と心配になったと同時に、この子にする、と決めた。

 白い羽に淡い水色のかかったその子を「ゆきちゃん」と名付けた。ゆきちゃんはペットショップの人に連れられ、小さな小さな紙の箱にきゅうきゅうに入れられ渡された。2800円の命の重みは25gほど。軽かった。箱を両手に持ちながら車に乗って、たくさん箱に話しかけた。


 まずはさし餌からご飯をあげた。きゅるきゅるの黒目、まだあまり飛べないその姿はまるで天使のようだった。懸命に餌を突く姿は可愛くて仕方がなかった。この頃はたくさん撫でさせてくれた。鏡餅についてる偽物の橙が好きだった。この頃からずっと歌を歌うとすぐ聴きに来る。私の歌が好きだった。口笛を吹くと喜んだ。ゆきちゃんが来て、我が家はとても賑やかになった。

 飛べるようになると、すぐにカーテンレールの上へ行ってしまった。なかなか降りてこないから大変で、長い棒を使って無理やり下ろしていた。飛べるようになる頃嘴の色が変わり彼がオスだと分かるようになり、本名が雪男になる。誰も呼んでないけど。成鳥となると彼の重さは32gになる。

 成鳥になるとゆきちゃんは触られるのを嫌がるようになった。触られるのは嫌だけどそばにいたいようで撫でる手を避けながらもなかなか肩から降りない、なんてこともよくあった。

 ゆきちゃんがうちに来て1年目に母方の祖母と一緒に住むようになり、我が家はさらに賑やかになった。祖母とゆきちゃんが過ごしたのは1年ほど。母方の祖母は3年前に他界しているが、つい最近もゆきちゃんは祖母の声でおしゃべりをしていた。

 ゆきちゃんは私に一番懐いていた。発情期が年に数回あり、その時だけ家族全員にそっけなかったが、そうでない時はゆきちゃんは誰よりも私のことが大好きだった。私の言うことはできる範囲でなんでも聞いてくれた。おいでと言ったら肩や頭に乗り、私だけはあまり噛まれなかった。肩や頭に乗っている彼は32gとは思えないほどずっしりしていて、重みがあった。小さくても声が大きくてほんのり温かくて存在感がある。命の重みと温かみだ。学校が忙しくてあまり会えない時もあったが、私こそがゆきちゃんの番や恋人のような存在なんじゃないかな、と思っていた。


 去年の12月ごろ、ゆきちゃんは急に体調が悪くなった。かかりつけの病院で栄養剤の注射をするとすぐに良くなった。元気になった彼を見てなんの心配をしてしなかった。

 一昨日の夜からゆきちゃんは体調を崩していた。この日は早く寝かせ、またこの前みたいに注射して貰えば元気になるだろうと思っていた。

 翌日、よくはなっておらず餌も食べない、水も飲まない、動かない。体を冷やしたのかと思いヒーターの電球を交換し暖房を強く焚いたが効果なし。手のひらに餌を撒いてゆきちゃんの近くに差し出すと少しつついてくれた。

夕方に病院へ連れて行った。依然としてゆきちゃんはふらふらしていてあまり動かなかった。

 病院に着くと先生は餌が良くないと言う話をした。消化に悪く、中年のゆきちゃんには詰まりやすい餌があるらしい。それを詰まらせているのだろうと言うことだった。宿便も出しておらず、おしっこしか出ていない。体重も29gまで減っていた。

 入院することが決まった。事態が急変することもあると説明を受けたが、大丈夫だろうと思っていた。

 目の前で注射をしてもらうと、少し元気になったようでえん麦を少し食べた。

 「じゃあゆきちゃんがんばってね」

心配で少し涙ぐみながらゆきちゃんに挨拶をした。明日は休診日なので明後日に面会の予約を入れた。

 生きてる彼を見たのはそれが最後だった。


 朝、母の私を泣き叫びながら呼ぶ声で目が覚めた。一気に目が覚めて、何が起きたかを即急に理解した。母の泣く姿を見るのは祖母が亡くなった時以来だ。泣き叫ぶ母、謝る母。

 泣けなかった。理解できなかった。私は起きがけにすぐ支度をした。母がゆきちゃんの動画を見ていた。ゆきちゃんの声を聞いていたら寂しくて、辛くなってしまって、動画を止めるように言おうとした時、聞こえた。

「ガンバレガンバレ、フレーフレー、」

意味なんかわかっちゃいないのに母に教わったフレーズで、応援と私の名前を交互にしゃべるゆきちゃん。涙が出た。

 車に乗り病院へ向かった。うちに来た時よりもずっと大きい紙の箱に入れられた彼を見た。インコは眠る時も止まり木に止まる。横になっている彼を見るのは初めてだった。箱を両手に持ちながら車に乗って、母が辛いんじゃないかと思って心の中で箱に話しかけた。「一緒におうちに帰ろうね」「一緒にいてあげられなくてごめんね」

 帰ると、まずまた彼を姿をよく見てまだ柔らかな亡骸を両手に持った。首がぐらぐらとしていた。でもほのかに温かった。一体何gになってしまったのだろう。とても軽かった。病院が用意してくれた箱の中には枕と布団と顔を隠す布が入っていた。セキセイインコには大きな箱。入院中に患者が亡くなることは珍しいことじゃないのだろう。

 看取ってあげればよかったと泣く母。どうすることもできないことが変わらないなら、せめて病院で亡くなってくれた方がショックが少なかっただろうと思った。綺麗な箱にも入れてもらって、枕もあるし顔を隠す布もある。死の現場を見てしまうよりショックは薄いはずだろう。ゆきちゃんはいま冷蔵庫に安置されている。火葬にするか、土葬にするかはまだ決まっていない。


 ゆきちゃんは私の家に来て、幸せだっただろうか。私は幸せだった。ゆきちゃんをあの時選んでよかった、と胸を張って言える。ゆきちゃんは幸せだっただろうか。

 もっと一緒にいたかったな、いれると思ってた。あんまり一緒に居てあげられなくてごめんね、たまに邪魔者扱いしてごめんね。こんな私なのにずっと好きでいてくれてありがとう。狭い籠の中に閉じ込めてごめんね。どうか、どこかで幸せに過ごしてくれていますように。お友達もたくさんいる、広い広い場所で自由に飛んでいてくれていますように。たまにでいいから私のこと思い出してね、ごめんね。

 7年間、ありがとう。これからもずっとずっと大好きだよ。



 ここまでが彼が亡くなった当日、昨日書いた文章だ。翌日の今日、父の意向に沿って庭にゆきちゃんを埋めた。最後に頭を撫でた。冷たかった。埋葬した勢いで鳥籠を片付けた。かごを片付けると部屋は少し広くなった。ストックしてあった未開封の餌をペットを飼っている友達にもらってもらった。
 ゆきちゃんのいないリビングは静かだ。ゆきちゃんと遊ぶ時間がないから夕飯の支度が早く始まる。もうトイレまで追いかけられることも、こっちをみて!とギャアギャア鳴かれることも、ゆきちゃんが窓から逃げて迷子になる夢を見ることもないのか。
 心に穴が空いたみたい。私は文章を書くことで少し整理がついたが、専業主婦で一番ゆきちゃんと一緒にいる時間の長かった母はまだ整理がつけきれていないようだった。心配だ。私もこんなに悲しいと思わなかった。ペットも家族なんだ、命の重さは値段ではないんだなぁと思った。病院なんて鳥は保険適用外だから検査諸々でセキセイインコ2〜3匹くらい買えてしまうし。まぁそういった意味ではお金はかかっているのか。病院連れてくより買い直す方が早いのも、たまごっちよりも安く命が買えるのも、冷静に考えたら…っていうか調べたらたまごっち今一万円くらいすんのね、高〜!!!

 とりあえずしばらくはペット飼いたくない。死、無理すぎる。みんな乗り越えて生きてるの?すごい。死、無理。

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