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雑談#12 小説は「どう」書くかではなく「何を」書くか、その源泉を見つけること

 noteで「小説」のタグをつけるせいか、あるいは、そういう記事をつい見てしまうせいか、「今日のあなたに」のところに、小説の書き方だとか文章術といった類の記事が、よく表示される。そして、やっぱり、何が書いてあるのか気になって、ついクリックしてしまう。無限ループである。

 小説を書きたい、という思いは10代の頃からあり、折にふれて、やる気がわいてきたときや、他のことで行き詰まったときなど、「小説の書き方」的な本をよく読んだ気がする。今も、そういう記事を見るとついクリックしてしまうのは、そのときの名残であろうか。

 ただ、はっきりしていることは、どんな書き手が書いていようと、だいたいにおいて、同じようなことしか書いていないし、「小説の書き方」や「文章術」を読んで、それで小説が私にも書けそう!と思ったことは一度もない。なぜなら、結局のところ私が本当に知りたかったのは、どのように書くか、ではなく、何を書くか、だったのだから。

 何を書くかということが見つけられないまま、私は書くことを仕事とするようになり、自分が書きたいことではなく、ある枠組みの中で企画されたテーマ、内容について書く、ということで鍛えられた。だから、書き方だったり、文章術ということでは、あまり悩むことはない。

 そういう書き方をしてきた私にとって、二次創作、というジャンルと出会ったことは天恵だったかもしれない。好きな世界観、キャラクター、ストーリーの隙間を埋めたり、続きを考えたりすることが創作になるのなら。そして、それなら私には書きたい、と思えるものがあり、何を書くかで思考が止まってしまうということはなかった。

 とはいえ、今から16、7年前に書き始めた頃は、ただキャラクターを寄せ集めてきて動かしたりしゃべらせたりしているだけで、なかなかストーリーが動き始めなかった。結局のところ、今から思えば、キャラを使って自分が遊んでいるだけのような気がしている。

 きちんと完結した小説を書けるようになってようやく、2021年の春から本格的に二次創作小説を書き始めた。それが今まで続いているのは、何を書くか、が自分の中でできてきた、ということがあると思う。その「何を」というのは、昔は、どんな人物、どんな世界で、何が起こってどうなるのか、ということだと思っていた。しかし、今、書いている時感じる「何を」は、そういうものではなかった、と思う。どんな人物、どんな世界で、というのは、二次創作の場合はすでに創作された物語からの「借り物」である。だが、そこで何を表現するか、というところに、自分だけの創作がある。その「何を」というのは、自分の中に見つけた源泉のようなもにで、「何を書くか」というのは、その自分の中にある源泉を探し出す、ということに掛かっている。

 二次創作小説を書くことで、その「何を」を見つけられた、ということは、力になっている。今、連載している小説も、それがあるから、きっと書き上げられると、自分を励ましている。

 そして、いつかはその「何か」について、今度は自分で作った世界観、キャラクターによって、表現できたらいいなと思う。いつか一次創作といえる小説を書く。それが、将来叶えたい夢、そしてそれは二次創作させてもらった作品へのささやかな恩返しにもなる、と思っている。

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