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機動戦士ガンダム0090 越境者たち #4 アート・オブ・ウォー

 機動戦士ガンダムで描かれた、一年戦争の終結から10年後の世界、Zガンダムとは別の「もう一つの宇宙世紀」の物語を描く。拙作「機動戦士ガンダム0085 姫の遺言」の続編。
 ガンダムMk-IIの訓練でヴェテランパイロットから、アムロのその非凡な能力が目に留まる。思うように能力を発揮できないエマは焦りを感じる。


1:百戦してあやうからず


「どう思う?」
 基地の一室に呼ばれたブラン・ブルターク少佐とアルファ・A・ベイト中尉に、サウス・バニング中佐が尋ねた。グラナダから来た3人と、ロンド・ベル隊の他のパイロットのことである。ベイトはかつて、バニングと〝不死身の第4小隊〟で戦った間柄で、ブルターク少佐とともに一年戦争の経験者であった。他はみな、戦後に士官学校を卒業した者ばかりで、いわば歴戦の勇士は彼らだけのはず、だった。
「アムロ・レイ少尉のことですね?」ブルタークが答える。
「年齢からしてあり得ないとは思うが、彼の戦い方からは、俺たちに似た匂いがする」
「圧倒的、だな?」バニングが腕組みをした。
「特別、他のパイロットと比べて戦闘訓練での撃墜数が多いわけではないが」とベイトが言う。
「ただ、なんとなくわかりますよ、中佐のおっしゃりたいことは。あ、こいつ実戦経験あるな、って、空域に出たときの動き、連携、間の取り方。そういうところに、実戦をくぐり抜けた者どうしで通じるものを感じる」
「で、ヤツの経歴を調べてみた。なんと、15歳で一年戦争に参戦している。現地徴用兵であの、幻の試作機といわれている〝ガンダム〟に搭乗していたらしい。撃墜数は約142、その戦闘データをもとに量産型のジムが完成した。押しも押されもせぬ、連邦軍のエースパイロットだ」
「やはりな」ブルタークが言った。
「彼は、1機で広大な空域を支配する力のあるパイロットだ、そういうヤツは、多くない」
「では、あれですか? 彼を加えて、この3人を〝新型〟に?」
「いや、むしろその逆だ」先走るベイトを抑えて、バニングが言った。
「実戦経験のある3人はジムIIだ。ヒヨっ子たちを〝新型〟に乗せて、彼らのレベルを引き上げる」
「いやはや」とベイトが頭に手をやる。
「小隊長殿も、教官という立場になれば考えることがレベルアップするんもんだな」
 ブルタークが、にやりと笑った。バニングは笑わなかった。
「相手はテロリストだ。いつ、何をしでかすかわからない。のんびりと、若手の成長を見守っている暇はないんだ」
 二人が頷くと、バニング中佐は受話器を取って、アムロ・レイ少尉を呼び出した。

 エマ・シーン少尉は〝新型〟に搭乗し、コウ・ウラキ少尉、ジェリド・メサ中尉とともに戦闘訓練空域を飛行していた。〝新型〟はその開発名「ガンダムMk-II(マーク2)」から、隊内では単にMk-IIと呼ばれるようになっていた。3機体のMk-IIは、それぞれその肩部に01、02、03と機体番号がペイントされている。3人の中ではジェリドが年齢も階級も上だが、訓練で今回はエマが3機の編隊長となっている。
 訓練の舞台はロンデニオン周辺に広がる暗礁空域である。グレイファントム艦上のブリーフィングで、デブリの多く残る空域なので3機離れすぎず、目視で確認できる距離を保つ、デブリを盾にしながら相手の出方を待つ、などの方針を確認した、はずだった。しかし、まだ1つもスコアを上げていないジェリドが最初に編隊を崩して飛び出すと、コウもそれに続いてバーニアを噴射して加速してゆく。

「ジェリド中尉、先走らないで!」

「相手が出てくるのを待つ、なんてやり方は、俺たちに求められている戦いではないぜ。それに、この機体の運動能力を、それでどうやって生かすっていうんだ」

 ジェリドは加速しながら言い放つ。
 コウ・ウラキはジェリドの後ろにつきながら、ジェリドの操縦技術に舌を巻いていた。デブリとデブリとの間の空間を直線的に、ジグザクを描くように瞬時に向きを変えて飛び去っていく。

 ここで彼と張り合っていても仕方がない。コウは、彼についていく速度をゆるめ、デブリとなっているコロニー隔壁の残骸に身を隠した。〝敵〟はジムIIを駆るヴェテランなのだ。戦場に出たらまず、落ち着いて〝敵〟の気配を感じろ、と教導役のバニング中佐は言った。コウには、まだ気配というものがピンと来なかったが、先をゆくジェリド機の方向は、浮遊するデブリが減ってぽっかりと空間が空いていることはわかった。
 もし〝敵〟が冷静に彼らの動きを見ていたなら、あの空間に飛び出たジェリド機を見逃すはずはない。それが狙い目だ、とコウは思った。次の瞬間、擬似ビーム弾が続けて2発発射され、そのうちの1発がジェリド機を射抜いた。
 モニターに映る僚機の上のKILLDの表示に目を留めているヒマはなかった。コウはすかさずデブリの影から飛び出て、ジェリド機を撃ったビーム光の発した方向を目掛けて加速した。
「いる!」
〝敵〟の姿を、コウは捉えた。続けて2発、ビームライフルを放つ。〝敵〟はそれを交わしてデブリの下に回り込んだ。
「逃すものか!」
 コウは〝敵〟との間の遮蔽物から機体が出た瞬間、次の一射を放った。相手が交わしたのと同時に、後方からの〝敵〟の接近を告げるアラームが鳴り響く。
「後ろ?!」
 振り向いたときには、もう遅かった。眼前に迫ったジムIIのビームサーベルに彼の機体のコックピットは貫かれ、モニター正面に大きくKILLDの文字が点滅した。
 エマ・シーン少尉は、僚機2機が撃墜されたことを、モニター表示で確認すると、思わず拳を振り上げてコンソールパネルを叩いた。指示通りに動かなかったために2機の間が分断されて敵機に挟まれたことが、目に見えていた。彼女自身は、残る〝敵〟の1機を、デブリを挟んで撃ち合いをしつつなんとか引きつけていたが、弾切れになる前に、ジムIIよりも射程の長いMk-IIのビームライフルの特性を生かしてアウトレンジ攻撃に持ち込みたかった。敵機の残り2機も、まもなく彼女の方に向かってくるだろう。
「当たった?!」
 辛うじて放った1発が〝敵〟の脚に当たり、HITのスコアを得た。彼女は一気に加速し、敵射程の外へ出た。

「そこまでだ、エマ少尉、帰投せよ」

 バニング中佐からの通信が入る。エマは大きく一つため息をつき、グレイファントムへ戻っていった。なんとか生き残り、多少のスコアも稼いだが、3機1組の編隊で見ると、完全に〝敵〟に凌駕されている。ロンデニオンに来るまではあったはずの自信が、彼女の中で霧散していた。

 次のセットではコウ・ウラキ少尉、ケーラ・スゥ少尉、そしてチャック・キース少尉が3機のMk-IIに搭乗することになった。今回の相手は1機のみ、と知らされていたため、コウはブリーフィングでした「接近戦を仕掛けるべきだ」と提案し、ケーラとキースの同意を得た。今回は編隊長役である。先ほどのようなミスは許されなかった。
 出撃準備を整え、ガンダムMk-IIのコックピットに乗り込んだコウに、バニング中佐から通信が入る。
「スコアを取ろう、として焦るのは下策だ、ウラキ少尉。これは何のための訓練だ?」
「えっ?」唐突な問いに、思わず聞き返す。
「何のため? えーっと、この機体を試し、その性能を引き出すためです」
「そうじゃない、おまえが機体に試されているのだ。〝彼を知り己を知れば、百戦して殆あやうからず、彼を知らずして己を知れば、一勝一負いちしょういちふす。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ずあやうし〟だ。いいな?」
 バニング中佐の言わんとすることはさっぱりわからなかったが、コウは、機体に試される自分、という命題に答えを出すべく、Mk-IIを発進させた。

 3機のガンダムMk-IIは、編隊を組んで模擬戦闘の行われる空域へと向かっていた。ようやく体に馴染んできたコックピットの中で、コウ・ウラキは逸る気持ちを抑えて平静を保とうと必死になっていた。
 モニターの表示が、機体が指定された空域に入ったことを告げていた。加速をかけてわずかに先行する。ミノフスキー粒子濃度が一気に上昇してゆく。そのとき遠方に白い機体が、太陽光を受けて一瞬キラリと光を放った。

「きたぞ、右前方、10時の方向」

 コウが言った。

「作戦通り、キースとケーラは敵機との距離をキープしながら相手の飛び道具を消耗させる。僕は後ろに回り込んで好機を待つ。いいな?」

「了解」

 二人は応答すると、機体を下降させていく。コウは機体を旋回させると、ビームの光芒を目で追った。敵機はわずかにバーニア光が見えるだけだ。2機の僚機と敵機とは相対していたが、敵機の方はMk-IIを射程内に捉えているはずなのに、少しも攻撃を仕掛けていない。まるで先読みするかのように、僚機からの攻撃をかわしていた。

「おいおい、それじゃ相手よりこっちが先に弾切れしちまうぜ。頼むよ、キース」

 コウは、通信回線が開いたままであることをすっかり忘れていた。

「聞こえてるぜ、コウ!」

 キースがすかさず応答する。

「相手さんには、こっちの作戦がお見通しだったってことじゃないのか? どうするんだ、隊長さん?」

「ちくしょう」

 と言った次の瞬間、敵機のビームライフルから閃光が放たれた。

「来る!!」

 ビームの光は自分に向けられていたのだった。コウは咄嗟に回避運動をとり、辛うじて直撃を免れた。

「くそ、バレバレじゃないか!」

 僚機の戦況に気を取られていたことを棚に上げて、コウは言った。相手に自分の存在が気づかれているとは思わなかったのだ。すぐさま僚機が間に入ってくる。コウはさらに後退して、デブリの散乱する空域に身を隠すことにした。

 1機で3機を相手にできるか、と言われ、アムロは敵役を引き受けた。3対3より圧倒的に不利に思えるが、対する3機の方は連携がうまく取れなければ相討ちになる危険もあり、必ずしも不利とはいえない。訓練側のパイロットたちは、一人ひとりの技量では優れているが、僚機との連携に難があった。
 アムロは、彼の攻撃をかわしたMk-IIが暗礁空域へ後退していくのを認めると、一気に加速して、前方の2機を引き離そうとした。彼らは射程内ぎりぎりの距離に出入りしては、ヒット・アンド・アウェイを繰り返している。射撃は正確で、攻撃をかわすことに神経を集中させなければならなかった。こうして2機で引きつけておいて、後の1機を後ろから回り込ませようという作戦なのだろう。しかし前方の2機に比べて、後の1機には明らかに隙があった。アムロは一瞬意識をそちらに向けると、ビームライフルを一撃した。直撃かと思ったが、回避された。

 2機は一定の距離を保ったままアムロのジムIIを追尾してきた。これなら、残りの1機が潜む空域から2機を引き離すことができる。さらにアムロはジムIIのバーニアを噴射して加速し、水平飛行から上昇へと転じた。
2機は左右に分かれ、一気に加速している。彼らの搭乗するガンダムMk-IIの方が加速力が優れていることはわかっている。その性能差を使って距離を詰め、頭を押さえようとしているのだ。アムロはさらに補助バーニアを噴射して再加速する。激しいGに耐えながら、アムロは次の手を考えていた。相手に背を向けたままでは攻撃できない。

 敵機のMk-IIはアムロ機との距離を縮めつつある。頭の中で3つ数えると、彼は逆噴射をかけて減速しつつ、急旋回して相手を正面に捕捉した。敵機の放った1射目をギリギリのところで回避すると、すかさず反撃を試みる。アムロ機のビームは、射程外に出ようとする敵機の胴体部を捉えていた。
「一つ!」

 モビルスーツデッキの上のコントロールルームのモニターの前で、チェーン・アギ准尉は戦況を見守っていた。といっても模擬戦闘の行われている空域はミノフスキー粒子が散布されているため、きわめて通信状態が悪くなっている。途切れ途切れに届くデータから推測するよりほかになかった。
 ウラキ機は恐らく暗礁空域に入ってしまっているのだろう。動向がさっぱり分からない。ケーラ・スーとチャック・キースの機体は、アムロのジムIIを執拗に追っている様子だった。
「どうなってるの、Mk-IIは。ジムIIごときに圧倒されるような機体じゃないのに!」
 後ろから同じ画面をのぞきこんでいた整備士のアストナージが言った。
「アムロ少尉はジムIIを相当いじってきているんでしょう。デフォルト値でなら、Mk-IIに置いていかれるところですよ」
 モニターの光点が点滅した。KILLDの文字が浮かんでいる。ケーラの機体が直撃を受けたのだ。親友には申し訳ないが、チェーンはなぜか、思わず心の中で快哉を叫んでいた。

 結局、コウを隊長とする3人のチームは、2機撃墜、1機被弾でタイムアップとなった。
「接近戦を仕掛ける」という彼のプランは早々に瓦解し、ケーラ機とキース機が相次いで撃墜、1対1となったコウも最後まで敵機に接近できずに終わった。
 グレイファントムに帰投すると、モビルスーツデッキで腕組みをした教官のバニング中佐がコウを出迎えた。コウはバニング中佐のところへ行った。中佐は白いジムIIのコックピットから出てきたパイロットを見て、片手を上げた。
「いいものを見せてもらった、アムロ少尉」
 アムロ・レイ少尉が手を上げて応えるのが見えた。コウ・ウラキは驚いた。彼は確か自分とは同い年だが、大学で3年勉学したのちに士官学校に入ったという経歴のため、軍のキャリアでは自分の方が4年先輩のはずだった。
 訝しげな表情のコウに、バニング中佐が言った。
「〝彼を知り己を知れば、百戦してあやうからず〟とは、まさにあのようなものだな」
「なんですか、そのことわざみたいなものは?」コウが聞く。
孫子の兵法ジ アート オブ ウォーだ」バニングは笑みを浮かべると、言った。
「何千年たとうとも、兵器がどれだけ進化しようとも、戦いの基本は変わらないものだ」

 エマ・シーンは薄いグレーのロングカーティガンに白いシャツ、足首が出るくらいの丈のデニムのパンツという私服姿で、英国風パブ「ラーディッシュ」のカウンター席にひとり座っていた。夜更け過ぎだというのに、店は賑わっていたが、同僚たちは基地内の将校クラブで騒いでいてここにはいない。彼女は、一人になりたかった。

 連日の戦闘訓練で、彼女は疲れを感じていた。肉体的に、というよりも精神的な疲労感が大きかった。〝新型〟を持ってグラナダ基地に帰る、と意気揚々とやって来たはずだったのに、いまだヴェテランパイロットとの戦闘訓練では、わずかなスコアしか上げられず、ジェリドとコウとの連携もままならない。常に成績優秀で、同僚とはトップスコアを争ってきた彼女には、まさかこれほど毎日、悔しい思いをして過ごさなければならないことが信じられなかった。
 スコアが上がらない理由を、ジェリドはMk-IIのシステムと自分との相性の悪さと見て連日、システム担当の技術士官に食ってかかっていた。コウ・ウラキは自分の操縦技術を磨こうと躍起になっていた。どちらも、アプローチとして間違っているわけではない。でも、何かがずれている、とエマは思った。
 だから、あの日、エマの隊が2機やられ、コウの隊が1機の敵にズタズタにされてしまったとき、彼女は思い切ってアムロ少尉に聞いてみた。一体私たちとあなたとは、何が違うんでしょう、と。

「うーん、そうだね」彼は静かな口調で答えた。
「君たちは、自分がどう動くか、を考えている。それも大事だけど、多分、それだけじゃダメなんだ」
「相手の動きを読め、っていうことですか?」エマの問いに、彼は答えた。
「むしろ、自分の動きによって相手を動かす、ってことかな。うまく言えないけど、僕たちはパイロットという人間と、機体によってコミュニケーションしているんだ。味方であればそれが連携になり、敵であれば欺いたり陥れたりすることになる」

 バーカウンターの向こう側から、髭面の大男が彼女に声をかけた。
「今日は、お休みですか?」
「えっ?」
「失礼、この間制服姿のあなたを見かけたので」
「ええ」エマは口元をほころばせて、言った。
「私、ロンドンの出身なの。だからここに来ると、ちょっと心が落ち着くわ、故郷を思い出して」
「そうですか、ではスコッチ・ウイスキーなど、どうですか。うちのは、本場スコットランドから取り寄せた本物です」
「ありがとう、いただくわ」
 ヘンケン・ベッケナーは、グラスをエマの前に置いた。
「何か、悩みでも?」
「えっ…」エマはヘンケンの顔を見ると、肩をすぼめた。
「ここのお店のスタッフはみんな、通じあっているわね? 店長さんの手腕かしら」
「みな、この店が好きなだけです」ヘンケンが言った。
「お客さんにも、恵まれている」
「私の職場は、みんな自分が一番、と思っている人ばかりなの。ちょっと、疲れちゃったわ」
「パイロットとは、そういうもんです」
「よく、ご存知なのね?」
「昔、軍人でね、連邦軍の戦艦に、乗っていました」ヘンケンが言った。
「パイロット連中は、本当に鼻持ちならない奴らです。だが、本当の戦いになれば、そういう奴らが戦火の中に真っ先に飛び込んで、我々を救ってくれるんです」
「そうありたいものね」エマは言いながら、あのエバーグリーン号襲撃事件のときのことを思い出していた。

2:アフター5クラッシュ

 ハヤト・コバヤシはモニターの隅に表示される時間表示を見た。16時58分。もうすぐ定刻である。17時の定刻になるとほどなく、上官が「今日はここまでだ」と立ち上がって帰り支度を始める呑気な職場に彼は勤務していた。

 一年戦争のあと、アムロやフラウらとともにトーキョーに開設されたコロニーからの避難民の居住区で、残りの高校生活を終えたあと、彼は自ら志願して連邦軍に戻った。一年戦争末期の激戦で多くの将兵を失った連邦軍は、経験のある兵士を喉から手が出るほど欲していたのだ。彼は士官候補生学校で数ヶ月の訓練を受けたのち少尉の階級を与えられ、再び宇宙へ出て、月の裏側にあるグラナダ基地で勤務した。その後エイパー・シナプス大佐が艦長を務めるホワイトベース型の戦艦アルビオンにオペレーターとして搭乗し艦隊勤務を経験したが、大幅な軍の再編とグラナダ基地の縮小により、今は<サイド5>の首都コロニー、アレクサンドリアにある連邦通信委員会で、武官として派遣されているブレックス・フォーラ少将の副官を務めている。

 連邦通信委員会とは、地球連邦が管轄する地球上および月面都市、スペースコロニーの放送通信事業を管理・規制監督する機関で、通信設備・通信用人工衛星の設置などを通して地球圏の通信環境の整備に取り組んでいる。そんな機関に連邦軍から武官が派遣されているのは、もっぱら一年戦争の「後始末」のためであった。一年戦争時に決行されたコロニー落としや、その後の戦闘によって、地球の周囲を取り囲んでいた多くの人工衛星が破壊された。地球上の電気通信網の被害も甚大だった。それに拍車をかけたのが、電波妨害のために地球上から宇宙まで、戦場となったあらゆる場所に散布されたミノフスキー粒子である。電波通信が正常に行えなくなるため、戦場ではもちろん市民生活への影響も重大で、特に地球上で暮らす市民は、旧世紀の1980年代以前にまで遡る通信環境に逆戻りさせられてしまった。その後復旧にはおおむね5年を要し、通信環境はかなり改善したものの、地球と月面都市、スペースコロニーとの間の通信環境は、まだ完全な状態にまで回復したとはいえない。
 連邦軍が、連邦通信委員会に武官を派遣しているのは、一つには軍の通信環境を優先的に整備するための調整という目的があるが、ミノフスキー粒子の除去作業の管理・監督のため、そしてミノフスキー粒子による電波妨害に対する苦情に対応するためであった。軍人にとってみれば、閑職であり左遷コースといっていい。

 ブレックス・フォーラ少将は「知らなかった男」として軍の中では知られる存在だった。彼は木星に、エネルギー資源であるヘリウム3を採掘し地球圏へ運搬する「木星エネルギー船団」を指揮するために軍から派遣されており、一年戦争の開戦時には木星からの帰路にあった。木星までは片道1年、往復2年がかかる。彼が指揮する船団が地球圏を出発した宇宙世紀0077年、まだ世界は平穏であった。しかし、帰路につく頃には地球圏との通信がほとんど途絶えてしまい、やってくるはずの後続の船団と出会うこともなかった。彼は地球圏に戻るまで、文字通り一年戦争の勃発もその結末も「知らなかった」のだった。
 ブレックス・フォーラは、そのときはじめてコロニーに残してきた家族を「コロニー落とし」で失ったことを知った。木星船団の過酷な勤務に耐えながら守ってきた地球圏の繁栄は形もなく消え、コロニーと多数の艦艇の残骸が浮かぶ宇宙そらで、彼は怒りに震えて泣き叫んだという。その後船団の乗組員らとともにジャブローに文字通り殴り込み、そのまま捕らえられた。そして今は、戦争の後始末ともいえる仕事と役職を与えられ、眠ったように日々を過ごしている。

 案の定、時間表示が17時を示すと、上官は立ち上がって言った。「今日はここまでとしよう、コバヤシ君、君も終わりたまえ」
「は、はい。では今日はここまでとします」
 彼はそう答えると仕事の手を止めて、帰る準備を始めた。
 ハヤトは、定時に追われる職場に来たおかげで、アフターファイブに好きだった柔道の道場に通うという楽しみができ、それはそれでよかったと思っているが、自分同様に家族もいない上官は、一体どう過ごしているのだろうか。ふと、そんな出来心から、彼は帰路につくブレックスの後をこっそり、つけてみることにした。

 彼は予想に反して、繁華街に向かっていく。追う側、追われる側、どちらも、カーシェアのエレカを運転している。同型の車体なので、相手に尾行を悟られる恐れはほとんどなかった。
 ブレックスは、高級ブティックやレストランが立ち並ぶパーク・アヴェニューの一画のカーシェアパーキングでエレカを降りると、通りを歩き始めた。ハヤトは少し遅れてエレカを降り、距離を開けてつけてゆく。人通りが多いため、目立ちがちな連邦軍の制服でも見つからないようにごまかすことができた。ブレックスは、まったく気づく気配もなく、時折立ち止まって、高級店のウインドウを眺めたり、腕時計を見て時間を確かめたりしている。
 誰かと、待ち合わせているのだろうか?
 なんとなく、バツの悪い気分になったが、それを好奇心が上回り、ハヤトは角を曲がったブレックスに続いていった。
 彼は角から数軒先のビルの前で立ち止まった。オフィスビルで、1階がレストランになっている。店名は「アーガマ」、唐草の文様が刻まれた壁面装飾が独特の雰囲気を醸し出すインド料理の店だった。離れた建物の影から様子を伺うと、ブレックスは店の前に立ち止まり、やはり誰かを待っている様子で時計を見た。
 そのとき、ハヤトのすぐ横を、目の覚めるような金髪の美女が香水のフローラルな香りを漂わせながら通り過ぎ、思わず彼は目を奪われた。年齢は自分と同じくらいに見えるが、女性のことはよくわからない。彼のいる場所から少し先に行ったところで、彼女は右手を上げて小さく振った。その先にいたのは、彼が追っていた男、ブレックス・フォーラであった。二人は店の前で落ち合うと、親しげに挨拶を交わして中へと入っていった。
 なんだ、とハヤトはがっかりした気分になった。あんな若い恋人と、食事? しかし妻子を亡くしたブレックスは独身のはずで、何もやましいことはしていない。彼は、変な気を起こしてあとをつけた自分に対して、ちょっとした自己嫌悪を感じながら、踵を返して帰路についた。

 ロンデニオン・スペース・アカデミーでのサマーキャンプが、終わる日が近づいていた。キャンプの最後には、グループに別れて<サイド1>の行ってみたいコロニーを訪れるという自由行動の時間が設けられている。出かける前に、カミーユは不正アクセスの罪を免除してもらうために引き受けた「任務」の結果を出そうと、仲間たちとは離れて一人、個室にこもって端末に向かっていた。
 カミーユは、彼自身が不正アクセスで得た〝新型〟移送計画の情報源に、他に不審なアクセスがあったかどうかを調べた。本来は、権限を与えられた特定のIDしかアクセスできない場所にある。実際、カミーユも最初に不正を働いたときは、政府機関に勤務する父のIDからアクセスした。もちろん父にはアクセス権限はなかったので、権限付与のプログラム解析をして突破しなければならなかったわけだが、今回は「任務」なので、その必要はない。
 調べてみたところ、アクセスしているのは連邦軍の関係者ばかりであった。そのIDの一つひとつを彼は追いかけてみたくなったが、そうして好奇心のままに脇道に逸れて遊ぶ余裕はない。しかし、その中に一つ、傾向の異なるIDが見つかった。カミーユは、そのIDの「動き」を追いかけてみることにした。連邦軍関係者のIDだろうと推測できるものの、そのIDは軍、政府機関を離れ、それとは無関係に思えるいくつもの場所にアクセスしている。そのIDの持ち主の「居場所」もわかってきた。連邦通信委員会、というのがその場所と思われた。よく知らない機関だが、調べてみると、地球圏の通信環境整備に取り組む政府関係の機関らしいとわかった。事務局があるのは<サイド5>のアレクサンドリア、かつてカミーユが両親とともに暮らしていたコロニーである。
「さすがだな」と、カミーユは端末を操作しながら一人、つぶやいた。<サイド>をまたいだコロニー間の通信は、中継用の通信衛星の再構築が遅れているため、一般市民に対してはアクセス制限がかかっている。しかしカミーユに「任務」のために付与された軍のIDなら、いつでも、どこにでもアクセスできるようになっていた。そして、カミーユが怪しいと睨んだIDの持ち主は、<サイド5>のアレクサンドリアから、<サイド1>に頻繁にアクセスしていた。
 何があるんだろう。カミーユは、その好奇心を追いかけてみることにした。時計は0時をすぎている。今夜も、夜更かしすることになるだろう。

 時計が、16時50分を示している。前日、上官であるブレックス・フォーラ少将の勤務後の行く先について、ちょっとした出来心で尾行し、若い女性と会っていることを知ってしまったハヤト・コバヤシは、そのことが相手に知られていないかと一日をビクビクしながら過ごしたが、特に何も指摘されることなく、無事退勤時間を迎えようとしている。今日は道場は休みだから、ジムに寄って体を鍛えるつもりだった。
 ところが17時5分前になったころ、ブレックスが声をかけてきた。
「ハヤト君、もうすぐ勤務時間も終わるが、この後なにか予定はあるかね?」
 ハヤトは思わぬ声掛けに一瞬ビクっとなったが、なんとか平静を装って答えた。
「今日は、仕事終わりにジムにでも行こうと思っていたくらいで、特に予定という予定はありませんが…」
「熱心だな、君は柔道もやるそうじゃないか、しかも黒帯だとか?」
「ええ、まあ…」
 ブレックスが、口髭をなでながら言った。
「実に興味深い。それだけではないぞ、君は一年戦争のとき、あの軍事機密になっとったという第13独立戦隊に所属していたそうじゃないか」
「よく…ご存知ですね」
 ハヤトは、急にいろいろほじくり出してきたブレックスの真意を計りかねた。
「いや、実は最近会ったある人に、今の仕事のことなどを話す中で、副官の君のことにも触れたんだが、そうしたら、ぜひ会いたい、と言い出してきかないんだ。それで、もし君さえよかったら、このあと一緒にその人も交えて食事でもどうか、と思ってね」
「そうですか、それなら喜んで」
 ハヤトは答えた。どういう相手なのかわからないが、上官の顔は立てなければならない。それに、もし最近会ったある人というのが、昨日のあの女性だったら…?
「そうか、それなら話は早い。もう5時だ、勤務時間は終わった。出る準備をしたまえ」

 ハヤトがハンドルを握り、カーシェアのエレカで向かった先は、先日ハヤトが尾行しブレックスが入っていった「アーガマ」というインド料理店にほど近い、高級中華料理店だった。店に入り、個室席に案内されて、しばらくブレックスと雑談していると、その、ハヤトに会いたいというもう一人の客が店員に案内されてやって来た。
「すみません、遅れてしまって」
 その声に思わず顔を上げたハヤトは、そこに立つ女性を見て驚いた。昨日、ブレックスと待ち合わせていたあの女性がそこにいた。赤いチャイナドレス風のワンピースを身に着け、昨日とは違ったオリエンタルな香りを漂わせている。
「私たちも、今しがた来たところだ、紹介しよう、こちらが私の副官を務めてくれている、ハヤト・コバヤシ中尉」
 ハヤトは立ち上がって、会釈する。
「彼女は、ルオ商会アレクサンドリア支店でマーケティングを担当している、ベルトーチカ・イルマだ」
「光栄です、一年戦争の英雄と呼ばれるお一人に、こうしてお会いできるなんて!」
 彼女は輝くような笑みを浮かべる。ハヤトは、今までそんなふうに言われたことがなかったので、背中がむずかゆくなる気がした。

 テーブルに、料理と紹興酒とが運ばれてくる。ブレックスは慣れたもので、戸惑うハヤトも、たちまち会話の中に引き込まれていった。ベルトーチカという女性が彼に興味を持ったのは、<サイド3>ジオン共和国のジャーナリスト、ジュード・ナセルが著した本『コンフィデンシャル・ソルジャーズ 連邦軍第13独立部隊の真実』を読んだことがきっかけらしい。彼もまた、3年ほど前にナセルの取材を受けていたし、贈呈された著書も読んでいた。当時のことを思い出すのは、決して快いことではないが、取材を受けたとき、ただ生き延びるために必死だった少年兵たちの戦いにも、歴史を刻み、その一端を動かしたという事実があり、その意味を客観的に捉え直すことができ、彼なりにようやく意義を見出せた気がしたものだった。その本が出来上がって、人々が手に取ったとき、どういう反応を示すか、ということまでは考えたことがなかった。
「ちっとも、知らなかったんです」とベルトーチカは言った。
「コロニー住民の命が失われるのを、あの腐り切った連邦政府の官僚たちは、ただ黙って見ていたのよ、そんな中で、私と同世代の人たちが、こんなふうに戦っていたなんて」
「別に、黙って見ていたわけじゃないと思いますよ、僕たちが戦えたのは、連邦政府が反撃のための準備を軍にさせていたからで、自分たちだけが戦ったというわけでは…」
「そうだとしても、そのことをずっと隠匿していたなんて、ひどいと思わない?」
 絶品の料理でお酒もすすみ、ベルトーチカはますます饒舌になっているようだ。ちょっと失礼、と行って彼女が化粧室に立ったすきに、ハヤトはブレックスに耳打ちした。
「大丈夫なんですか、少将。ルオ商会っていうと、連邦通信委員会とも取引があるんじゃないですか? これって、接待ってことになるんじゃ…」
 ははは、とブレックスは笑うと言った。
「彼女とは、仕事を離れたプライベートな付き合いだ、今日だって私の奢りだ、気にするな」
 プライベート、と言い切ったことが別の疑惑を生んだが、ハヤトはその点については黙っていた。
 席に戻ってきたベルトーチカが、おもむろに口を開いた。
「ハヤト・コバヤシ中尉、実はお願いしたいことがあるの。いいかしら?」
「なんでしょう?」
 いやな予感に、ハヤトは少々身構えるような心地になっていた。何でもお願いすれば叶えてもらえる、そういう境遇になることは間違いない。何しろ美人だ、彼女に何か頼まれて断れる男がいるだろうか? 
 彼女はハンドバッグから、例のジャーナリストが著した本とペンを取り出し、表紙を開いた。
「ここに、サインしていただけないかしら?」
「サインですか? そんな、僕、有名人でもなんでもありませんよ。それに、サインならこの本の著者にもらうべきじゃないんですか?」
「あら、謙虚なのね。でも私にとっては、この本に書かれているホワイトベースのクルーたちは、みんな英雄。サインをもらうだけの価値はあるの。ね、お願い」
 仕方なく、ハヤトは言われるままにサインをした。彼女はキラキラした目でそれを見つめると、ゆっくりと表紙を閉じて本をバッグに仕舞った。
「それと、もう一つお願いがあるんだけど、ガンダムのパイロットだったアムロ・レイってお友達でしょ? 彼に会わせてくれないかしら?」
「はぁ?」思わずハヤトは声を上げて、聞き返してしまった。
「彼のサインも、もらいたいの。もし無理なら、今どこにいるか教えてくれるだけでもいいわ」
 ハヤトは、もしかしてこれが彼女の真の目的ではなかったかと気がついたが、もう遅かった。ブレックス少将が口をはさむ。
「彼は、確か今は<サイド1>のロンデニオン基地に勤務しているんじゃなかったかな? ハヤト君。連絡は取れるかね?」
 まずいことに、ブライトとミライ、アムロがロンデニオンに揃ったことから、久しぶりに夏の休暇に元クルーで集まろう、ということになっていた。下手に彼女に突撃されて、アムロや他の友人と気まずい関係になるのも避けたい。思案した末、ハヤトはこう言うしかなかった。
「夏の休暇を利用して、元ホワイトベースの友人とロンデ二オンで再会しようっていう計画があるんです。そのときアムロにも会うと思うので、会えないかどうか声を掛けてみましょうか」
「きゃー、うれしい!」
 ベルトーチカは歓声を上げて、ハヤトに抱きついてきた。アムロに会ったら、もしかしてサインだけでは済まないことになるのかもしれない。しかしそこまで自分が責任を持つ必要もないだろう。知ったことか、と彼は思った。

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