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機動戦士ガンダム0090 越境者たち #10 月の迷宮

 機動戦士ガンダムで描かれた、一年戦争の終結から10年後の世界、Zガンダムとは別の「もう一つの宇宙世紀」の物語を描く。拙作「機動戦士ガンダム0085 姫の遺言」の続編。
 ロンド・ベル隊に出撃命令が出たことを、ブライトはミライに伝える。出動を伝えるアムロに、セイラは「ここで待っている」と伝える。グラナダでは、ベルトーチカに連れられて地下の戦闘指揮所に入ったハヤトが、そこでブレックス・フォーラに真意を問いかける。

 ああ、ひとり寂しく座っている。
 人で満ちていた都が。
 彼女はやもめのようになった。
 国々の間で力に満ちていた者、
 もろもろの州の女王が
 苦役に服することになった。

 彼女は泣きながら夜を過ごす。
 涙が頬を伝っている。
 彼女が愛する者たちの中には、
 慰める者はだれもいない。
 その友もみな裏切り、
 彼女の敵となってしまった。

――-旧約聖書「哀歌」1章1、2節

 彼もまた、モニターを通してグラナダの地表で行われている組織的な攻撃を、身じろぎもせずじっと見ていた。人は彼を「知らなかった男」と呼んだ。遠い惑星まで往復する任務に就いていたため、一年戦争の勃発も「コロニー落とし」の惨劇も、知らなかったからである。地球圏に帰還した彼は、家族が待っていたはずのそのコロニーのあった空域、その時は、残骸となったデブリが散らばる暗礁空域となった場所で、男泣きに泣いたという。
 そして男は、復讐を誓った。

※「哀歌」は紀元前590~580年頃のエルサレム滅亡を嘆き悲しんで預言者エレミヤが書いたといわれる詩。



1:知らなかった男

 ハヤト・コバヤシは、ベルトーチカに連れて行かれたグラナダ地下の戦闘指揮所に留まっていた。数名いる人員はみな思い思いの私服姿で、制服らしきものを着用している者は一人も見なかった。しかし、その動きや仕事ぶりを見ていれば、彼らが素人でないことはすぐにわかった。軍属だったか、一年戦争時に従軍経験があるか、どちらかだろう。もともとここはジオン公国が領有していた。もしかしたら、彼らは元ジオン軍人なのかもしれない。
 しばらくして、レコア・ロンドが言った。
「ハヤト・コバヤシ中尉。ブレックス・フォーラ少将がお話になりたいそうよ。どうぞ、こちらへ」
 ハヤトは彼女に連れられ、奥まった一室へ入っていった。では、ごゆっくり、というと彼女はその小さな部屋を出て行き、彼は一人になった。目の前にコンソールとモニターがある。彼は椅子に座り、モニターに映るブレックス少将の顔を見つめた。
「私を探しに、グラナダまで来てくれたのだな、ハヤト・コバヤシ中尉。君なら、来てくれると思っていた」
「ブレックス少将、あなたは今、どこにおられるのですか?」
 少将はきれいに整えられたあごひげを撫でながら言った。
「グラナダではない。それ以上のことは今は言えない」
「しかし、このグラナダでの所属不明のモビルスーツが起こしている騒乱。奪われたテスト中の新型ガンダム。すべて、あなたが仕組んだことではないのですか?」
 少し目を伏せただけで、画面の向こうの上司は穏やかな表情を崩さなかった。ハヤトは、それを肯定のしるしと受け取った。
「なぜ、こんなことを…! 平和な日常を取り戻した地球圏を、なぜ再び戦乱の中へ連れて行こうとするのですか?!」
「平和な日常、と君は思うのか? そうではあるまい。進歩を忘れ、それぞれの今いるところに引きこもることで身を守ることを学んだ、怠惰な時代になっただけのことだ」ブレックス・フォーラは目をあげると、静かに言った。
「皆が私のことを、何と呼んでいるか、君も知っていいるだろう」
「は…はい、聞いたことはあります。〝知らなかった男〟と…」
「話してあげよう、私がそう呼ばれるようになったわけを。そうすれば、君にもわかるはずだ。私が今の状況に対して、反旗を翻そうとする理由が」
 ハヤトは、ブレックスのまっすぐな視線に気圧されて、言葉もなく頷いた。
「宇宙に出て、再び大航海時代が到来したのだ、ハヤト君。サブオービタル飛行(※)で移動ができる現在では、地球上のどこへでも、数時間で行けるようになっているが、大航海時代と呼ばれた西暦1500年代には、君の先祖の国、日本からローマまで行くのに3年かかった。我々は今、2年で木星までの航路を往復している。人類を悩ませつづけてきた、エネルギー問題を解消するために」と、ブレックスは静かに、かつてのことを語り始めた。

※サブオービタル飛行
地上から出発し、高度100km程度まで上昇後、地上に帰還する飛行。地球上の大陸間の移動時間が大幅に短縮される。

「木星エネルギー船団」の指揮官として、彼は宇宙世紀0077年12月に超大型輸送艦ジュピトリスを率いて地球圏を旅立った。ジュピトリスは全長2.2キロメートルにも及ぶ巨大船で、往復2年の航行期間にも健康で快適な船内生活を送れるように、居住区にはゆったりした個室のほか、健康増進施設や学習・娯楽施設なども整備されている。乗組員は、運航を担う地球連邦軍の軍人25名と、木星のエネルギー基地でヘリウム3の採掘事業に携わるために派遣される木星エネルギー公社の職員数百名で、<サイド1>から<サイド7>まですべてのスペースコロニー、フォン・ブラウンやアンマン、グラナダなど月面都市の出身者で構成されていた。地球出身者は、連邦軍も含めて一人もいない。
 乗組員のうち、木星エネルギー公社の職員は木星エネルギー基地で船を降り、任期を終えて地球圏へ帰還する職員が代わりに船に乗り込んでくる。輸送船は、往路は木星基地へ届ける物資を満載し、復路は採掘されたヘリウム3を積んで戻っていく。ヘリウム3は放射能をほとんど発生させない核融合炉の燃料で、宇宙船に搭載される核融合エンジンの動力源として、また核融合発電のエネルギー源として幅広く利用されるようになっていた。
 はるか木星にまで採掘源を求めることになったのは、採掘可能だった月面での資源獲得競争の激化から国家間の激しい対立を招いた結果であった。人類共通の課題であったエネルギー問題と地球温暖化問題を解決するため、宇宙空間と地球外資源の平和的利用を目指す国際機関として<宇宙開発委員会>が設立され、それが現在の地球連邦政府の母体の一つとなった。地球連邦軍もまた、宇宙資源の安全な輸送と公平な分配、そして宇宙資源をめぐる紛争解決のために設立された武装組織であった。

 0078年の11月、ブレックス・フォーラ少将率いる超大型輸送船ジュピトリスは木星エネルギー基地に到着し、物資の搬出・採掘資源の搬入作業を終えたのち、0078年12月、地球圏へ向けた帰還の旅へ出航した。地球への帰還予定は0079年12月。故郷を目指す復路の航海に、ブレックス配下の乗組員らは意気軒昂だった。木星での過酷な作業を終えて家路に着いた500名あまりの職員たちを、無事故郷に送り届ける。それは、単調なこの航海を支える、彼らの大きなミッションであった。
 0078年12月31日、ジュピトリスの船内では盛大に新年へ向けてのカウントダウン・パーティが開かれていた。航路にはまったく補給できる場所はなく、食料は決して潤沢とはいえない。しかし限られた物資の中で工夫して、何事も豪勢に見え、おいしく楽しめるものに仕立て上げる術を、厳しい採掘基地での生活の中で、職員たちは獲得していた。
 ブレックスもそのとき、艦長席で職員たちが用意したご馳走を味わったことを、覚えている。そのときは、このまま順調に航路を進んで、もう一度新年を迎えたのち、数ヶ月後には地球圏へ戻れるもの、と思っていた。だが、0079年の新年を迎えて数日後、思いがけない事態に陥った。<サイド1>に置かれている、木星エネルギー船団統括本部との通信が途絶えた。それだけではなかった。地球圏の主要な機関のどこにも、通信がつながらなくなった。当初は、ジュピトリスの通信機器関係の故障かと思われていた。しかし、何度点検しても、故障した箇所は見つからなかった。通信電波は正常に発信されていた。受信もできるはずだった。しかし、受信すべき電波はまったく、発信先から帰って来なくなった。地球圏で、何事かの異変が起こっているのではないか、という憶測が、船の中で次第に広まっていった。

 木星基地との通信は、つながった。彼らもまた同様に、地球圏との通信が途絶え、何が起こったのかわからない、と言った。木星に向かう次の輸送船と航路上ですれ違うはずだったが、船はどこにも現れず、レーダーにも捉えられなかった。地球圏で、何が起こったのだろうか。乗組員の間では、様々な憶測が飛び交っていた。巨大隕石が地球に衝突して、人類滅亡の危機に瀕しているのではないか。いや、大規模な通信障害を引き起こす磁気嵐が継続的に発生しているのだ。
 その中で、最も信憑性を持って語られていたのが、スペースコロニー間での戦争が勃発したのではないか、ということだった。かねてから<サイド3>がジオン公国を名乗り、地球連邦からの独立を求めて運動していたからだ。しかし、戦争が起こったのではないか、という憶測と、通信が途絶えたという事実は必ずしも直結しない。乗組員らの不安は日に日に高まっていった。ブレックスは、決断した。ジュピトリスには、脱出用の高速艇が備え付けられている。この船を出して、地球圏で何が起こっているのかを確認、連絡させるというのだ。
 この任務に志願した者の中から、ブレックスは惑星間航行の経験豊かな二人を選んだ。<サイド2>のヘルムート・イルマ、そして<サイド3>のシャリア・ブル。0079年8月に、彼らはジュピトリスから飛び立った。
 火星を通過した、という連絡があり、先遣隊の航行は順調と思われた。しかしそれから2週間後、彼らは消息を絶った。その直前、ブレックスはヘルムート・イルマから謎めいた通信を受け取っていた。<サイド3>が地球連邦に戦争を仕掛けた。ジュピトリスも狙われている。<サイド3>の連中に気をつけろ。
 ブレックスは、船内での混乱を避けるため、その内容を内密にしていた。しかし、どこからともなく不穏な動きが広まっていった。<サイド3>出身者とその他のコロニー出身者との間に、徐々に亀裂が生じてきているのをブレックスは感じた。ついに地球圏に到達したとき、すべてが明らかになった。地球連邦軍の基地、ルナツーと通信がつながり、彼らは0079年初頭に<サイド3>ジオン公国が地球連邦に対し、独立を求めて戦争を起こしたこと、宣戦布告と同時に<サイド1><サイド2>のコロニーが攻撃を受け、そのうち数基が質量爆弾として地球に落とされたことを知った。


「後になって、私は消息を絶ったシャリア・ブルのことを調査した」ブレックスが言った。
「彼はジュピトリスを出たあと、高速艇で<サイド3>に帰還したのだ。おそらく途中で、ヘルムート・イルマを殺害したのだろう。そして、ギレン・ザビにその能力を見出され、モビルアーマーのパイロットとして戦場に出た」
「殺されたのは、ベルトーチカの父親なのですか」
 ブレックスは、うなずいた。ハヤトは思わず、顔をしかめる。
「その、シャリア・ブルの能力というのは、もしかして…?」
「そうだ、ニュータイプ能力だ。だが、彼は撃墜された。それ以上の能力を持つと噂された、連邦軍のパイロットに、な」
 ハヤトが、息を飲んだ。ジオン軍のニュータイプ部隊と対戦し、撃墜したパイロットというと、アムロ以外には考えられない。
「おそらく彼は、<サイド3>からジオンの艦隊を連れてきてジュピトリスを乗っ取るつもりだったのだろう。ジオンは戦争継続のため、ヘリウム3を必要としていたはずだ。しかし、ジオン軍は地球連邦軍の反攻により追い詰められ、すでにそうした余力を失っていた」
「そのときまで、あなたは知らなかったんですね、戦争が起こってコロニーが地球に落とされたことも、人口の半数近くの命が失われたことも」
「その通りだ、ハヤト君。落とされたコロニーには、私の妻子がいた」
「それが、理由ですか」ハヤトは、目をそらして言った。
「ハヤト君、君と私とは似たもの同士だ。故郷を失い、家族を失った。今グラナダの地下にいる者たちも」
「コロニーを落としたのはジオン公国です。我々地球連邦は、地球に侵攻してきたジオン軍に反撃し、彼らを<サイド3>へ追い戻し、サビ家の独裁体制を倒した。確かに、私たちはみな、故郷や家族を失ったかもしれません。でも、その代償を彼らに負わせたんです。それで、十分ではありませんか。なぜ、今さら新たに戦いを仕掛けようとするのです? しかも、私たちの属する地球連邦に向かって…」
 ブレックスの表情から穏やかさが消えた。その声はかすかに震え始めた。
「なぜ今さら、と君も言うのか。しかし、人口の半数を死に至らしめたほどの戦争を戦って、我々は一体何を勝ち得たのだ。<サイド3>の国民は、彼ら自身を苦しめてきた独裁体制を葬り去って、しかも望んでいた独立を勝ち得た。失ったのは、わずかに君のいる都市グラナダだけだ。我々はどうか。我々の先駆者たちが宇宙に築いた大地と、そこに住む人々を失った。なぜか? 戦わずして認めればよかったジオンの独立を認めようとしなかった、ビジョンなき連邦政府が、この惨禍を招いたのだ。しかも彼らは何の責任も負わず、痛痒を感じることもなく、今もその座に留まり続けている。それだけではない。戦後は戦火による経済損失と人口減少に苦しむスペースコロニーを、無用の長物と見なしてなんの補償もしないまま彼らの自治に任せ、地球本土の復興を優先するばかりだ」
「このまま、スペースコロニーは復興もできずに見捨てられる、というのですか?」ハヤトが言った。
「その通りだ。一つの連邦、といいながら、彼らは危機的状況となれば、容易に宇宙を切り捨ててしまう。そう考えたとき、私は気づいた。スペースノイドによる新しい世界秩序の構築を目指したジオン・ダイクンは正しかった、と」
 ハヤトは、その言葉に身震いした。
「では、あなたはジオン・ダイクンの目指した革新を引き継いで、戦いを挑むというのですか?」
「私は、彼の提唱した人の革新、ニュータイプなどというものに関心はない。ただ、宇宙世紀がまもなく100年を迎えようとするこのとき、いまだ地球に張り付いたまま動かない者たちに、すべてが委ねられているという状況を変えたいだけだ」
「でも、地球連邦軍はいまだ強大です。一体どうやって、戦うというのですか」
 モニターの画面の向こうで、ブレックス・フォーラは目を閉じると言った。
「ハヤト君。私がもともとどこでどんな任務に就いていたか、話しただろう。君の周りにいる同志は、ほんの一部だ。同志は地球圏のどこにでもおり、そして木星から来る船にもいる」
 そして、彼は目を開いた。
「賢明な君には、その意味がわかるだろう。我々は、ジオン公国のような戦い方はしない。地球連邦そのものを、分断させるのだ」

2:出撃命令

 ブライト・ノアは腕時計を見た。もう夜中の2時が近かった。自宅の玄関前で、ふうっと息を吐く。まだ、部屋に灯りがついているのが外からでもわかる。律儀な彼女のことだ、ずっと起きて、帰りを待っているのだろう。連日の報道を見て、遅くなった理由も大方悟っているに違いない。
 だからこそ、彼は少し躊躇した。彼女とロンデニオンで暮らし始めて、また2か月にもならない。彼女を、そして何よりまだ3歳のハサウェイを置いて出ていかなければなならないことは、彼にとっても辛かった。
 解錠して、彼は玄関のドアを開けた。気配に気づいたミライが、立ってブライトを出迎える。フレンチスリーブの、ゆったりとした部屋着のワンピース姿がいつもに優って愛らしく見えた。
「おかえりなさい」
 小さな声で、彼女が言った。ブライトは、何も言わずに彼女の背中に手を回し、ぎゅっと抱き締めた。ワンピースの薄い生地ごしに、彼女の胸のやわらかさを感じる。
 やがて彼女は体を離すと、言った。
「どうしたの? 今日は…」
 その、少女のように恥じらう表情が、ブライトの心を落ち着かせた。彼は言った。
「ロンド・ベル隊に出撃命令が出た。グラナダへ行く」
 彼女の顔に、驚きはなかった。ただ、静かにうなずいただけだった。
「あなたの力が、必ず必要になる、と思っていたわ」
 ミライは、ブライトが抜いた軍服の上着を受け取ると、コートハンガーにかけた。二人はリビングに行き、ソファに腰を下ろした。
「君は、前向きだな」ブライトが言った。
「あら、そうかしら」
「内部事情を知っていると、いろいろと疑い深くなる。このグラナダ基地からの出動要請も、そうだ。グラナダ基地司令のジャミトフ・ハイマン中将と、ロンデニオンのジョン・コーウェン中将の出世レースが裏にある」
「どういうこと?」
「グラナダで起こっている騒乱、ああいうゲリラ戦というのは正規軍が一番苦手とするものだ。彼らは市民を盾に取っている。いくら最新鋭の戦艦やモビルスーツを持っていても、それらを有効に使って攻撃することができないんだ。掃討は難しく、勝利の条件もはっきりしない。ジャミトフは厄介な状況にこちらを巻き込んで、自分たちは時期をみて引いていく気だ」
「そんなふうに、先のことまで考えて分かってしまうから、あなたは辛いのね」
「損な性分さ、まったく」
 ミライが、微笑んだ。
「でも、そんなあなただから、みんな従えるっていうこともあると思うわ」
 彼女は、淹れたてのコーヒーを注いでブライトの前に置いた。不意にブライトが言った。
「アムロは、どうなんだ。結婚しないのか? 彼女はまだ、ロンデニオンにいるんだろう」
「まあ、どうしたの。急にそんな話」
「そういう話をするんだろう? 女子会では」
 ふふふ、とミライが笑って言った。
「そうね、私、未亡人にはなりたくないから、って、セイラは言っていたわ」
 ブライトが、肩をすぼめた。
「相変わらず、厳しいことを言うな、彼女は」
「よく、分かっているのよ、セイラは。あなたのような立場とは違って、パイロットは真っ先に、敵に向かって飛び込んでいく役回りだっていうことを。待っている時間も、きっと私よりずっと辛いものになる」 
 ブライトが、ミライの手に触れた。
「その時間、彼女を支えてやってほしいな、君には」
「ええ」ミライが、その手を握り返した。
「私、思っているの。あの二人は、今は二人にしか見えない何かを追いかけているんじゃないかって。いつか、それが形になって見えるときを、私は楽しみにしているの。だから、アムロを決して、死地に追いやるようなことはしないで」
「わかっているさ」ブライトはそう言うと、もう一度彼女を抱き寄せた。

 その日もいつものように、ロンデニオンの官庁街にある店「ラーディッシュ」はランチタイムを終えて、ようやく一息つける時間帯を迎えていた。しかし、一本の電話をきっかけに、店長のヘンケン・ベッケナーの表情が硬くなったことに、アリョーナ・ペイジは気づいていた。月面都市グラナダで、彼らの作戦が動き始めたことは、彼女もヘンケンから聞いて知っていた。連日、ユニヴァーサル・ニュース・ネットワークでは特派員のカイ・シデンが現地の状況をレポートしている。いつも白いスーツで身を固める彼の姿に、なんてキザな男なんだろうとアリョーナは思った。
「アリョーナ、ちょっといいか?」
 厨房の奥の事務所から顔を出したヘンケンが、彼女を呼んだ。事務所へ行くと、ヘンケンは腕組みをして硬い表情のまま座っていた。アリョーナの顔を見ると、言った。
「新規プロジェクトのため、出張することになった。しばらく、店を頼む」
「…という名目ね。何があったの?」
「ロンド・ベル隊に出動命令が下った。行き先はグラナダだ。奴らは相当、苦戦しているようだ」
「それでなのね、最近ロンデニオン基地の連中が店に来なくなったのは」
「出動準備に追われているのだろう。そのうち誰か君の気のある奴が、別れの挨拶に来るかもな」
 アリョーナが、肩をすぼめた。
「で、あなたはどこへ?」
「シャングリラへ行く」ヘンケンは同じ<サイド1>のコロニー名を挙げた。
「もうまもなく〝彼ら〟が戻ってくる。我々も、そろそろ動き出さなくてはいけない」
「<インティファーダ(蜂起)>の日が、近いのね?」アリョーナは、旧世紀時代に起きた住民の抵抗運動になぞらえて、名付けられた彼らの作戦名を口にした。ヘンケンが、静かにうなずいた。
「浮かない顔をしているな?」
「何が起きるのかを想像するとね…」アリョーナが、肩をすぼめる。
「決して、楽しくはないわ」
「店は、任せて大丈夫だな?」
「もちろん」
 アリョーナが答えると、ようやくヘンケンの顔に笑みが浮かんだ。

 グラナダ宮殿の支配人室では、スーツ姿のエギーユ・デラーズがイライラとした様子でデスクの前を行きつ戻りつしていた。〝指輪〟を取り戻し、シャア・アズナブルを始末せよ、と命じたことに対して、シーマ・ガラハウからは、いまだ何の報告もない。
 デスクの電話が鳴り、デラーズは受話器を取った。
「閣下、ブレックス陣営より連絡がありました。連邦軍のロンデニオン基地から、ロンド・ベル隊が近くグラナダに向けて出動する、ということです」
「了解した」
 そう言うと、デラーズは受話器を叩きつけるようにして置いた。
「どうするつもりだ、シーマ。このままでは、主導権を彼らに握られてしまうぞ!」
 そのときアナベル・ガトーは、<ローゼズ・ガーデン>で悠然とバラの手入れに取り組んでいた。先日の対処が功を奏し、彼と彼の育てるバラの木々を苦しめていたうどんこ病は制圧されつつある。グラナダ市街にはいまだ緊急事態宣言が発令され、グラナダ市政府は市民に対して、テロへの警戒と不要不急の外出自粛を呼びかけていたが、そんなことをものともせず、<ローゼズ・ガーデン>にはグラナダ、いや地球圏随一とも呼ばれる美しい離宮とバラ園の風景を楽しもうと訪れる市民の姿が引きも切らない。
 ガトーは、満開のバラを一輪選んで枝を切ると、顔に近づけてその芳しい香りを吸い込んだ。その満たされたひとときを、宮殿ホテルの制服を来たスタッフの一言がぶち壊しした。
「あのー、すみません、ガトー少佐。少しよろしいいでしょうか…」
 彼は眉をひそめて、言った。
「ここでは少佐ではなく園長と呼べ、と何度言ったらわかるのだ」
「申し訳ありません、実は、確認していただきたいことがありまして」と、そのスタッフはおずおずと右手を差し出した。
「こ、これは!!」
 ガトーは、カッと目を見開くと、その手の上にある赤い小箱を取り、蓋を開いた。そこには、彼が求めて止まなかった、あの〝指輪〟があった。ジオン公国の王位継承者だけに与えられる、とされているものである。
「どこにあったのだ?」
「あ、あの、チェックアウトした客の部屋を清掃していたスタッフが見つけて、フロントに届けていたんです、が、蓋についているのがどう見ても我が国の紋章なので不審に思い、少佐に見ていただこうと…」
「その部屋に宿泊していた客が、置いていったというのか」
「ええ、コーヒーテーブルの上に置いてあったので、最初、忘れ物かと思ったんです」
 スタッフは、ガトーのただならぬ様子にすっかり気圧されている。
「その部屋には誰が投宿していたのだ」
「クワトロ・バジーナという人物です、ご存知ですか?」
「いや…」
「先日、テレビでインタビューを受けていました。今注目されているグラナダ出身の新進気鋭の個人投資家だとか…、滞在予定を急に切り上げて、チェックアウトしたので妙だなと思ったんですが」
「出入国管理局に手を回して、その男がいつ、どこへ出国したか調べろ」
 ガトーが言った。スタッフはサッと敬礼すると、宮殿へ向かって駆け出した。

 突然降り始めた雨が路面を打ち始めた。その音に気づいたセイラは、モニターから目を離して窓の外を見た。ロンデニオンに来て10日ほど、初めての雨は夕暮れ時で、空はわずかに赤く染まっている。
 そのときふと、ポーチの窓辺に人影を見つけて、息を飲んだ。いつから、そこで自分を見ていたのだろうか。彼女は立ち上がり、ポーチにつながる玄関のドアを開けた。
「そこで、何をしているの? 兵隊さん」
 スタンドカラーと肩周りの赤、濃紺の組み合わせのジャケットに細身のパンツ姿のアムロが、頭にかぶったベレー帽を手にとって照れ臭そうに笑った。
 彼女は微笑むと彼の腕を取り、二人は部屋に入った。
「ノックしようと思ったんだけど」とアムロは言った。
「仕事をしているセイラさんを、そのまま見ていたくなったんだ」
 今日も、彼女はヘレンヘレンの香りをまとっている。セイラはアムロを見て言った。
「初めて見るわ、その制服」
 腕につけられた部隊章には「TITANS」と記されている。アムロが、肩をすぼめて言った。
「新設された、モビルスーツ部隊の制服なんだ」
「パイロットの証というわけね」セイラが言った。
「その方が、いつもの連邦軍の制服より幾分、似合っているわ」
「ありがとう」
 アムロは制服の首元をゆるめると、ソファに腰掛けて背もたれに身を預けた。
 セイラは冷蔵庫からビールを取り出すとグラスに注ぎ、アムロに差し出す。
「ねえ、教えて」
「えっ、何を」
「その制服を着ている理由わけを」
 アムロは、身を起こすとグラスを傾け、喉を鳴らした。
「私に、見せたかったの?」
「‥‥、まあ、そんなところかな」
 セイラは、肩をすぼめるとソファの彼の隣に腰掛けた。嘘が下手ね、本当に、と彼女は思う。アムロは再びソファに深々と身を預けると、彼女の方にもたれかかって、目を閉じた。
「‥‥セイラさんの匂いがする」
「ヘレンヘレンよ」セイラが言った。「あなたがくれた香水」
「うん」
「とても気に入ってるの。それで、せっかくロンデニオンにいるんだからと思って、ヘレンヘレンでCEOを務めているヘレナ・クラクフにインタビューを申し込んだの。彼女、私のことを知っていてくれて、すぐにアポが取れたのよ。とても忙しい人なのに」
 アムロが、頷いた。
「面白い話があったの。ヘレンヘレンはもともと、ルオ商会の傘下のファッション部門の一ブランドとしてスタートしたのだけれど、5年前に膨大な違約金を支払って、傘下から離れて独立した。その理由を聞いた」
 そこまで話すと、彼女は一口、ビールを飲んだ。
「彼女は、こう言ったわ。自分たちが稼ぎ出したお金が、組織を通じてテロリストへ流れていくことが許せなかった、と」
「テロリスト?」
 まどろむような表情で聞いていたアムロが、目を見開く。セイラが、頷いた。
「グラナダで今起こっている騒乱にも、彼女はルオ商会が間接的に関わっているはず、と疑っていた」
 アムロは身を起こして、セイラをじっと見つめた。
「心当たりが、あるようね?」
「ああ、多少は」
「このこと、もっと掘り下げてみたいと思っているの」
「危険な取材になる」
 セイラが、肩をすぼめた。
「私にも、私のできる戦いがあるわ」
 アムロが、頷いた。
「あなたの話も聞かせて」
 そうだね、と首を少し傾げると、アムロは言った。
「そうそう、カミーユからメールをもらった。ボストンに渡って、<ラボ>に住み込むことに決めたって。思った通り、彼らと馬が合ったみたいだ。サマーキャンプを終えて家に帰ったら、両親が離婚することになっていて、それで、自分も親から離れることにした、っていうんだ」
「それは、良かったわ」
「もう一つ、いい話がある。トムがセイラさんの書いたあの記事を読んで、<ラボ>のみんなで、夏の終わりにセント・アンジェに行ったって」
「うれしいわ」彼女の表情が和らいだ。
「実際にあの場に立ってみたら、本当に、あなたがあそこに行ってほしいと言った思いも、伝わったはず」
 しかしセイラは、アムロの表情がすぐに曇ってしまうことに気がついた。彼女は言った。
「私が聞きたいのは、あなた自身のことよ。その制服を着ている、本当の理由わけ
 アムロは、グラスをテーブルの上に置くと立ち上がり、窓辺に行くと窓ガラスを伝う雨を見つめた。やがて、口を開いた。
「グラナダに行くことになった」
 セイラが、口を閉じた。連日連夜、市街地に出没するモビルスーツとの戦闘がニュースになっている。
「おかしいね、出撃なんてこれまでに何十回もしてきたはずなのに、初めてのような気がする」アムロは言った。
「新兵なんだよ、本当に。ホワイトベースに乗ってたときとは、なんだか、全然違うんだ」
 セイラは、窓辺に立つアムロの背中を見ていた。ふと、以前ブライトンの士官学校へ取材に行ったときのことを思い出す。あの街には、パイロットと出会ってその妻になりたいと願う女たちがいた。しかし軍人の妻になれば、夫が生きているのに、まるで未亡人のような暮らしだと、あるパイロット候補生は言っていた。そんな人生に、耐えられるのかと。
 ここへ来たのは、間違いだったかもしれない。キャスバル兄さんが去っていたときのように、また愛する人が背中を向けて旅立ってゆくのを、見送らなければならないなんて。地球にいれば、アムロとここで再会していなければ、そんな思いを感じずにいられた。
 あなたなら、できるわ。ホワイトベースにいたときは、そんな言葉で送り出していたけれど、戦場に出るということがどういうことかを知ってしまった今は、とても言えない。
 セイラはアムロに寄り添うようにして立つと、そっと、その手に触れた。
「帰ってきてくれるのでしょ? ここに。約束したわ、私、あなたの帰る場所になるって」
 アムロは、青く透き通った彼女の瞳を見つめ、そして目を逸らした。
「‥‥本当のことを言うと、こわいんです。もし帰ってこれなかったら、と思うと」
「私だって、同じよ、アムロ」セイラが言った。
「派遣期間は決まっているの?」
「三ヶ月ということだけど、ブライトさんが言うには、おそらくそれでは終わらないだろうって」
 セイラは、頷いた。
「待っているわ、ずっと。それであなたが、死地に飛び込んでいくのを止められるなら」
 微笑む彼女の目にうっすらと涙が浮かんでいる。そのひと雫に指先でそっと触れると、アムロは彼女の唇に自分の唇を重ねた。
 窓辺で一つになった影は、いつまでも離れることがなかった。

 翌朝早く、アムロはまだ静かに寝息を立てているセイラをベッドに残して、起き上がった。官舎に戻るため、再び制服に袖を通した。彼女を抱いた移り香が、ふっ、と鼻をくすぐる。一晩中愛し合った疲れが、彼女を熟睡させているのだろう。物音を立てても、彼女は目を覚まさなかった。
 出港までに、旅装を整えなければならない。着替え終わったアムロは、ベッドに横たわるセイラの寝顔を覗き込んだ。その表情はとても穏やかで、アムロはずっとこのまま、彼女を見て過ごせたらどんなに幸せだろうと思った。
 彼女に昨夜、言いたいことがあった。だが、口に出すことができなかった。「あなたの帰る場所になる」と彼女が言ってくれたことに、少し安心してしまったからかもしれない。朝が来て、ここを出るときに言えばいい、とそのときは思ったけれど、眠る彼女を、アムロはそのままにしておきたかった。
 そのとき、伏せられていたまつ毛が少し動き、やがて彼女は目を開いた。
「ごめん‥‥、起こしてしまったね、よく眠っていたのに」
 セイラが、ゆっくりと身を起こした。
「出かけるのね」
 アムロが、頷いた。
「そのまま、セイラさんは休んでいて」
「まさか、ちゃんと起きて見送りをするわ。少しだけ、待っていてくれて?」
 リビングルームで待っていると、彼女はすぐに寝室から出てきた。白いシャツにブルーのジーンズ。ブラシをあてたばかりの髪が、ふんわりと顎のラインを覆っている。
 ふう、と肩で一つ息をすると、アムロは言った。
「じゃあ、行ってくる」
 セイラが、頷いた。アムロは、静かな微笑みを浮かべたその顔をじっと見ていた。それから、視線を落として口を開いた。
「あ‥‥、あの‥‥、セイラさん」
「大丈夫よ」とセイラは言った。「ここで、待っているから」
 アムロは、頷いた。それから、ふと思いついたように言った。
「あの‥‥、待っている間に時間があったら、ブレックス・フォーラっていう人のことを、調べてくれませんか」
「ブレックス・フォーラ?」
「現職は連邦通信委員会付きの武官、前職は木星エネルギー船団の指揮官、軍の中では〝知らなかった男〟と呼ばれている‥‥」
「グラナダの紛争と、何か関係が?」
「わからない。あるかもしれないし、ないかもしれない」
「わかったわ」セイラが言った。「それが、あなたの力になるのなら」
 彼女はアムロの首に腕を絡ませ、二人は口づけを交わした。それじゃ、と軽い調子で言うと、アムロは彼女の部屋を後にした。結局、本当に言いたいことは口に出すことができなかった。


3:月の迷宮

 エマ・シーンは連邦軍のグラナダ基地に停泊している戦艦アルビオンの第二ブリッジから、月面都市グラナダを眺めていた。モビルスーツ隊を招集した隊長のライラ・ミラ・ライラ少佐から、グラナダ都市ドーム内からの撤収を言い渡され、隊員らは騒然とし始めていた。
「なぜなんだ。俺たちは必死で、反政府組織が繰り出してくるモビルスーツの攻撃を、最小限で食い止めている。今撤退したら、すぐにもあいつらに制圧されてしまうぞ」ジェリド・メサ中尉が言った。
「奴らがモビルスーツを出してきた、あの廃プラントの奥に何かがある、とわかっているんだ。なぜ、俺たちを探索に出さない? 害虫は、巣ごと駆除するのが一番だ」
「映えある連邦軍の精鋭部隊に、そんな任務はふさわしくない、というのがジャミトフ・ハイマン司令の考えだ」ライラ少佐が答える。
「ロンド・ベル隊に派遣要請が出された。まもなく来る増援を待って、戦力を再配置する」
「なぜ、ロンド・ベル隊なんですか」コウ・ウラキ少尉も声をあげる。
「グラナダの防衛は、僕たちグラナダス・ガード隊の使命じゃないですか。援軍といったって、僕らの隊が損耗しているわけでもないし、実際、出て来た敵の相手をしているだけで、ジェリド中尉の言うように、彼らの本拠を突き止めて叩く、という作戦行動がまったく取れていない。増援を待つまでもなく、できることがあるはずです」
「言いたいことはよくわかった、だけど、これはジャミトフ司令の指示なの、わかる?」ライラ少佐が、声を荒げる。
「あなたたちは、敵をいまだに、貨客船を襲った海賊ども、と思っている。だが、そうじゃない。敵は我々ティターンズを、このグラナダに誘い込んだ。攻撃は組織的、計画的で秩序がある。背後に大きな地下組織、扇動者、そして資金源があるはずだ。そのすべてを潰さなければ、戦いは終わらない」
 隊員たちの間に、今までになかったような張り詰めた空気が漂っていた。真剣味を増した隊員たちの顔を見回すと、ライラ少佐は言った。
「ティターンズの主力は我々、モビルスーツ部隊だ。ロンド・ベル隊とともにその力を結集し、敵の全容を暴く。そのための一時的な撤収、ということだ。わかったか?」
「了解!」
 隊員全員の声が響いた。撤収の期限は明日正午。今夜で一旦、都市ドーム内での警戒体制を終了する。命令に応答し、彼らは敬礼すると持ち場に戻った。

 アルビオンの通路のリフトグリップにつかまり移動していると、後ろからジェリドが声をかけてきた。
「よう、エマ。これからどうする?」
「どうするって、どういう意味?」振り返ると、エマが言った。
「持ち場に帰るわ。21時からが私たちの小隊の出る時間よ、そうじゃなかったかしら?」
「おい、コウもだ」横を通り過ぎようとするコウを引き止めて、ジェリドが言った。
「まだ、時間があるだろう。コーヒーでも飲まないか? 俺に、いい考えがある」
 エマとコウは顔を見合わせると、ジェリドに従い、食堂へ向かった。
「さっきは一旦矛を収めたが、俺は全然、あのライラ少佐の説明には納得していない」
 コーヒーの入ったマグカップをテーブルに置くと、ジェリドが言った。
「なぜ、あの廃プラントを調査しないのか、映えある精鋭部隊にふさわしくない、だと? なんだ、それ。だからこそ、俺たちがあそこに入っていかなきゃならないんじゃないか?」
「それに…」とコウが続ける。
「あそこには、Mk-IIがあった」
「それだ!」とジェリドがテーブルを叩く。
「あれは、俺たちがテストして獲得した機体だ。あれを奪還せずに、名誉挽回ができると思うか?」
「廃プラントに立ち入って、Mk-IIを取り返そうっていうのね?」エマが言った。
「賛成できないわ」
「なぜだ。あとから来たロンド・ベル隊にみすみす手柄を奪われてしまってもいいのか?」
「地下坑道がある、という話だけれど、内部がどうなっているのか、わからないのよ。もし私が敵の指揮官なら、Mk-IIを奪い返しにくることを見越して、罠を仕掛けることを考えるわ」
「上等じゃないか」ジェリドが言った。
「その上をいく。俺たちには、できるはずだ。こちら側にもMk-IIがある。その1機を、奴らは奪いたいと思うはずだ。そいつで奴らを引きつけておいて、俺が内部に侵入する。エマはMk-II、コウはジムIIでアシストする。それでどうだ?」
「わかった」コウが即答した。エマは躊躇した。危険な賭けだ。ミイラ取りがミイラになってしまうかもしれない。だが、彼女には、あの1機を奪われたという負い目がある。取り返すという行動に出る以上、自分が関わらないわけにはいかなかった。
「いいわ。では、21時に」
 三人はカップを置くと、立ち上がった。

 グラナダの都市ドーム内が、夜の闇に包まれた。エマ、コウはそれぞれMk-II、ジムIIで出動し、警戒態勢に入った。内部に侵入するジェリドはバギーで先行する。巡回警備と称して、彼らは、最初に遭遇戦を繰り広げることになった廃プラントを目指した。
 廃プラントは、周囲に規制線を張られていた。警察車両が周囲を警戒しているが、もしモビルスーツが出てくれば、何の抵抗にもならない。彼らの機体を見あげ、警備に就いていた警官は規制線を解除して彼らを通した。廃プラントは、前回Mk-IIと2機のドムが現れたとき、ジェリドの攻撃で屋根が崩落し、上にいたMk-IIは落下したまま姿を消した場所だった。建屋は屋根が抜けたままで、周辺にはがれきが散乱している。何か生産的な活動がなされている場所とはとても思えなかった。
 ジェリドが率いる2機はその前で足を止めた。
「エマは後方で待機して、敵がおびき出されてくるのを待て。コウはエマの前方で盾になれ。俺はバギーで突っ込んで、内部の様子を調べる」
「了解!」エマとコウは、指示通りに動いた。

「出てきた、あれは〝新型〟じゃないか?」
 地下の戦闘指揮所でモニターを監視していたトーレスが声を上げた。廃プラント周辺に、彼らが〝新型〟と呼ぶガンダムMk-IIが現れたことを、モニター表示が告げている。
「パイロットに指示、待機中の2機を出して」レコアが言った。
「やっぱり、ここへ戻ってきたわね。あの残る1機を捕獲したい。パイロットはそのつもりで!」
 パイロットに出撃を指示したトーレスが、声を上げた。
「なに? エレベーターが故障、だって?」
「なんだ?」レコアの問いに、彼は答えた。
「地下格納庫から地上へ上がるエレベーターが、動かないそうです」
「もう、何やってるの!」レコアが苛立たしく言い放つ。
「このチャンスを逃せば、次はないかもしれないのよ!」
「あ、あの、外部にあるスイッチを手動で動かせば、まだ動くかも…」
「どこなの、それは?」
「地下エレベーターの横です」
 トーレスの返事を聞いて、レコアは戦闘指揮所を飛び出した。

 瓦礫の脇を通り抜け、ジェリドは屋根の抜け落ちた廃プラントの内部へバギーを進めた。屋根の穴からは都市ドームの天井が映し出す夜空が見えるが、それもほんの一部である。建屋は巨大で、すぐに真っ暗な闇に閉ざされた。バギーのヘッドライトが、階下へ下る通路を照らし出す。ジェリドは迷わず、バギーをその下り坂に向けてゆっくり走らせた。円弧を描きながら、通路は地下へと下ってゆく。下り坂が終わったところで、奥の闇から猛烈なスピードで近づいてくるヘッドライトの明かりが目に入り、ジェリドは急いで自分のバギーのライトを消した。彼と同じような型のバギーが、少し手前で急ブレーキをかけて停まると、エンジンをかけたままドライバーが飛び降り、向かって左の方に駆けてゆく。ヘッドライトに照らされて、待機するドムの姿が闇に浮かび上がっていた。
 ジェリドは、脚につけたホルスターから拳銃を抜くと、バギーを降りて、忍び足でそのドライバーの後をつけた。

 レコアは、バギーを飛ばして構内の通路を走り抜け、モビルスーツの格納庫として使用している地階エリアに行くと、廃プラント出入り口につながるエレベーター上で待機しているドムのそばで停車して、バギーから飛び降りた。
「早く開けてくれ! 奴らはもう目の前に来ているんだ」
 インカムから、パイロットの怒号が響く。
「わかってる、わかってるわよ!」レコアは叫びながら、エレベーターの手動ボタンを探した。地階には照明がほとんどなく、バギーのヘッドライトの灯りだけが頼りである。
 ようやく壁面に、それらしき装置を見つけると、レコアは壁面から飛び出した四角い箱のカバーを開けた。上下を示すボタンが取り付けられている。
 その時、彼女はパイロットが、しきりに「後ろ、後ろに誰かいるぞ」と騒いでいるのに気がついた。慌てて振り向いたその時、背中に銃口が触れるのを感じた。
「誰かと思ったら、おまえはあのサマーキャンプのお姉さんじゃないか。こんなところで、何をしている?」
 咄嗟にレコアは、そのノーマルスーツの男を突き飛ばすと、拳を振りかざしてエレベーターの昇降ボタンを押した。
 ガコン、ゴウン…
 大きな音を響かせて、その巨大なエレベーターはゆっくりと上昇を始める。まさか生身の敵が侵入しているとは思わなかったので、丸腰で飛び出してしまった。バギーのシートの下に拳銃が入っているはずだと思い、レコアは急いて引き返そうとした。しかし、その刹那後ろから腕を掴まれた。
「俺の質問に答えてくれないかな、キャンプリーダーさん」
 振り向くと、その男は拳銃を突きつけてきた。黒いノーマルスーツの胸には、ティターンズのパイロットであることを示す赤い星がマークされている。
「確かに、エヴァーグリーン号に乗り合わせていたわね、あなた。私は、レコア・ロンド。何が望みなの?」
「俺は、ジェリド・メサ中尉だ。この地下のどこかに、俺たちから奪った新型ガンダムがあるだろう。そこへ、案内してもらおうか」
 あはは、と声を立ててレコアはわざとらしく笑った。
「何言ってるの? あたしたち、あれを奪おうとして失敗したって知っているでしょ、してやられたのよ、ロンド・ベル隊に」
「俺は、そういう軽口が大嫌いだ。ここにMk-IIがあることは分かっている。おまえらが、ジオンの残党とつながっていることもな」
 ジェリドはそう言うと、彼女の背中を銃口で突いた。
「さあ、俺をMk-IIのところへ案内してくれ。死にたくないのなら」

 エマは、廃プラントの瓦礫の向こうから、ドムが2機現れるのを見た。エレベーターらしきもので、地階から上がってっきたのだ。ジェリドから、内部に侵入した、という連絡が入る。廃プラントの周囲は郊外で人気もほとんどない。奴らをその場に引き止めて、市街地に向かわせないようにしろ、と彼は言った。
 エマのMk-IIは、彼らの正面に仁王立ちになっている。せり上がってくるドムの上半身が見えたところで、彼女はその頭部にビームライフルを撃ち込んだ。建屋の壁面に沿って立ち、ドムの死角にいたコウのジムIIも飛び出してきて応戦する。頭部を失い胸部を撃ち抜かれたドムは半壊し、瓦礫となった機体が廃プラントの出入り口をさらに塞いだ。その瓦礫に足を取られたもう1機のドムの脚部を狙ってコウはビーム弾を浴びせると、バランスを失ったドムは前のめりになって転倒し、瓦礫の上に折り重なる。その腹部コクピットから、パイロットが脱出するのをコウは見た。駆け出すと、壁面にあるボタンを押している。エレベーターを昇降させる遠隔操作装置が壊れているらしい。ボタンを押してもそれは動かず、諦めたパイロットは廃プラントの奥へと姿を消した。
「やったな、エマ」コウが言った。
「地下格納庫から上がってくるエレベーターが使えないようだ。当分ここから、敵は出てこられないだろう」
 ふうっ、とエマはコクピットで大きく息を吐いた。2機のドムの出てくるのがもう少し早かったら、足の速い彼らを止めることはできず、簡単に包囲されてしまっていただろう。エマは、一時退避した警官らに連絡し、廃プラント周辺の人の動きを監視するよう指示した。内部に侵入したジェリドからの連絡を待っていなければならない。

 ジェリドに銃口を突きつけられたまま、レコアはバギーの運転席に乗った。すかさずジェリドが助手席に座る。その少しの隙に、彼女は運転席のシート下に隠した拳銃を取り出そうとしたが、できなかった。
 そのとき、インカムからトーレスの声が聞こえてきた。
「レコア、回線が開いていたので君の置かれた状況は把握している。黙って聞いてくれ。そのティターンズの男を、第3ターミナルへ連れてくるんだ。そこから輸送船に搭乗しろ。〝新型〟も搭載されている。俺たちは格納庫で待ち伏せして、奴を始末する。わかったら、マイクを2回叩いてくれ」
 レコアは、言われた通りにした。二人を乗せたバギーは、地下迷宮の奥へと消えていった。






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