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機動戦士ガンダム0085 #2 愛の言葉を教えて You Taught Me How To Speak In Love

機動戦士ガンダムで描かれた、宇宙世紀0079の戦争が終結したあとの、ホワイトベースの人々のお話シリーズ第2弾です。アムロとセイラが再会を果たすシリーズ「機動戦士ガンダム0085 姫の遺言」の後のお話です。

ジオンのクーデター事件を機に再会を果たしたアムロとセイラは、忙しい合間を縫ってデートを重ねていた。だが、セイラとの距離は近くなったと思えば急に遠ざけられる感覚があり、アムロはなかなか次の一歩に踏み込めない。そんな中、学友のダビドから合コンに誘われたアムロだったが‥‥

登場人物
セイラ・マス  北米・ボストンの地元メディアで働く記者
アムロ・レイ  北米・ケンブリッジの大学の学生

ヒロ・サイトウ   アムロの高校の同級生で、大学の学友
ダビド・ラング   アムロの学友
トム・オブライエン アムロの学友
マリーナ     アムロの合コン相手


 今日は、アレの日だな‥‥。
 朝から落ち着きなく、時間がたつにしたがってソワソワと何度も時計を見るアムロの様子に、ヒロ・サイトウはそう確信する。授業が終わり夕暮れ時が近づくと、やがて彼は寄宿舎の四人部屋に一つしかないサニタリーで、赤い癖毛と格闘しはじめた。
 大学で一緒になってからの3年間とちょっと、なぜかまったくといっていいほど女っ気のない生活を送ってきたアムロが、ある日突然キャンパスに女性二人を伴ってやってきたとき、彼らルームメイトは騒然となった。ことに、ヒロ・サイトウはそうだった。そのうちの一人が、あの日、トーキョーの避難民居住区の彼のアパートに、アムロを探して訪ねてきた金髪美女だったからだ。
 アムロはその女性を二人のセイラ・マス、レイチェル・ローズと紹介した。その日を境に、落ち着きをなくす日が出てきたのだ。
 格闘した成果がまったく認められないヘアスタイルのまま、アムロは出かけていった。ヒロは、大好物のドーナツを頬張っているトムに顔を近づけて、言った。
「アムロのやつ、彼女ができたみたいだな」
「こないだ、連れてきた? どっちなんだろう」
「金髪の方だ、間違いない」とヒロは腕を組む。
「でも、一体いつ、どこで知り合ったんだ? そんな気配があったか? 今までに」
 トムは、二つ目のドーナツにかぶりついている。
「どうして、気になるんだ?」
「だってさ、あのセイラって人、俺とあいつがトーキョーにいたとき、一度会ったことがあるんだぜ。アムロの居場所を知らないか、って、俺に聞きに来たんだ」
 トムは三つ目のドーナツを手にしながら、言った。
「避難してくる前から知り合いだったんじゃないか?同じ街か、どっかのコロニーに住んでたか」
「トム」とヒロは呆れた顔で言う。
「それは、晩飯か?」
「いいや、間食だ。あと二つある。お前も食べるか?」
 ヒロが手を振る。トムがまた、ドーナツを頬張りながら、言った。
「何が問題なんだ? 二人が幸せなら、それでOKじゃないか」

 待ち合わせの時間より、少し早めに着きそうだと思い、アムロは逸る気持ちを落ち着けようと、歩く速度を落として周囲を見渡した。少し先に花屋が見える。アムロは店の前まで行って、足を止めた。店頭には、シックな色合いの花とグリーンでまとめた小ぶりの花束がいくつも飾られている。

 ‥‥そうか、花か‥‥

 アムロは、ふとつぶやいて、並んでいる花束の中から、どれがいいかを選び始めた。バラぐらいしか花の名前はわからなかったが、セイラの姿を思い浮かべ、彼女に似合いそうな色合いのものを一つ選んで買い求めた。
 セイラは通りの向こうからアムロの姿を見つけると、小走りでこちらに向かってやって来た。そして、息をはずませながら、言った。
「ごめんなさい、遅くなって」
「待ったのは少しだけです」と言って、アムロは花束を差し出した。まあ、私に?ありがとう。セイラは顔を輝かせながら、その花束を受け取ると、大切そうに抱え持ち、ふたりは街を歩いて、セイラがお気に入りだという店に入った。

 この秋から、セイラは地元メディアで記者として働き始めた。現実を自ら見て、聞いて、それを伝えるということを、自分の仕事にしたいと思ったからだ。その一歩として、現場での仕事を覚えるために、彼女は地元メディアを運営する企業に就職した。そこには、<サイド6>に移住し、ユニヴァーサル・ニュース・ネットワークとも契約してフリーの記者として活躍しているカイ・シデンのアドバイスもあった。
 メディア企業の役員は、彼女の容姿を見て、映像分野へ配属させようとしたが、彼女は固辞した。<サイド3>キャスバル・ダイクンによるクーデターの時もそうだったように、彼女は自分の容姿が人の注目を引くことを理解していたが、それを、他の誰かのためにも、自らの利益のためにも利用しようとは思わなかった。10代になった頃から、人目を引くことで声をかけられたり、誘われたり、付きまとわれたりすることも少なくなかった。兄のキャスバルは、それを自分のエネルギーに変えられる人だった。しかしセイラは違った。ちやほやされることで、生気を吸い取られるような、気力がひどく消耗されられるような気がしていた。ホワイトベースは、そうした殻を脱ぎ捨てられる場所だった。みんな、生き延びるのに必死で、その他のことに気を回すような余裕がなかったからだ。そんな中で、少年たちの憧れの的になったのは、年上で、彼らにとってはどう考えても釣り合いの取れない、マチルダ・アジャン中尉だった。切羽詰まったところに現れた救世主のような存在だった彼女は、理性的で落ち着きがあり、そして、大人だけが持つ余裕があった。だからなのだろう、アムロやカイが彼女に夢中になっていたのは。
 セイラは、テーブルをはさんで座っているアムロを見つめた。自分にとっては年下の、一生懸命背伸びをしようとしているところがあるような可愛い男の子で、21歳になった今でも、その印象は変わらない。それ以上に、セイラには大事なことがあった。自分がジオン・ダイクンの娘であり、あの、シャア・アズナブルの妹であることを知って、その事実を受け入れた上で、それでも好きだと言ってくれる彼は、彼女にとって、何も隠し立てすることなく心開いて話すことのできる、唯一無二の存在だった。そうなるために必要だった5年の月日は、彼を、穏やかで落ち着きのある青年に変えていた。
 その理由を、セイラは尋ねてみた。
「自分ではよくわからないけど」と、少しはにかみながら、アムロは言った。
「‥‥父が、亡くなったんです。危篤の知らせを、父と一緒にガンダム開発計画に当たっていたコーウェン少将がくれて、最期を看取ることができました」
「そう‥‥、お父様、行方不明だと聞いていたけれど、療養されていたのね?」
「僕も、知らせをもらうまで全然知りませんでした」とアムロは笑った。
「そのとき、父ははじめて、僕を褒めてくれました。<サイド7>であの日、ガンダムを動かしたときのことを。あのとき、あの場でガンダムに乗って戦う、という判断ができたのは、僕だけだった、って」
 セイラは4年前、トーキョーで会って話したときのアムロの言葉を思い出していた。父のような生き方をしたくない、と、振り絞るような声で彼は言ったのだ。そんな彼にとって、その言葉はどれほど慰めになっただろうか。キャスバル兄さんには、決して受け取ることのできなかった、その言葉。もし父が生きていたとして、ザビ家に復讐を果たしたことで父は兄を褒めただろうか?

 話していると、あっという間に時間が過ぎる。二人は食事のあとバーに立ち寄り、グラスを傾けながら、楽しいひと時を過ごした。少し酔ったみたい、と言いながら歩くセイラを、アムロはアパートまで送っていった。
 二人は手をつないで歩いていたが、アパートが近づいてくると、セイラはその手を離し、急によそよそしくなった気がした。歩道に面したアパートの入り口の前に立ち止まると、アムロはセイラの手に触れ、やっとのことで言葉を口にした。
「セイラさん、‥‥キスして、いいですか」
 セイラが、その目をみて微笑んだ。
「ふふ‥‥生意気ね」
 短いキスだった。重ねた唇を離すとセイラは、じゃあ、またね、と言って、扉の向こうに消えていった。閉じた扉を見つめながら、アムロは生意気ってどういう意味なのだろうと、思いめぐらしていた。

 次の朝になっても、アムロはもやもやした気持ちを抱えたままだった。ベッドから起き上がると、彼はシャワールームに入って蛇口をひねった。生ぬるい湯を水に切り替えると、寝汗で湿った体が一気に冷やされ、彼は思わず身震いする。
 キスして、いいですか。そう聞いたとき、生意気、と言われたことが、ずっと心に引っかかっている。その短いキスは、冷たかった。これ以上は近づかないで。そんなふうに言われた気がした。食事をしながら話しているときも、お酒が入って少し饒舌になったときも、ずっと彼女は温かかったのに、突然、その気持ちが切り離されたように感じることがある。昨夜も、そうだった。
 なぜだろう。自分が年下だからだろうか。友達以上恋人未満、という存在にしておきたいのだろうか。心の中に、まだ断ち切れない兄への想いが残っているのだろうか。それとも‥‥、
 アムロは、すべてを否定するかのように頭を振った。濡れた髪から飛沫が飛び散る。そう、それとも、新しい職場でもっと年上で、大人で、経験があり、彼女をリードできる男と出会ったか‥‥
 彼は、シャワールームの壁の鏡に映る自分の姿を見た。ダメだな、全然ダメだ。ホワイトベースの頃から、大して変わらないひ弱そうな体つき。彼は思い出す、ホワイトベースで唯一、大人の男の存在感のあったスレッガー・ロウの肉体を。それに比べれば、今の自分は、駆けてくるセイラを抱き止めることさえできないだろう。
 
 シャワールームを出ると、アムロはパンツ姿で洗面台の鏡をのぞきこみながら、歯を磨いた。起き出してきたダビドが、後ろから声をかける。
「何、悩んでるんだ?」
「えっ?」と思わずアムロが振り向く。
「なんか、調子悪そうだぜ? 悩みでもあるのかなと思って」
 アムロが、肩をすぼめて言った。
「大したことじゃないよ。どうすれば、もう少し大人っぽく見えるのかなあと思って」
 ハハハ、とダビドは笑うと言った。
「確かにな、おまえはベビーフェイスだからな。だけど、そこがおまえのいいところじゃないか」
「そうか?」
「まあ、わかるよ、いつまでも子供扱いされたくはないもんな。じゃ、あれだ。ヒゲはどうだ? 俺みたいに。キスするとき、盛り上がるぜ? きゃー、チクチクするぅ、なんてな」
 アムロが、眉をしかめる。その表情を見て、ダビドは笑いながら彼の尻をポン、と叩いた。
「まあ、頑張れ」

 テーブルに飾った花が日の光を浴びて、昨夜より少し開いている。遅めの朝食を終え、コーヒーを飲みながら、セイラは昨日アムロがくれた花束を見つめていた。
 幼い頃に両親が別々に生きることを選び、それ以来、仕事一辺倒の父親の男手一つで育った彼だったが、時にこんなふうに、自分を喜ばせようと、照れたり気負ったりすることなく、こういうことをしてくれるところがセイラは好きだった。これまでにも、いろんな人に食事やデートに誘われたことがあった。でも、花束をもらったことは一度もなかった。
 それなのに、どうしてだろう。キスして、いいですか。そう言う彼に、あんな言葉を返してしまったのは。彼は笑ってキスしてくれたけれど、きっと傷ついただろう。
 セイラは小さな花瓶に挿した花束の、淡いピンクのバラをじっと見ていた。薄い花びら一枚一枚交互に折り重なりながら、真ん中のおしべを覆い隠している。それは花びらが開き切って散る間際になるまで、姿を現さない。まだ開く途上にあるバラの花を見ながら、セイラは思った。自分が何を守ろうとしているのか。

 セイラがはじめて異性を意識するようになったのは、兄のキャスバルを通してだった。相次いで両親と死に別れ、家族が二人きりになったときから、本当に頼れる存在は兄だけになった。自分たちの本当の名前や正体を、周囲に隠して生きることを強いられたからである。マス家の養父母と使用人を除けば、本当のことを知っているのは二人だけ。それは事実ではなかったけれど、その頃のセイラはそう信じていた。はじめて<サイド3>から出て、見知らぬ土地、それまで会ったこともない養父母のもとで暮らすことになったとき、内気な彼女を庇いつつ、その環境に慣れるように引っ張りだしてくれたのも兄だった。キャスバル兄さんは、いつも自分の前に立って、こうすれば平気、ここは安全、大丈夫、と道を拓いてくれた。だから、セイラは兄さんが大好きだった。唯一、信じていい人だったのだ。そして、兄もまた自分だけを大切にしてくれる、と信じていた。
 だが、ある日突然、それが変わった。学校の中等部に進級し思春期を迎えた同級生らに囲まれて、当時エドワウと名乗っていた兄は人気者になっていった。金髪に涼しい目元のハンサムな容貌が際立ち始め、恋愛に積極的なおませな少女らが、兄にアプローチしてくるようになってきた。モテ期を迎えた、というのだろうか。しかもキャスバル兄さんは、そんなふうに注目されたり羨望の目で見られることを楽しむことができる性格だった。

 兄がいつ、誰と、どんな交際をしていたか、セイラは知らない。だが、何人かのガールフレンドがいて、友達以上の親密な関係を持っていたことには、うっすらと勘づいていた。マス家の屋敷に、女の子を連れてきたこともあった。一度、そんな女の子の一人と兄がキスしているところを、見てしまった。二人は気づかなかったけれど。セイラはそれ以来、何か大切なものを失ってしまった気がした。その頃には、兄は手をつなぐこともハグもしなくなっていた。
 やがてセイラも中等部に上がると、兄と同じように、男子の注目を浴びる存在になっていった。ことに、兄の友人たちは、彼女に目を留め、何かというと声をかけてくるようになった。そんな中の一人で、兄とも仲の良かったフィリップと、セイラは付き合うようになっていた。
 今にして思えば、けれどそれは恋といえるような感情ではなかった。そうやって、兄に張り合うことで、もういちどキャスバル兄さんと近しくなりたかったのだと思う。だが、そうはならなかった。
 フィリップは明るく優しい人気者で、強さと利発さでいつも成績やスポーツで兄と張り合っていたが、二人きりになると、少し違ってみえた。好きだよ、とか愛してる、という心地よい言葉で、彼はぐいぐいと押してくるタイプだった。セイラが、自分の気持ちを言い表そうとする余裕を、与えてはくれなかった。初めてのキスのときも、そうだった。雰囲気に飲まれて、されるがままにされてしまった。
 セイラももちろん、年相応の性教育は受けていたから、親密になった男女がどういうことをするのかは、知っていた。だが、一度されるがままになると、どんどんと相手は境界線を踏み越えてくる、ということをセイラは知らなかった。そして、彼が一線を踏み越えてくるのに、時間はかからなかった。
 
 愛し合っているなら、こうするものだよ。そういう彼の言葉で、自分を無理やり納得させようとしたけれど、彼が求めてくるその時間は、セイラにとって苦痛でしかなかった。だから、再び彼が求めてきたとき、セイラははっきり、ノーと言った。だが、彼女の意思は受け入れられなかった。セイラは男というものが、ときには力で他人の意思を封じ込めることがあることを、そのとき初めて知った。
 どういう経緯で、セイラがフィリップから乱暴な扱いを受けたことを兄が知ったのか、彼女はよく覚えていない。だが、それを知ったキャスバル兄さんは、そのまま済ますことはしなかった。兄はフィリップを殴打し、流血沙汰になった。それで停学処分を受けたこともまた、セイラにはひとつのきっかけに思えた。キャスバル兄さんが地球を離れて姿を消してしまったことの。

 花瓶のバラを、セイラは見た。このバラは、いずれ花びらを広げて、その真ん中に守っているものを日に晒すだろう。自分は、どうだろう。その花びらを開くことができるだろうか。

「おい、アムロ。どこへ行くんだ?」
 ダビドが、出かけようと準備しているアムロに声をかけた。彼にしてはめずらしく、ぴったりしたTシャツにハーフパンツという出で立ちである。
「ジムに行く」
 ダビドが、にやっと笑って言った。
「わかった。ヒゲはやめて、筋肉をつけるんだな?」
「おまえも一緒に行くべきじゃないか? トム」と、デスクから顔を上げて、ヒロが言う。
「アムロの体に成果が出てきたら、俺も考えるよ」とトムが答えた。
「わざわざジムで鍛えなくても、ドーナツを止めるだけでいいんじゃないか?」
 そう言うと、アムロは部屋から走り出ていく。その姿を見送りながら、ヒロが言った。
「どういう風の吹き回しだ? アムロのやつ」
「明日のために、だ」と、ダビドが意味深な顔をして言う。
「明日? 明日何かあるのか?」
「次に備えて大人になる、ってことさ」

 それから1ヶ月ほどたった頃には、トムをはじめ他の3人も、ジムでマシンを漕ぎ始めていた。衛星軌道上にある大学のスペース・ラボへ上がるためには、もっと体を絞って体力をつけなければならない、と指導教官に言われたからだ。無重力空間では、あっという間に筋力がなくなる。宇宙とは、いまだ過酷な空間なのだ。アムロは、そのラボに重力コアブロックが備えられていることを知っていたが、他の三人には黙っていた。
 セイラとはなかなか時間が合わず、あれから、一度一緒に食事をしただけだった。そのときも、アムロはセイラを家まで送っていった。前回のように、急に冷たく感じることはなく、彼女は別れ際に「今日はキスしてくれないの?」と言ったので、その気持ちを確かめるように、アムロはキスした。じゃあ、またね。扉の向こうに消えていく彼女を見ながら、アムロは、まだ、その扉の向こうに招かれない自分を、それを言い出せない自分の不甲斐なさを思って、ため息をついた。

 そんなある日のことだった。午後から予定されている特別講義に、絶対に出なければと、ダビド、トム、ヒロの三人はいつになく意欲的だった。講師に招かれていたのが、あのミノフスキー博士だったからだ。
 ミノフスキー博士といえば、レーダーなどの電波探知や、ミサイルなど電波誘導兵器を無効化する極微粒子「ミノフスキー粒子」の発見者である。これにより、ジオン公国は超強力な電波妨害機能を自軍に有利になるよう利用すべく、モビルスーツという有視界戦闘を前提とした新兵器を開発。この二つをセットにして用いることで、地球連邦に対して戦争を仕掛けてきた。ジオン公国軍が地球上に降下してくると、ミノフスキー粒子は大気圏内にも広く散布され、コロニー落としで甚大な被害を受けていた地球市民の日常生活を、ますます困難なものにした。しかし、ミノフスキー粒子の発見はそれだけにとどまらず、従来の物理学を根底から揺るがすものとなっており、アムロら理系学生を苦しませつつも、新しい地平へ招く希望となっていた。
 ただ、ダビド、トム、ヒロの三人に関していえば、モビルスーツの開発にまつわる話を聞けるかどうかが、最大の関心事であるのだが。
 特別講義は学外からも人を集めて盛況だった。だがアムロは、ダビドがやけに前のめりになっていたもう一つの理由を知った。講義が終わって講堂から出たところで呼び止められたのだ。
「おい、アムロ、ちょっと、助けてくれないかな」
「どうかしたのか?」
「これから、女の子三人と飲みに行くことになったんだけど、ヒロのやつが今日はダメだって言うんだ、それでアムロ、かわりに入ってくれないか?」
「僕はいいよ、そういうの」
 そう言ってアムロは足早に立ち去ろうとしたが、背後から肩を掴んだダビドが耳元でつぶやく。
「頼むよ、アムロ。あそこに三人いるだろ? 真ん中のあの子を狙ってるんだ。一緒に飲みに行くだけだぜ? ちょっとぐらい付き合ってくれたっていいじゃないか」
 アムロが振り向くと、ダビドのいう三人が、笑顔で手を振っている。反対側から、トムがささやいた。
「ちょっとした気晴らしに、なるんじゃないかあ?」
「わかったよ、行くよ」
 ダビドがポンポン、とアムロの肩を叩いて言った。
「頼んだぜ」

 彼らは学生がよく行くレストランでテーブルを囲んだ。最初は気乗りのしなかったアムロだが、いつもとは違う少し年下の女の子たちとの気の張らない会話は、少し沈みがちだった彼の心をリラックスさせてくれた。酒の力も手伝って、少し陽気な気分になっていた。気がつくと、ダビドもトムも、それぞれブレンダ、モニカという目当ての女の子とすっかり意気投合し、隣同士に座って盛り上がっている。アムロは、向かいの席にすわるマリーナと話すしかなかった。
「アムロって言ったわね、あなた、数合わせで仕方なく来たんでしょ?」と彼女が言った。
「顔を見れば、わかるわ」
「君は、どうなんだ?」
「あなたのことは、好きよ」彼女が言った。
「この中で一番好き。えっと、みんな同い年なんでしょ? でもあなた、すごく落ち着いて見えるわ」
 そして、身を乗り出すようして、言った。
「ね、私はどう?」
「かわいいよ」アムロは言った。成り行き上、そういうしかないだろう。
「この中じゃ、一番好みだ」
「じゃあ、よかった」
「でも、なんか嫌なことでもあった? イライラしてる感じがするけど」
 彼女が、肩をすぼめた。
「一年付き合った彼に、振られたばかりなの。だから、私のために合コンしよう、って、彼女たちは言ったのよ。それなのに、自分たちばかり」彼女が言った。それからひとしきり、アムロは彼女の彼氏がどんなひどい奴だったか、振られるまでの顛末を聞かされることになった。
 その話が終わるころには、彼女はすっかり酔いが回っている様子だった。ダビドとトムは、店を変えて飲み直すという。どうする?とアムロがマリーナに声をかけると、彼女は「私、帰る」と言った。アムロは自分も早く帰りたかったので、彼女を送って帰ることにした。

 足元もおぼつかない様子で歩くマリーナを抱えるようにして、一人住まいの彼女のアパートまで連れ帰ってきたアムロだったが、エレベーターに乗ると、彼女は急にアムロに抱きついてきて、言った。
「ねえ、もう少し私の部屋で、一緒に飲まない?」
「いや、君はもう十分に酔ってると思うよ。帰ったら、寝るんだ」
「じゃあ、私と寝ましょう?」
 まいったな、とアムロは思いながら、彼女をドアの前まで引っ張っていくと、彼女がキーをバッグの中から探して開けるのを待っていた。彼女はドアを開けるとその瞬間、アムロの腕を取って中に引っ張り込んだので、アムロは前のめりになり、彼女に抱きつくような形になってしまった。マリーナは両手をアムロの頬に当て、そしてその唇でアムロの唇をふさぐと、むさぼるように激しく吸った。その手が激しく動いてアムロの体を弄り始め、着ているものを剥ぎ取ろうとする。
 アムロはされるがままになっていたが、ふっと我に返ると、彼女の手を引き剥がした。
「ねえ、だめ?」
 熱を孕んで潤んだ瞳で見つめられると、理性がすべて吹き飛びそうになる。だがアムロはガンダムの起動マニュアルを思い浮かべ、頭の中でその手順を復唱しながら、平静を取り戻して言った。
「だめだ、僕は君の元彼の代わりじゃない」
 マリーナは、これみよがしに膨れっ面をすると、ぷいっと背を向けて部屋の奥へ入ってゆく。やれやれ。ため息をひとつつくと、じゃあ、僕はこれで帰るから、と言って、ドアノブに手を伸ばした。そのとき、何かが倒れるような大きな音がして、思わずアムロは振り返った。部屋の真ん中で、マリーナが倒れていた。
「だから言ったんだ、飲み過ぎだって」
 しかし、放っておくわけにはいかない。アムロは部屋へ入っていき、床に倒れている彼女を抱き抱えると寝室に入ってベッドにその体を横たえた。情報端末で調べると、こういうときは衣服をゆるめ、体を横向きにして寝かせる、とある。あとで変に思われたら、たまらないな、と思いつつ、アムロは彼女の体を横向きにし、着ていたワンピースのファスナーを下げ、ブラジャーのホックをそっと外した。

 夜明け前に、マリーナは目を覚ました。アムロは彼女を一人にしておくわけにいかず、ベッドにもたれかかってうとうとしていた。彼女は体を起こすと、えっ、どういうこと? と声を上げた。
「あー、やっちゃった‥‥」
 アムロが、立ち上がった。
「覚えてるか? 昨日のこと」
「あなたと、他に四人と飲んでたことは」彼女が言った。
「それから、どうしたんだっけ? どうして、ここにいるの? 覚えてないわ。それに、やだ、ブラのホックが外れてる。あなた、何かした?」
「飲み過ぎで意識が朦朧としていた、そういうときは衣服をゆるめろって、応急ガイドに書いてあったから、そうしただけだ」
 頭が痛くて割れそう、という彼女のために、アムロはキッチンに行き、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを探してきて、彼女に渡した。彼女は、喉を鳴らしてそれを飲むと、言った。
「あなたが、私をここまで連れて帰ってきてくれたの? それで、ずっとここに?」
「寝ている間に吐いたものをのどに詰まらせて、窒息死することもある、というから」アムロが言った。
「なんだ、ちっともロマンティックじゃないのね」
「悪かったね、ご期待に添えなくて」
 マリーナはベッドに腰掛けて、脚をぶらぶらさせている。
「あ、思い出したわ。私が振られた彼氏のことを話して、あなたは年上のお堅い彼女のことを話してた」
「もう、大丈夫そうだね」アムロが言った。
「じゃあ、僕は帰るよ」
「あっ、ちょっと待って」マリーナは腰を浮かすと、アムロの手を取った。
「あのね、思ったんだけど。あなたの彼女、待ってるんじゃないかしら。ロマンティックにしてくれるのを」
 アムロが、肩をすぼめた。
「残念だけど、僕はそういう、ロマンティックな人間じゃないんだ」
「誰だって、そうよ」マリーナが言った。
「でも、恋しているなら、誰だってロマンティックになれるのよ」

 ケープ・コッドに行ってみませんか。アムロがセイラを誘ったのは、それからしばらくたったあとだった。マサチューセッツ州にある半島で、旧世紀時代から、アメリカ大統領をはじめセレブリティの避暑地として知られ、夏には多くの観光客でにぎわう。シーズンオフの秋には、それとはうってかわって紅葉に彩られた静かな海辺の風景が楽しめる場所となっていた。
「ジョン・F・ケネディ大統領にちなんだ施設があるそうよ」車の助手席でガイドブックを見ながら、セイラが言った。
「ケネディ‥‥、ケネディ宇宙センター?」
「それは、フロリダね。ケープ・コッドにあるのは、ジョン・F・ケネディ大統領の別荘だって。今は、博物館になっているそうよ」
「確か、暗殺されたんでしたっけ?」
「そう、大統領選挙の一年前に、テキサス州を遊説中、パレードの最中に銃撃された。オープンカーの大統領の隣に座っていた妻のジャクリーンは、病院に入るまでずっと、血まみれの夫の体を抱きしめていたそうよ」
「へぇ‥‥」
 セイラの住むボストンからケープ・コッドまでは、およそ120キロ。アムロが車のハンドルを握り、ハイウエイを飛ばしていた。
「それで、どうなったんですか、その後、ジャクリーンって人は?」
「それがね」とセイラは身を乗り出す。
「そういう悲劇的な形で夫と死に別れたからかどうかはわからないけど、そのあと彼女はアリストテレス・オナシスっていうギリシャの大富豪と再婚するのよ。国を離れて、子供たちを守るために。旧世紀の人って、たくましいわね」
 セイラの父、ジオン・ダイクンもまた暗殺された。母も1年足らず後、後を追うように病没していた。
「じゃあ、その子供は?」
「娘と息子がいて、二人とも弁護士になったって。娘のキャロラインは、駐日アメリカ大使を務めたこともあるそうよ」
 セイラは、車のシートに深々と体を預けると、言った。
「復讐なんて、愚かなことよね」
「セイラさんは、どうなんですか。お父さんを殺したザビ家が憎いとか、復讐したい、って思わなかったんですか」
「そうね‥‥」飛び去ってゆく窓の外の景色を見ながら、セイラは答える。
「もし、父が殺されず、そのままジオンで政治家を続けていれば、私たち兄妹の人生も、こんなふうにはならなかったし、‥‥戦争も、起こらなかったかもしれない。少なくとも、あんな形では」
 沈黙の、ときが流れる。そう、父が死ななければ、セイラはまだ<サイド3>で暮らしていたかもしれず、アムロと出会うこともなかった。
「去年の夏、西海岸へ行ってみたの。覚えていて? ホワイトベースで、上空を通ったわ」
「‥‥ええ、ジオンの勢力圏でしたよね。かなり、荒廃していた」
「本当に、ザビ家を憎んでいるのは、あそこで暮らしていた人たちよね。コロニー落としで、住んでいた街を失ったわ。そう思うと、私の抱いていた憎しみなんて、小さいことのように思える」
 アムロは、セイラの横顔を見た。なんて、強い人なんだろう、と。
「父は、結果を急ぎすぎたのだと思う。その焦りから、自分と組むべき人を見誤った。ザビ家の支援を受けたのは、その強大な資金力と権力を、後ろ盾にしたかったからでしょうね。だけど、そういうものは、自分で制御できない。いつの時代も、同じよ」

 彼らはケープ・コッドの歴史地区ハイアニス・ポートを訪れ、ケネディ家の夏の別荘や、ジョン・F・ケネディ大統領をはじめケネディ家が輩出した政治家の事績を伝える博物館などを見て歩いた。そのあと、さらに岬の突端を目指してドライブを楽しんだ。
 ケープ・コッド湾を抱き抱える腕のような形をしたケープ・コッドには、いくつも灯台がある。二人はそのうちの一つで、岬の突端に立つ灯台のある、外海に面したビーチまでやって来た。車を降りてしばらく歩くと、草地の向こうに砂浜が見えてきた。さらに、その向こうには、海が広がっている。草地の丘を登り、海に向かって下り始めると、セイラは突然、両手を広げて走り出した。
「あっ、セイラさん!」
 彼女は途中で立ち止まると、スニーカーとソックスを脱ぎ捨て、両手を広げて波打ち際へと走ってゆく。アムロは慌てて後に続き、自分も裸足になって駆け出した。
 セイラが波打ち際までくると、ちょうど引いていた波が再び寄せてくるところだった、湿った砂の上まで来ていた彼女に波が押し寄せ、膝下まで海水の白い泡に包まれる。きゃあ、と彼女が声を上げた。
「冷たーい!」そう言いながら、笑っている。何やってるんだ、と走るアムロの耳の奥に、この前の合コンの彼女、マリーナが言った言葉が蘇ってきた。

 ‥‥あなたの彼女、待ってるんじゃないかしら。ロマンティックにしてくれるのを‥‥

 セイラに追いついたアムロは、迷わず彼女を後ろから抱きしめた。引いた波がそこに打ち寄せ、二人の周りに水飛沫がキラキラと光っている。
 耳元に顔を寄せるアムロの頬に触れながら、セイラはまだ少女のように笑っている。アムロは大人びた彼女が、こんなにあどけない表情を見せていることに驚き、胸が高鳴った。
「びっくりした? 私が海に飛び込むんじゃないかって」
「‥‥え、ええ」
「地球に来て、初めて海を見たときのことを思い出したの。そのとき、うれしくてこんなふうに、波打ち際まで走って行ったけど、波があんなふうに押し寄せてくるなんて、知らないでしょ? だから、頭から波をかぶって、びしょ濡れになったわ」
 そういうと、セイラはくすくすと笑う。
「私にも、そんなかわいらしい頃があったの」

 ‥‥恋しているなら、誰だってロマンティックになれるのよ‥‥
 
 アムロは彼女の言葉を思い出しながら、そんなセイラに頬を寄せた。
「今だって、かわいいですよ、セイラさん」
 彼女が、首をひねってアムロを見た。生意気ね、とは言わなかった。彼の腕の中で体の向きを変えると、セイラは少し顎を上げて誘うように目を閉じた。アムロは、その唇にそっと、唇を重ねた。波に洗われ、砂に埋まった足は冷たかったが、その唇から漏れる吐息は熱かった。

 二人は波打ち際から離れると、砂浜を歩いて脱ぎ捨てたスニーカーとソックスを拾った。そして、砂丘を駆け上がると、草地まで来て腰を下ろした。濡れて砂まみれになった足の砂を払い落とすと、柔らかな草の上に投げ出して、風に当てる。
「すっかり、冷えてしまったわ」
 セイラが、つま先を手のひらで包んで温めるようにした。
「あなたはどう?」と、手を伸ばしてアムロの爪先に触れた。水に濡れていたアムロの足より、セイラの手の方がずっと冷たく感じた。
「あったかいわ。なぜ?」
 アムロは、その冷んやりとした手を取って、温めるように握りしめた。それはね、男性の方が女性より筋肉量が多く、発熱量も多いから‥‥、という理論的な言葉を飲み込んで、やっとのことで、こう言った。
「セイラさんと一緒にいるから」
 彼女は、肩をすぼめると、その冷えた手を握り返した。
「‥‥セイラさん、僕って生意気ですか」
「えっ?」
「セイラさんって、温かい人なのに、時々急に冷たくなることが、ありますよね?」
「そうかしら‥‥、誰でも、ちょっと距離を置きたくなることって、あるんじゃないかしら」
「それはわかります。でも、不安になるんです。急に冷たくされると、今までの温かさは、嘘だったのかなあって」
 セイラは、アムロから目を外らすと、言った。
「‥‥ごめんなさい、生意気だなんて、言うべきじゃなかった。‥‥年上だから、毅然としていなきゃ、って思ってしまうの、ときどき」
 乾いたわ、そう言うとセイラはソックスを履き、スニーカーに足を入れて立ち上がった。アムロは慌てて自分もソックスとスニーカーを履き、背を向けて先に歩き始めた彼女を追いかける。その後ろ姿を見て、アムロはふと思った。すごく近づいたと思ったのに、突然離れて行こうとする。彼女は逃げているみたいだ、と。誰から? ‥‥僕から? だとしたら、なぜ?

 ‥‥怯えている?‥‥

 セイラに追いついたアムロは、その手を取ると並んで歩いた。言葉もなく、二人は車に乗り込み、アムロはエンジンをかけてアクセルを踏んだ。

 夕暮れが、迫っていた。セイラは窓の外に広がる空の色を見て言った。
「きれい‥‥、だけど1日が終わってしまう、切ない色ね」
「セイラさん」意を決したように、アムロが口を開いた。
「セイラさんは、‥‥僕が、‥‥僕が、こわいんですか?」
「えっ?」
 思わず、セイラが振り向いてアムロを見つめる。
「どうして? そんなわけないでしょ?」
「だって、ときどき、怯えているように見えるから」
 セイラが、口を閉じて目をそらす。
「近づいた、今日はもっと、と思うとパッと遠くに離れていってしまう。どうしてですか」
「あなたには、何も隠しておくことはできないのね」
「やめてください、そんな言い方」
「別にあなたに怯えているわけじゃないわ。でも、‥‥ロマンチックな雰囲気になるとね、そのあとに来るものが、怖くなる」
「そのあと?」
「昔、少しだけ付き合っている人がいたの。相手から誘われてね。口から出る言葉は甘かったけど、強引だった。気持ちがついていないまま、いろんなことをされた。だからなのか‥‥」
 セイラが、小さく笑って言った。
「おかしいでしょ? ロマンチックな言葉のあとには、もっと素敵な時間があるんだって、頭では分かっていても、体には違う記憶があって、‥‥」
「もう、いい、セイラさん、もう‥‥、十分です、それ以上、話さなくても‥‥」
 車内が沈黙に包まれた。外はもう暗くなってきている。アムロは、対向車線のヘッドライトに照らされて浮かび上がる、セイラの横顔に目を向けた。アムロの視線に気づいた彼女は、顔を向けると小さく微笑み、そして、言った。
「ねえ、お腹が空いたわ。どこかへ寄って、食事しない?」

 二人で食事をして、ボストンのセイラのアパートまで戻ってきた頃には、もうすっかり夜になっていた。アムロは彼女のアパートの前に車を寄せると、運転席に座ったまま、セイラが降りるのを待っていた。彼女は車を降り、アムロが出てこないのに気づくと、運転席の方に回って、コンコン、とウィンドウをノックした。
「今日はありがとう、楽しかったわ」
 アムロが、頷いた。彼女はまだ、言いたいことがあるようだった。
「よかったら、私の部屋でお茶でも?」
 そういう言葉を予想していなかったので、アムロは一瞬自分の耳を疑った。なぜ、今なんだろう? 彼女は時に、人の思い付かないような行動を取る。
「あ、ああ‥‥ありがとう、じゃあ、少しだけ」
 そう答えると、アムロはセイラとともに扉の中へ入り、階段を上がった。

 あの子の部屋とは、ずいぶん違うな。そんなことを思いながら、アムロは案内されて入った室内を見ながらそう思った。まだ空きはあるが、天井まで届く壁一面の本棚、その前に置かれたライティングデスク、窓辺のソファとコーヒーテーブル、奥に見えるキッチン、どこもきちんと片付けられている。
「本棚が気に入って、この部屋を借りたの」
 ティーセットの準備をしながら、セイラが言った。
「5年たっても、ここを埋め尽くすだけの本は読めてないわ」
 アムロは、ソファのそばの窓辺に、花が飾ってあるのに目を留めた。前に、彼が贈ったのとよく似た色合いの花だった。テーブルに、紅茶を入れたカップを置きながら、セイラが言った。
「あなたが、花束をくれたでしょう? それを飾ってみたら、ここに花があるのがいいな、と思って、それから、いつも好きな花を飾っているの」
 その花瓶の中にある一輪のバラは、昼の間に日の光をたっぷり浴びたのだろう、大きく花を開かせていた。

‥‥バラが、開いている、あの花びらが‥‥

 セイラは、あのときの、背中がぞくぞくと震えるような感触を、思い出していた。あの海辺の波打ち際で、駆けてきたアムロに、後ろから抱きしめられたとき感じた震えを。それは、恐れとも驚きとも違っていた。もしそういうものが見られるとしたら、そう、時が満ちて、花のつぼみが開こうとする、そんな瞬間に発する震えのような。
 まるでその花と見比べるように、アムロはセイラの方を見た。
「いい部屋ですね」
「ええ、とても落ち着く場所なの。‥‥あなたは、どう?」
 彼女はアムロの横に立ち、背中に手を回して言った。
「‥‥気に入ったなら、‥‥帰らなくてもいいのよ、今夜は」
 返事をするかわりに、アムロはセイラを抱きしめる。長く、深いくちづけのあと、アムロは彼女を抱き上げた。そして二人は、互いの体が奏でる愛の言葉を知った。

inspired by this song Marlena Shaw :You Taught Me How To Speak In Love


〜Fin〜


ちょっとしたあとがき

 本作は、別シリーズ「機動戦士ガンダム After the War 0085 姫の遺言」の後のアムロとセイラの関係が深まっていく様子を描いた短編です。
 このあとに続くシリーズ「機動戦士ガンダム0090 越境者たち Beyond The Borders」に登場するアムロとセイラは、すでに深い関係になっているわけですが、そこに至るきっかけは、やっぱりどこかで描きたいなと思っていました。

 アムロとセイラといえば、富野由悠季氏の小説版「機動戦士ガンダム」ではホワイトベース内で恋人同士になり、肉体関係も持っている様子が描かれていました。中学生の頃、ドキドキしながら読みましたが、どうしても腑に落ちないところがありました。アムロはララァを夢想し、セイラは兄を殺してもらうためにアムロを誘惑してベッドをともにしているわけです。その頃、そういう言葉はありませんでしたが、なんか、セフレみたいで、そうじゃない感が強かったです。
 あと、やっぱりセイラが年上なわけで、どうしても「お姉さんに手解きしてもらう」って感じになりがちですよね。小説版「機動戦士ガンダム」も、そうなっていましたが、それも安直だし、セイラさんはそんな安っぽい女性ではないだろうと思いました。
 そういうわけで、ここではベッドに入ってからの様子は、みなさまのご想像にお任せしていますが、上記のようにはならないだろうという、二人の心の距離感と関係性を描きこむことに集中しました。

 余談ですが、イメージした曲、マリーナ・ショウが歌う「You Taught Me How To Speak In Love」、ぜひユーチューブで検索して、聞いてみてください。日本の某大御所ロックバンドの代表曲にそっくりです。きっとパク‥‥、いえ、モチーフになさったのでしょう。一度聞いたら何度もリピートしたくなり、頭の中でいつまでも回り続ける、そんなすばらしい楽曲ですから。
 歌詞もまた、すばらしいのです。和訳されたサイトがあるので、心惹かれるものを感じたら、検索してぜひ、ご覧になってくださればと思います。

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