21.星降り湖で(最終回)

 タンポポ団一同は一旦家に戻り、夜が訪れるのを待った。
 ふだんは夜の外出など許されない小学2年の子ども達だったが、博物館の館長が一緒だと聞かされ、二つ返事で許可がもらえた。
 雲1つない、明るい満月の夜だった。そろって博物館へと赴き、光アゲハの入ったカゴを持つ館長と合流する。
 虫カゴは、まるでランタンのようにキラキラと明るく輝いていた。これなら、夜の森を十分に照らしてくれるだろう。もちろん、帰りのための懐中電灯も用意してはあったが。

 6人の周りは、まるでそこだけ昼間のように丸く明るい。木の枝や梢、草の生えた地面を照らし、さながら森という舞台に投じられたスポットライトのよう。
「まるで、光のボールの中にでもいるみてえだ」浩は感嘆の溜め息をついた。
「そうね、本当にきれい。あの悪い魔法使いがもし、いいことに魔法を使ったんだったら、どんなにか素晴らしいことだったろう」うっとりとした口調で美奈子もつぶやく。
「これが失敗作だというのですからね、彼の魔法はまったくたいしたものですよ」それが元之の感想だった。
「ぼくの国じゃ、ホタルが何千匹も集まることがあるんだけど、ちょうどこんな具合になるよ。でも、光アゲハはもっと明るいなあ」緑は元いた世界を思い出しながらそう言う。

 ふいに森が途切れ、広大な星降り湖が目の前に現れた。
 月の光が周囲の木々を照らし出し、どこか現実ではない雰囲気をかもし出している。
 砂浜に寄せては返す波の音が、静寂というまっさらなキャンバスの中に描かれていた。
「本当に逃がしてしまっていいのかね?」館長が念を押す。
 美奈子は緑の前にしゃがみ込むと、
「いいのね? 元の国へ帰れなくなっちゃうのよ」
「うん、逃がしてあげて。ぼく、ラブタームーラにいつまでも残るから」健気にそう答える緑。
 館長は黙ってうなずき、そっとカゴのフタを開ける。
 光アゲハは初め、戸惑ったようにカゴの中から這い出してきて、ふわりと宙を舞った。
 それから、全員の回りを2度3度とぐるぐる飛び回る。まるで、お礼を言っているかのようだった。

 ついに決心したらしい。金色に輝く光の鱗粉を撒き散らし、星降り湖のほうへと飛んでいった。
 澄み渡った湖面はまるで鏡のようで、映し出された光アゲハと合わせて、2匹のチョウが舞っているかのように見えた。
 水面に近づいてみたり、急上昇したり、空を自由に飛べることが楽しくて仕方がないようだ。
 やがて、きりもみをしながら空高く飛んでいき、そのまま月に向かって飛び去ってしまった。
「行っちゃったね……」美奈子がそっと洩らす。
「もう、帰ってこないのかなあ」和久がそう口にした。
「たぶん……な」と浩。
 実際、その後光アゲハを見たという者は誰もなかった。もしかしたら、ラブタームーラを後にしたのかもしれない。

 一同は、ほとりにあるベンチにかけると、いま見た光景を心の中で反芻するのだった。
「きれいだったわね。まるで、夢でも見ていたみたい」
「ああ、おれが見た中でも、最高の景色だったぜ」
「あのような神秘的な昆虫も存在するものなのですね」
 それぞれが思い思いを言葉にする。
「森の中にぽつんと見える明かり、あれって『魔女の家』かな」和久が指差した。
「そうでしょうね。この辺りに住んでいるのは彼女だけなのですから」元之が答える。
「もっとも、本当は魔女なんかじゃなかったけどな」浩がちゃかしてみせた。
「あの人も見たかしら、光アゲハ」
「あれだけ華やかに当たりを光で染め上げたんです。きっと見ていましたとも」と元之は自信たっぷりに断言するのだった。

 そのあと、しばらく沈黙が続く。優しいそよ風が、さあっと吹いた。
 誰もが黙りこくっているのにたまりかねて、美奈子がいきなり言い出す。
「浩、あんたって小学校に入ったばかりの頃から、ずっと意地悪だったわね」
「え?」きょとんと振り返る浩。
「上履きを隠したり、シャーペンをわざと落としたりさあ」
「ああ、そんなこともあったな」浩はちょっとうつむいて答える。
「どうして、そんなことばかりしたの?」美奈子はいたずらっぽく問い詰めた。
「聞きたいか?」
「ちゃんと、わけがあるんだ」
「ああ、あるとも」
「じゃあ、聞かせてもらおうじゃないの」

 浩は美奈子から顔をそらし、ぽつりと言う。
「幼稚園最後のお遊戯会のこと、覚えてるか?」
「うん、覚えてる。最後に『マイム・マイム』を踊ったね」
「あのとき、手をつないでくれなかった」やっと聞き取れるくらいの声で浩は答えた。
「は?」美奈子は、われながら間の抜けた顔をする。「たったそれだけ?」
 浩は振り返ると、前よりもずっと大きな声で言った。
「おれは、お前に手をつないでもらいたかったんだ」
 美奈子は思わず笑い出す。「だって、気付かなかったんだもん。あんなにたくさんいたんだしさ。それならそうと、初めから言ってくれればよかったのに」
「言えるかよ、ばか。おれは、お前のことが……お前が好きだったんだ」
「だった? じゃあ、いまはどうなのよ」
「だからよお、いちいち言わせるなって」

 美奈子は浩の脇ににじり寄ると、浩の手をそっと握る。
「じゃあ、もう1度踊ろうか『マイム・マイム』。今度こそ手をつないでさあ」
「いま? ここでか?」浩はびっくりした。しかし、彼の手もまた美奈子を握り返しているのだった。
「いいじゃないの。どうせ、ここには知ってる人しかいないんだもん」
 2人は立ち上がり、湖畔で両手を取り合う。
 そしてどちらからともなく踊りだし、歌った。
「マイム、マイム、レッセッセ」
 それを見て緑も立ち上がり、2人の間に入ってくる。
「ぼくも踊る」
「なら、みんなで踊りましょう。さあ、元君、和久、それに館長も」と美奈子は誘った。
「わしもか?」館長はびっくりした顔をする。「なんせ、何十年もダンスなどしておらんのだよ」
「大丈夫。すっごく簡単な踊りだから。あたし達と同じようにやればいいんですよ」
「そうですよ、館長。小学生で習うフォークダンスなんですからね。1回踊れば、もうすっかり覚えてしまいます」元之も立ち上がり、輪に加わった。
「うんうん、わからないところはぼくがちゃんと教えますよ」和久はそう言うと、館長の手をギュッと握る。

 1度は互いに手をつないで丸くなり、声をそろえて歌い踊り始めた。
「マイム、マイム、マイム、マイム、マイム、レッセッセ。マイム、マイム、マイム、マイム、マイム、レッセッセ」
 月の光の降り注ぐ湖畔で、7つの影だけがいつまでも、いつまでも楽しそうに揺れ続けるのだった。

【おしまい】

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