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ゴミの妖精

 夕方になっても、桑田孝夫はわたしのゲーム機でずっと遊んでいた。

「よく、飽きないね」皮肉交じりに言ってやる。

「ばーか、これからが面白くなるんだ。いいか、見てろよ。ダンジョンの先にすっげえ強いボスがいるんだ。そいつを倒すまでやめねえからな」桑田は振り向きもせず答えるのだった。

「かってにすれば」隅っこのくずかごに目をやると、いっぱいになっていた。そういえば、明日は燃えるゴミの日だったっけ。「ちょっとゴミを出してくるね」

 ゴミ袋に詰め込み、収集所まで持って歩く。

 中でがさごそと音がした。

 ギョッとして、思わずゴミ袋をじっと見つめる。

「さてはゴキブリだな。部屋の中でゴキブリなんて見たこと、これまで1度もなかったのになあ」

 わたしはゴミ袋を持って、また戻ってきた。たまたまトイレに立った桑田とバッタリ出くわす。

「なんでゴミ袋を持って帰ってきたんだよ」

「それがさあ、中にゴキブリが入ってて捨てられなかったんだよね」わたしが言うと、あきれたような声が返ってきた。

「そんなもん、一緒に捨てちまえばいいだろうよ。だって、ゴキブリだろ? 害虫だぞ」

「そりゃあ、ゴキブリは苦手だけど、でも生きてるんだよ? もし、自分がゴキブリだったらどうする? 一緒に捨てられたら泣くよ?」

 わたしは生き物をむやみに殺すのが嫌いだった。夏の夜、蚊が刺しにきても、蚊取り線香など焚かず、ただ追い払っているくらいだ。

「で、どうすんの? 袋を開けてゴキブリをつまみ出すつもりか?」

「うーん……それができればなあ」わたしは困ってしまった。ゴミ袋を開けたとたん、ガサゴソっと飛び出してきたらどうしよう。

「おまえ、本当に情けないやつだな。それな、優しいのとは違うぞ」

 桑田の言う通りだった。ゴキブリに同情するつもりはない。そもそも、勝手に入ってきたのはあっちなんだから。

 ただ、このままゴミを捨てれば、確実に死んでしまう。そして、その片棒をわたしがかついだことになるのだ。それが嫌だった。

「どうしよう……」わたしが困り果てていると、桑田は肩をすくめる。

「やれやれ、仕方ねえなあ。おれが捕まえてやるよ」答えるよりも早く、ゴミ袋をわたしから取りあげた。「ビニール袋かなんかないか? おれだって、素手で触りたかねえんだ」

 買い物のたびに溜め込んでいるレジ袋を1つ取り、桑田に渡す。桑田はそれを手袋代わりにして、「じゃあ、開けるぞ。飛び出てきたらごめんな」

 ゴミ袋を開き、レジ袋ごしにゴミの中をガサゴソと探った。

「いねえなあ。カサカサと音はするんだけど、どこにも見当たらないぞ」

「もっと奥のほうじゃない?」自分が作業をしているわけではないので、勝手なことを言う。

「奧か。どれどれ……」桑田は腕ごと、ゴミ袋に手を突っこんだ。見ていてもゾッとする。

 たとえビニール袋ごしとはいえ、ゴキブリに触れるのもまっぴらだ。

 しばらくそうしてゴソゴソとやっていた桑田が声をあげる。

「おっ、いたぞ! けっこう、でかいな」

「捕まえたの?」わたしは聞いた。

「ああ、ばっちりよ。こいつを外に逃がしてやりゃあいいんだな?」

「うん」

 桑田はゆっくりと手を引き抜く。握っているのは、黒光りをした不気味な物体だった。

「絶対、逃がさないでよ」わたしは懇願する。

「逃がさねえよ。少なくとも、この部屋の中じゃな」

 いきなり声がした。桑田の手の中からだ。

「やい、てめえ。何しやがる。さっさと手を放さねえか」

 わたしも桑田も、驚いたのなんのって。

「ご、ゴキブリが口をきいたっ!」思わず、そう叫ぶわたし。

「誰がゴキブリだって? 手を開いてよく見やがれ。おれのどこがゴキブリなんだ?」

 桑田は恐る恐る手を開く。すると、真っ黒な姿をした小人が現れた。

 小人は桑田の手のひらの上であぐらをかくと、プンプンと文句を言う。

「人がせっかく、気持ちよくゴミの中でゴミ遊泳をしていたっつうのに、なんだってこんな目に遭わなきゃならねえんだ」

「ゴミ遊泳?」わたしと桑田は同時に発した。

「そう、ゴミ遊泳。知らねえのか。てか、おまえら、おれが誰かも知らんだろう?」

 その通りだ。真っ黒い三角帽子をかぶり、真っ黒い服を着て、手足も顔も真っ黒だった。

「おれはなあ、ゴミノームだ。ここいらじゃ、珍しいんだぜ。なんせ、世界中に、たったの777人と1人しかいねえんだからな」

「そんな珍しいお方が、どうしてうちなんかに?」わたしはうやうやしく尋ねる。

「なーに、たまたまよ。窓が開いてたろ? そしてそこにゴミ袋があった。つい入り込んじまったってわけだ」

「もう少しでゴミの収集に出すところだったんだからねっ」なんだか腹が立ってきた。ゴキブリだって殺すのは嫌なのに、ましてや相手は妖精である。気がつかなかったら、世界中にたったの777人しかいなくなってしまうところだったのである。

「すると何かい。おまえはおれを救ってくれたってわけだな?」

「うーん、まあ、そういうことになるのかなあ」

「ふむ、なるほどな。そういうことなら、礼をさせてもらうとするかな」ゴミノームは桑田の手からポーンッと飛び降り、キッチンへ向かった。流しの三角コーナーに手をかけると、ヨッコイショと持ち上げ、さっきまで自分の入っていたゴミ袋へぶちまけた。

「ほれ、これで少しは後片付けが楽になったろう」とゴミノーム。

 ありがたいけれど、生ゴミの日は明日なんだよなあ……。

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