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聞こえない音が聞こえる?日本人のこと

こんにちは、MUERAです。

最近ある本を読んでいて「へー」と思ったことなのですが
擬態語とか擬音語って日本語に圧倒的に多いものだそうです。


以前に「虫の音」が聞こえるのは
日本人とポリネシア人だけで


他の国の方には
基本的には虫の音は聞こえていないらしい

(正確にいうと、意識に上らない雑音として処理されている?)

ということを書いたことがありますが


虫の音が聞こえるのは
「日本人」というより
「日本語を母国語として育った人」

ということのようです。


つまり民族的なDNAというより
「日本語」の特殊性が
虫の音が聞こえる感覚を自然に育てる

ということらしいんですね。


日本語を母国語として育っていると
虫の音だけでなく

風が「そよそよ」吹いているとか
場は「しーん」としていたとか

(確かに外国語にはなさそうな表現ですね・・^^;)


聞こえないはずの音が聞こえる
(そういう感覚が育つ?)

ということのようです。

そのくだりが印象に残っていたので


静かな夜
一人で仕事をしているとき

ふと「静寂」に耳を済ませてみたら

「しーん」という音が
たしかに聞こえる・・

ような気がしました^^


日本古来のアニミズムから
(アニミズム=自然界のそれぞれのものに固有の霊が宿るという考え方)

虫や風とも対話ができるよう
日本語の特殊性が発展したんでしょうか・・?

なんだかとっても興味深いですねぇ・・🤔

「自分のことも他人のことも評価することを、やめたいんです」

そんなご相談がありました。

とてもよくわかります。

私も15年ぐらい前までは
いつも自分を誰かと比べてしまって
苦しかったことを覚えています。

年の近い5人兄弟の2番目で育ったので

小さい頃から
親からの兄弟との比較を感じていたんでしょうね。

その後
今やっているヒーリング(幼少期の心の傷を癒すもの)にであってから
すっかりその苦しさはなくなりましたが

こども時代より大人になってからのほうが
人からの評価や、それによって時折浮上する根深い無価値観を

しんどく感じてたと思います。

自分でできる効果的な対処法としては
自分をありのままに承認する取り組みがあります。

「自分は〇〇でないと価値がない」

そういう思い込みに気づいたら

最初は形だけでもいいので
「自分は〇〇でなくても価値がある」と
声に出して言ってみる、などです。

人と比べてしまって苦しい場合は
相手にはないけど自分にあるものを探して、言語化してみます。

外見や能力など、
はじめから備わっているものというより

たとえば
「あなたしかしていない体験」
そういうものを思い出してみましょう^^

みんなそれぞれオリジナルの人生を生きている

だから人と比べて自分を評価したり
相手を評価する必要はない

まさに

みんなちがって、みんないい。

そういう感覚に
少しずつ近付いていけると思います^^

MUERA

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