#95 最先端の予防支援は高校デビュー支援

田中さん

全国の高校でこの時期起こっていることは、入学式以降、一度も登校せずに不登校になってしまった生徒たちがすでに何名かいるってことですよね。

そして、ぼくたちは、こういう過去を持つ若者と20歳過ぎて支援機関で会ったりするわけで、鉄板のひきこもりあるあるなわけです。

パノラマのやってる成果指標の委員会で、確か田中さんは「高校デビュー支援」をしたいというようなことを言っていたと思うんだけど、覚えているかな?

あの話し、あのときは脱線気味だったので深めれなかったけど、無風状態でちょっと深めてみようよ。

ここでいう高校デビューとは、地味だった生徒が派手な生徒にイメチェンするっていうことではなく、中学で不登校だったりしていた生徒が、高校からはなんとか馴染むことができて、不登校にならないという支援で、冒頭のあるある対策が、高校デビューかとぼくは思っています。

ぼくが思うのは、彼ら彼女らに一度も会えなかったという無念さ。高校デビュー支援は、高校に入ってからじゃ遅いってこと。

入学式前に、中学時代の長欠のあった生徒たちと一人ひとり面談させてもらって、カフェやパノラマのやっている個別相談「どろっぴん」の存在を知ってもらって、「なんかあったら(来なくなるんじゃなくて)とにかくここに逃げて来い!」っていうのと、こういうことにはこう対処しようみたいなことを話しておく。

或いは、この層の生徒を入学前に会わせて、ある程度の関係性を持ってもらって、ぜったいボッチにならないようにしておくとかさ。できることがたくさんあると思うんだよね。

田中さんは、どんなことを考えているんだろう? 共有してもらえると嬉しいです。

                                 石井

ボッチがボッチに出会った日

石井さま

石井さんの「ボッチにさせない」の部分を読んで、20年以上前のエピソードを思い出しました。

あれはまだ世の中に「ひきこもり」という言葉がなかった頃、登校拒否が不登校に言い直され始めた頃、僕は、編集者をしながら空いた時間で不登校の中学生男子に訪問活動をしていました。

そのRくんはやがて中学を卒業し、近くの定時制高校に入りました。僕は、あまり考えずにそのまま週1回程度の訪問活動は続けていました。

訪問したときはたいていテレビゲームをしていたのですが、Rくんからは高校の話はあまり出ませんでした。がんばって登校していましたが、どうやら友達もなかなかできず、休み時間などは教室ではなく暗い夜の階段で一人音楽を聞いているとのことでした。

6月くらいになった頃、いつものように学校の話を聞くと、Rくんは恥ずかしそうにこんなことを話したんですね。
「それがおにいちゃん(当時僕は若くにいちゃんでした〜)、いつものように階段に座って曲を聞いてると、階段を少し降りたところに俺と同じようにウォークマンしてるやつがいたのよ。よく見ると同じクラスのやつで、お互いなんとなく目があってお辞儀したりしてぼそぼそゲームのことなんかしゃべったなあ」

それ以来、毎日のようにRくんは階段でぼそぼそトークしてたみたいです。
それがきっかけで、Rくんの人間関係は広がっていったんですね。たぶんその会話相手のもう一人のボッチくんも。

僕がその時思ったのは、もう一人のボッチくんとRくんが6月に出会うまでの2ヶ月間、僕は訪問していてよかったなあ、ということでした。

訪問してもゲームして雑談するだけなんですが、大人たちが普通思う「入学できたら不登校支援は完成」ではなく、「入学したあとボッチ生活を抜け出して安定したときが、不登校(ひきこもり)支援の終わりの始まり」なんですね。

それまでは、我々のような、ちょっと変わっているけど自然体で寄り添える大人、「変な大人」の存在がRくんには必要だった。
デビュー支援とは、「デビューしたあとしばらく寄り添い続ける支援」のことでもあると思います。⭐

                                 田中

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