#16 なぜ、「何のため」ではなく「誰のため」になってしまうのか

石井さま

組織論、お互い語りにくい点があるので難しいけれども、石井さんがうまくポイントを「誰のため」と「何のため」に分けてくれたので、さらに話を深めることができそうですね。

誰のためというのは、言い換えると「スタッフのため」といってもいいかもね。正義感と威厳のあるリーダーはどうやらスタッフのために熱く語っているようだし(自分のためではないからこうしたリーダーにはカリスマ性が生まれる)、自己研鑚を求めるスタッフは「自分のため」なんだけど結果としてそれがスタッフのためになる。

もうひとつ、何のために、というのは当然、団体の「ビジョンとミッション」のためにと言いたいところだけど、多くは「売上げアップのため」「人員増強と組織拡大のため」等の目先の経営規模になるかもしれません。

石井さんの言う「一義的な初期衝動」は、始まりは「目の前の若者を助けたい」だろうなんだけど、それはすぐに「こんな若者たちを産みだしてしまう社会を変えたい」となり、そのために「こんな団体とシステムだったらなんとかなる!」に変更していきます。

だから、一義的な初期衝動は結局、この最後のシステムをかたちづくる大本である、ビジョンやミッションや戦略のことを指してるんだと思います。

「誰」ではなく「何」とは、結局は「ミッション」等だと僕は思うんですね。

問題は、こんな簡単なこと誰でもわかるはずなのに、なぜ「何」の議論は軽んじられ、すぐに「誰」の議論に行くのかってこと。石井さんはここ、どう思う?

                                                                                                 田中

田中さん

突然ですが。衝撃告白をすると、「ミッション」という言葉に僕は疑いを持っています。いや、疑いを持ちはじめていると言った方がいいのかな。

数ヶ月前に某省庁で意見交換をした際に、僕はNPO法人で働く人たちををよく知る、NPO法人の代弁者的な役割で場が設定されていたんです。

僕はその際に、ドラッカーの言葉として僕に強く刷り込まれている、「NPO法人職員は組織よりもミッションによって紐付けられて働く人たち」ということを念頭に、ミッションという言葉を連発していたんですが。

省庁の方が、僕の発する「ミッション」に対して、徐々に「ミッションねえ…(苦笑)」的なリアクションになり、段々、「う〜ん…(わかんねえなぁ)」に変わって来て…。

話している僕としても、「う〜ん…(そういや、よくわかんねえなぁ)」となったんです。

この時の僕の中のミッションに対する疑いが、今回の田中さんとのやり取りで、やっぱ明確になってしまってきて、多くの方々が、その課題に取り組んでいる理由が「何(ミッション)」ではなく、「誰(自分)」になっていると。

以下は、前回の「無風状態」の感想として送られてきたツイート抜粋です。

サポステなどでは非常勤スタッフも多いので、おそらく歴史的な蓄積を知らずにいます。 

そんなNPO法人がよくわからなかったり、自主事業と委託事業の性格の違いがわからない彼ら(160カ所のサポステが5人の新規雇用をすると800人)を擁護しようとミッション論を語りはじめた僕が、擁護し切れなさをあの場で感じてしまったわけです。

勿論、僕にも自己実現はあり、利己的な自分はいるわけだけど。その実現と自分自身が掲げているミッションは同じ。ここにブレはないんですけど、例えば上記の800人では違うだろうと。

それなのに「ミッション」と「ビジョン」で語り切ろうとしてしまう。ここに限界が来ていると僕は感じているんです。

                                石井

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