見出し画像

小説「童女トン」2-読み切り版

母・トンは小島で生まれた
幼名をトンという。三回再婚したからその都度姓は変わった。でも名前は変わっていない。いや、トンじゃない、本当はトシだ、と母は怒る。当時は戸籍謄本も筆記謄写だったから、役場のアホが書き間違ったのだと、母は怒った。

その通り。トンは幼名である。ええ、ちょうちょうトンぐぁや? おやおやトンちゃんじゃないか?こんな具合に子供に話かける言葉だ。それがそのまま戸籍に載った。100年以上も前のことだ。いまさらいっても始まらない。当時はすべて筆耕謄写版だから。職員がミスった。点が一個足りなかったのだ。

いまでも戸籍上まで幼名のままになっている。住所地の役場には何回も抗議した。名前はトンではなくトシだ。点を一個ふってくれ。役場の戸籍係が間違ったのだ。

でも住所地の役場では無視された。

トンじゃない。トシですよ。
当時の戸籍係の間違いだよ。なんとかしてよ。

でも、どの住居地の役場でも変更は認めなかった。そんなことよくあるの。でも、原籍地でなければ訂正できない。しかも最近は原籍地でも難しくなって裁判所で認めてもらわなければならないのよ。時間も金もかかるし。たいへんだよ。

いいじゃない。これからお嫁に行くわけじゃないし、と妹はいう。そうね諦めるしかないか。でも間違いなくトシだからね。それはいっておくよ。分かったあ?

母の言う通りである。私もそう確信している。役場の戸籍係が書き間違ったのだ。おれはそう信じるよ。そうか。お前が信じてくれるなら母ちゃんうれしいよ。とその後はあまり気にしなくなった。

でも健康保険証や介護保険証は昔のままだ。デーサービスで出席を取られるとトンが出てくる。顔が曇った。仕方ない。かあさん。戸籍の表記に慣れよう。ほっとする懐かしいハッピーな名前じゃないか。モノは考えようだよ。

ところで母の原籍地は南西諸島の小島・徳之島である。明治45年、数か月後には大正に変わる明治最後の年にトンは生まれた。元気な子だった。声がかすれていた。心臓が少し悪いみたいと産婆はいった。

なのに百歳まで生きた。在宅医療で週一回やってくる医師は、カルテ通りにトンさんとよぶ。今日の調子はどうですか。すごい。百歳だね。と褒められても先生!名前はトシですと抗議する。ああ、そうでしたね。

そんな頑固な母を私は母を愛している。でも言葉でそういったことはない。母も私にそうはいわない。今の人は簡単に愛しているなんていうが、愛もずいぶん安っぽくなったもんだね。

私など野良犬扱いである。家にいつかなかったしある日勝手に嫁を連れて帰ってきた。以来私を嫁に呉れてやった犬だと思っている。だから今際のときも「母さん分かるかい。おれだよ。あなたの息子だよ」といったのに母は「先生どうもお世話になりました、ありがとう」と返事した。愛する息子が来たのだから分からないはずがない。第一しっかりと返事しているじゃないか。わかっていていながらとぼけたのである。
 
トンは小柄だが美しい顔をしている。姉二人は見返るほどの美人である。若泉家の三美人とといわれた、それが死ぬまで自慢だった。若泉家は島津下級島侍である。下級だから島住まいなのだ。形は侍だが農業もする。自給自足の駐在員みたいなものだ。それでも武士は食わねど高楊枝見たいな鷹揚さもある。

ここから先は

1,482字
この記事のみ ¥ 100

満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。