深い霧の朝妻は消えた

 

はじめに

改めて書き出しの部分から書きます。必ずしも順序通りになっているわけではありません。でも頭に編集番号が振ってあります。1から60くらいまで。原稿がダブることがあるかもしれません。これは出版用原稿として起こしていますので。不便不都合があると思いますがよろしくお願いします。

妻の死を小説化しました。もう20年になります。墓標として残したいと考えました。高齢故(来年早々87歳)どこまで続くか分かりません。その分読み切りとして書いています。モトゲンは東日本大震災時に(HDはこわれたけどDVDに部分的に残ったメモ書き原稿です)。小説「死ぬ準備」も並行しています、応援よろしくお願いします。1節の文字数は3000内外です。読み切り100円です。


 芙美湖とは妻のハンドルネームである

 明け方から急に気温が下がり始めた。霧が病院全体を覆い始めた。乳白色の霧が、汚れた病院の外壁を少しだけ白く塗り替えている。
 私が立っている最上階の病棟洗面所からは、普段は、付属看護学校棟が見えるのに、その朝は、何も見えなかった。
 かすかに建物の存在を感ずるだけである。

 昨夜はあれほどハッキリ見えた駐車場の車も霧の中に霞んでいる。その中の一台で、娘の琳子夫婦が仮眠を取っているだろう。昨夜九時頃、医師と長女と三人で今後の治療方法について話し合った。何の結論も出ないまま、長女は、子供の弁当があるからと帰った。子供のいない次女が残った。

 家に帰っても、却って心配で眠れないからと仮眠のために亭主と駐車場に戻った。その車で今眠っているだろう。その次女に、先ずは報せなければならない。母親の命が、いま、まさに終わろうとしている。
 そのことを、娘夫婦に報せなければならないのに、わたしは看護師の呼び出しを聞いた瞬間から脚が床に凍り付いたように、踏み出すことが出来なくなっていた。

 早かれ遅かれこの瞬間が来ることは分かっていた。それなりに心の準備はしてきた筈である。それが何故今なのか。洗面所に来る前に妻は、安らかな寝息を立てていた。久しぶりに落ち着いた呼吸である。だからその間、朝の洗面タイムで洗面所が混雑しないうちにと混洗面所に立ったのだ。

 何日もの看病でどす黒く浮腫んだ顔を見ているときに看護師からマイクで呼び出しが掛かった。看護師の声を聞いた瞬間、妻の急変を直感した。しかし、記憶する限り、個室に移され、面会謝絶の札がつけられてから、最も安定した呼吸だったはずだ。
 なのに、看護師からマイクで呼び出された。
 その声の感じから、のっぴきならぬ事態が進行していることは間違いなかった。

 一瞬、来るべきものが来た、と思った。にも関わらず私には、緊迫した感情は湧かなかった。なにか他人事のような感覚すらある。
 なぜか脚は床に吸いついたように離れない。

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満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。