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台所に立つ母はだいたいいつも不機嫌だった。
小学校の私は母の声色や、食器を洗う音に慎重に耳を傾けて、“お母さんが不機嫌なのは私が何もしなかったからだ“と、ドキドキしながらリビングで過ごした。
母は私によく手伝いをお願いしていた。母の隣でお野菜を切る。
母には母なりの正解があって、私がそれに沿わないと母のルールで正してくれた。母は、私が母のルールに従って動くのが当たり前だと信じていた。
ご飯が出来上がってテーブルに座る。テーブルを拭いて、お箸を揃えて、お茶を入れる。そこまで終わっても母は台所から戻ってこない。
ガチャン、ガチャン、使った鍋やフライパンを洗う音。母が来るまで夕飯に手をつけずに待つ。待ってなければいけないルールなんてなかったけど、なんとなく母を待たずに食べることへの罪悪感があった。

私は子供の頃から母の不機嫌に左右されてきたと思う。

母が嫌いなわけではないし、恨んでもない。もう大人なんだから、そんなこと言い訳にしてはいけないと思う反面、あの頃の自分を「間違ってないよ」と抱きしめてあげれたら、今の自分の生きづらさが少しは軽くなるんじゃないのかとも思う。
母からの影響を受けていることをもう少し早く気づけていたら、今の自分はどんな道を歩いているのだろう。