FM PORTによせて
ラジオを聴くのが好きだ。
音と声が側で寄り添うような、そんな雰囲気がたまらなく好きで、通勤のお供に、眠れない夜のドライブに、いつもラジオをお供に過ごしていた。
3年前の6月30日。
その日、わたしの愛する街のFM局は砂嵐の向こうに消えてしまった。
元々ラジオに興味があった人間なわけではなく、当時働いていた職場の先輩がちいさなラジオ局で時々パーソナリティをしていて、そのご縁で勧められたのがきっかけだった。
出勤退勤時に車内で流れる小気味良い声と選曲の妙にあっという間に虜になる。
ラジオ局の名前はFM PORT。
名の通り港町に浮かぶ船のような、そんな自由な空気があった。
完全独立系の地方ラジオ局であり、都市部の番組を引っ張ってきて構成される他のキー局とは違って手作りで番組を作っていたことを知るのはもっと後のことなのだけど、その独自のスタイルと雰囲気は街の人の生活に寄り添っていた。
何をしたら面白いのか。
それが、常に真ん中にあった様に思う。普通の情報番組の他にも、地元出身アーティストの番組や、サッカーの中継はもちろん、番組から生まれた野外フェスもあったし、ラジオドラマなんかもあったっけ。とにかく色々なものに触れるきっかけをくれた。
番組でピックアップした音楽にハマり週末CDショップでジャケ買いするなんてこともあったなあ…懐かしい。
いつもチャンネルを合わせれば耳慣れた声が聞こえてきたし、これからもずっと「そこ」にあるのが、当たり前だと思っていた。音楽も、笑い声も、耳慣れたジングルも、今日の天気もローカルな話題も、全て。時々、メッセージを送ってみたりして、採用される度にちょっとだけ番組に触れたような気持ちになっていた。
いつも傍にあった。
けれど、いまはもう「無い」のである。
周波数79.0は、砂嵐の向こうに消えてしまったのだ。
「閉局」という言葉を番組内で発表したのはいつだったろう。
正直衝撃的過ぎてよく覚えていない。
番組が終わる、ではない。局自体がなくなってしまう。嘘だろ!?とあたまを殴られたような衝撃がして、いやいや、嘘だよ〜ん、と番組の終わりに言ったりするんだろいやむしろそう言って欲しいと願ったけれど、残念ながらそれは叶わなかった。
突然突きつけられた閉局という事実に、一日、ぼんやりして仕事が上の空だったように思う。
翌日、新聞一面にも、閉局の記事が掲載された。やっぱり本当なのだと嫌でも思い知らされる。
人間はマイナスな情報に飛びつきやすい。報道された途端に資金繰りがどうだの、スポンサーがどうだの、あーだこーだとマイナスな憶測やネガティブなあれやこれやが飛び交う。いつも聴いていなかった人々の口からもそんな話題が飛び出す。正直、耳を塞ぎたいものばかりで、辛くて、なくなってしまう事実と大好きなのになにもできない現実。耳を塞ぎたい。そんな気持ちでいっぱいだった。
それでも、やっぱりラジオはいつものようにいつものごきげんなジングルを流し、いつもと同じかたちでそこにあった。同じ朝を、同じ夕暮を、いつものように届けてくれた。
閉局まであと三ヶ月何しましょうね!?仕事なくなっちゃうな〜!と明るく笑う声がする。
どんよりと沈む気持ちを引き上げてくれたのは、やっぱりいつもの「声」だった。
PORTが砂嵐の向こうに出港する船であるなら、パーソナリティやスタッフ、彼らがそのクルーである。きっと、いつもの声の向こうに葛藤もあったろうし、声にできない気持ちもあったんだと思う。それなら、わたしたちもそれを見送らねばならないような気がしてきた。
新聞に、見開きでリスナーからの「ありがとう」のメッセージが載った。
川辺で弾幕を持って、放送中の局の放送ブースに見えるように手をふる人たちがいた。じゃんじゃん、メッセージを届けた。
こんなにメッセージくれるなら普段も書いてよ!と番組の中で笑う、明るい声がする。こんなに愛されていたんだなあ、けど、もう、なくなっちゃうんだな、なんでだろう。ほんとに何で。どうして。胸がギュッとなる。
最後の日は、雨だった。
すべての番組が終わり、パーソナリティさんやスタッフさんが集う特別番組。お祭り騒ぎのような番組の中で、次第に時間が迫りゆっくりと閉局のカウントダウンが始まる。最後のアナウンス。
Twitterのトレンドには「ありがとうFMPORT」の文字が浮かぶ。
そして、00時00分。
翌日、ほんの少しの期待を込めていつものチャンネルに合わせる。砂嵐の向こうに、誰かの声が聞こえたら良いなと思って。
3年が過ぎて、今年も夏がやって来た。
ぽっかりした気持ちも、ちゃんと埋められて…というより、やっぱりいつまでも好きだな、という気持ちに昇華されているように思う。
FMPORTという名の港がいつまでもこの街の何処かに、在りますように。
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