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ティムバートンの絵を見ていると人は喜びを求め、どこかで悲劇を求めていると思う

おはようございます。

毎日Wednesdayを見る時間が全く取れません。
英語の勉強に疲れた時の息抜きになっているので、目標としての機能はしていると思いつつ、ロック画面を見るたびに罪悪感が出てくるので、作り直そうと思います👀


違国日記をピッコマで読んでいたのですが、続きが気になり大人買いしてしまいました。
待てば無料で読めるけど、これもいい商売だなと思いました。
私はまだまだ消費者側でVoicyハルさんのような生活に理想はあっても今は続いていきそうです。



無題(『オイスターボーイの憂鬱な死』) 1982-1984年頃 25.4 x 22.9 cm ペン・インク・マーカー・色鉛筆・紙


人、人間、人との間に何を思うか。

幸せは願ったり叶ったり、悲しみもまた感情の一つ(例:インサイド・ヘッド)で、必要だと感じているに違いない。


もし、子どもが↑のような絵ばかりを描いていたら私はきっと不安になります 笑
けど、人が生き続けるように物語があって、ティムバートンの話には悲しみの後にあるストーリーが美しく筋が通っているのが好きなんですよね。


筋が通っているって、地に足をつけることって大事だと思います。

悲しいときに偶然神が降臨する訳でもなく、急に魔法が使えるようになる訳でもなく、それまで自分が生きてきた道が照らしてくれる、そういう筋道。


そういう物語が好きです。


ではでは、今日は風が強いようなので防寒対策しましょうね。
電車は暑いけどね。



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