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ポスト資本主義的な何か

経済合理性を突き詰めた先には美しいものは残らなさそうだという事はみんなうすうす分かっていて。でもぬくぬくと資本主義の恩恵の中で育った僕らはそこから出ることも出来ない。

資本主義はわれわれの生活を豊かにして生活の質を向上したけれど、利益の最大化を目的にするこのOSは文化的、精神的、関係性的な豊かさをも犠牲にしてきた様に思う。

資本主義の中で唯一の物差しであったお金は利益の最大化を相対的に測り、その物差しに我々はいつしか従うことが当たり前の様になっていた。

資本主義は否定しないけれど、この物差しは多様にしていけるのではないか。

最近は社会起業家やソーシャルイノベーション的な価値観がアンチテーゼの様に勃興し、この物差しを増やしていこうという気運が高まっているのは歓迎すべき流れに感じる。

こうした社会のアーリーアダプターの方々によって、少しずつ消費者の意識も変わってきた。今まではいかに損をしない様に、どうしたら自分の得になるかを考えて消費してきた世の中からどんなお金の使い方が世界をより良くするかを考えるようになった。

こうした消費者の流れはきっと未来の広告をも変える様な気がしている。
今までせっせと消費を促すために行われていた広告。そこには膨大な資本が投下されてきた。
でもその膨大なモノをたくさん売る為の広告費を社会の豊かさの為に使い、そしてそれを支持する消費者が自然とそうした企業を応援消費する世の中が出来たら、きっともっと沢山の人が豊かに暮らせるのではなかろうか。

そんなことを思いながら、広告費をかけずに相対評価的な価値の決定をするプラットフォームにも掲載せず、社会にぼくが信じている豊かさを還元する様な宿をやっていきたいと改めて思う今日この頃。

そんな宿にゆっくり育てていきたい

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