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一周回ってからの同じ景色は ぜんぜんちがうかった 七章

七章 再出発

 東京に馴染み、大阪のことはどうでも良くなってはいたのだけれど、僕の気持ちとは関係なく大阪の部署に移ることになった。上山さんもしばらくしてから大阪にきて結婚することになり、仕事も出来るようになっていたし順風満帆に過ごせていたように思う。

 東京に行っている間も花田くんとはつながっていたのだけれど、大阪に戻ってきてからは仕事でもつながることになった。花田くんは個人で会計事務所を開業していたのだけれど、担当していた精密機械の会社が潰れかけていたらしく、その会社の扱っている商品はこれから伸びると踏んだ彼は、その会社を引き継ぐことになった。その引き継いだ会社の商品のパンフレットの印刷を僕が担当で引き受けることになっていた。高校時代の親友で、それまでも友達付き合いは続いていて断る理由なんてなかった。
 花田くんの会社も軌道に乗ったのか東京にも支社を出すことになり、東京に知り合いはいないかと僕に相談を持ちかけてきた。ちょうど東京にいた時の後輩の下村くんが会社を辞めたばかりだったので、その旨を彼に伝え都合があうようなら協力してくれたらとはもちかけてみた。下村くんは僕がいうならと二つ返事で花田くんの協力をしてくれることとなった。

 そうこうしていると順調に滑り出した大阪での生活も陰りが見え始めた。上山さんとの結婚生活は1年ほどで別居生活のようになってしまい、彼女は東京と大阪を行き来するようになった。そんな生活をしていても仕方ないと思い、2年ほどの結婚生活に幕を下ろすことになった。
 そんな夫婦間がこじれていた頃、お母ちゃんの癌もみつかった。そんな状況で考えることが多くなったことも、早々と離婚を決断した理由だった。「お母ちゃんの病気は治るんかな?このまま亡くなってもうたらどうなるんやろか?」と不安と悲しみでいっぱいだった。
末期癌だったお母ちゃんは3年ほどの闘病生活の末に亡くなった。子供の頃見ていたお母ちゃんは本当に頑張っていたから、それまでの人生で一番泣いたのではと思うくらい悲しみでいっぱいだった。それは離婚のショックはその影にかくれてしまうほどだった。

 そんなある日仕事をしていると、社長から直々に連絡が入り社長室に来るようにと言われた。僕みたいな下っ端に何の話があるのかと思いながら部屋に入り話を聞くと、この1月に会社をやめてほしと切り出された。寝耳に水の話ではあったのだけれど理由も述べられず、社長に反論する訳にもいかず、そのまま部署へ引き返した。そして杉田さんに慌てて理由を聞いてはみたのだけれど知らないの一点張りだった。

 理由もわからないまま、どうすることもできずだったのだけど、勤めていた印刷会社をやめることになり、あちらこちらとお世話になった人に挨拶にまわっていた。その時に挨拶に行ったデザイン会社の塩田さんから「これからどうすんの?」と聞かれた。その頃、大工仕事だったり楽器を作ったりと木に触れるような仕事に興味があったので、そういったことを伝えると塩田さんの知人で、木工をやっている沢田さんのことを教えてくれた。それで沢田さんに連絡をしてくれるということだったので、僕も軽い気持ちで「行ってみます!」と返事をさせてもらった。

 沢田さんに一度話を聞いてもらうことになり向かったわけなのだけれど、工房は保育園の敷地内にあり目の前に広がったのは芝生の園庭、その奥にログハウスのような小屋があり入り口にはスダレがかけられていた。その小屋が工房だったのだけれど、その第一印象で「うわー!なにこの光景!ええなー!」と思っていた。工房に入ると沢田さんは接客中で、少し中で待たしてもらうことになった。目の前にあるのは囲炉裏の長テーブルで、どこかの”青少年いこいの村”のようなところに納品するようだった。木工という言葉もあまり耳にしていなかった僕の目の前に広がる、家具を作る機械と木材が所狭しと並んでいる景色はすごく新鮮だった。沢田さんも接客が終わり話をすることになった。ツナギの作業着を着て顔までおが屑まみれのままの沢田さんは、作業台の上に三角座りで話を聞き始めた。やりたいことは楽器だったり、あやふやなことを言ってしまった事もあってか、「それやったら楽器屋にいったらええやん!」とほどなく撃沈してしまった。挨拶をしてその日は帰ることにしたのだけれど、芝生の園庭、小屋、ツナギを着た沢田さんの雰囲気にハマってしまい、コレは何度となくお願いしてみようと決め込んでいた。
 
2度3度と訪れてお願いはしてみたのだけれど、それなら職業訓練校の木工科にいってみればと進められた。そして、実際に職業訓練校に見学に行き話を聞いてみたのだけれど、ちょうどその年度の入学は終わったばかりで一年待たないといけないということだった。それで、また沢田さんにその旨を伝えると、ちょど建築科に通っている大学生の堂島くんに教えることになったらしく、状況は一緒だからと僕も面倒をみてもらえることとなった。
 それで道具も揃えて、半年間の約束で木工の修行が始まった。沢田さんのもとにはすごい量の仕事が舞い込んでいて、こんなに仕事のある業界なら仕事さえ覚えることができれば「儲かるな~」と絶対頑張ろうと思った。堂島くんとは毎日のようにカンナがけをして、机や椅子を沢山作り続けた。
沢田さんは人柄も凄く良く気さくな人だったので、昼食のときだったりは3人でゲラゲラ笑っていた。そんな中、陶芸作家さんや工務店の常務さんが出入りするようにもなり人の輪も大きくなっていった。そんなメンバーでの芝生の園庭でのバーベキューはめちゃくちゃ楽しくて、その時間は53年の人生の中でも一番幸せな時間だったのではと思えるくらいだった。そんな人たちとのつながりや、毎日楽しい環境とで未来は明るいと確信に満ちた時間を過ごしていた。


八章へつづく


一周回ってからの同じ景色は ぜんぜんちがうかった

※このお話は少しだけフィクションです!お聞きしたお話に基づいての物語ですが、客観性はないかもなので事実かどうかはわかりません。登場人物は仮名です。

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